第11話「とある愛情の話」






















 やばいことを聞いちゃったけど、とりあえず……ふたりと知り合いであることは一旦黙っておいた。なんとなく気まずくなりそうだったのが、嫌で。




 衝撃的な事実を知った後は、椿さんから色んな話を聞かせてもらった。


 それは主に娘に対する深く大きな愛情の話で、正直……聞いてるだけでもちょっと辛かった。あたしの家庭とは、まるで正反対だったから。

 金はないけど愛情に満ちた家庭と、金だけは満ち溢れていて愛情は微塵もない家庭。

 どちらがいいかなんて……あたしにとっては、ひとつしかなかった。


「本当に……ふたりのこと愛してるの」


 どこまでも慈愛と母性に包まれた発言を聞いていられなくて…今にも耳を塞ぎたい気持ちで、だけどそれでもちゃんと聞いた。

 椿さんから発せられる言葉を聞き逃したくなかったのもあるけど……なによりも、純粋な好奇心から。

 あたしが望むことすら許されなかった“愛”が、目の前にある。

 それはいったい、どんなものなんだろ?


「あの子達がいてくれたから……ここまで頑張れたの」


 あまりにも綺麗な言葉ばかり、続く。


 醜い思考が、蠢く。


 …そんなの、当たり前でしょ。

 自分で産んだんだから、頑張るのなんて当然じゃん。

 てか、“いてくれた”って……まるで自然に生まれてきたみたいに言うけど、お前が自ら“産んだ”んだよ。

 どこまでも自己満でしかない欲と行為で、身勝手に作ったんだよ。だから存在するのなんて当たり前な話……それを、なに美談みたいに語ってんだよ、きもちわるい。


 結局、この女もあいつらと同じだ。


 自分達のエゴの元に赤ちゃんができたなんて思いもしないで……ただ欲に負けてセックスしただけのくせに、それをまるで神からの授かりものみたいに扱う。


 全然、綺麗じゃない。赤ちゃんなんて……愛なんて。


 汚い。


 ……こんなひねくれたことばっか考えるあたしが一番、誰よりも汚いっていうのに。

 もはやどんな感覚なのかすら知らない…想像もつかない“愛”を羨む気持ちなんて湧くわけもなくて、ただただ自分が惨めで、他人から見たらきっと可哀想で、醜く歪んだ人間なんだと、思い知るだけだった。


「生まれてきてくれたこと、ほんとに感謝してる」

「は……はは、そう…なんだ…」


 当たり前のように出てくる、あたしにとっては当たり前じゃない言葉の連続に、いつもみたいな作り笑いもうまくできなかった。


「?…どうしたの」


 様子のおかしいあたしを心配してか、顔を覗きこまれる。


「紗倉ちゃん…?」


 悔しいことに、こんな時でも椿さんは綺麗だった。

 醜いあたしの内面なんかまるで知りもしない澄みきった黒い瞳が、顔を引きつらせて今は外見まで歪めてる無様な姿を、残酷なまでに鮮明に映す。

 ……死にたい。

 浮かび上がってきた希死念慮は、膨らむ前に心の奥底に…もう浮かんでこないくらいに押し込んで、口角を気合だけで釣り上げて笑顔を生み出した。


「ほんと、家族仲がいいんですね!羨ましいです」


 明るく、元気に、声を出す。


「……紗倉ちゃん」


 完璧に取り繕えたはずなのに、どうしてか。


「ごめんね」


 本当はあたしが表に出したかった泣きそうな表情を浮かべた椿さんに、謝られた。

 なんでそんな顔をするのか分からなくて、分からなすぎて混乱して目を泳がせて困っていたら、指の先までも綺麗な手が伸びてくる。


 温かな手のひらが、耳の後ろを支えるように当てられた。


 きっとあたしが望んでいた“母親の体温”を、この人は今みたいに触れることで子供達に与えてきたんだ。


 それが嫌でも分かって、胸が苦しく、重くなる。


 羨ましい。


 惨めだ。


「桃ちゃんが、どんなものを抱えてるのかは……おばさん、分からないけど」


 赤い唇が薄く開いて、眉尻が下がって、口角はほんの少しだけ上げられて……情けないようなはずなのに、慈愛に満ちてる不思議な顔が、あたしだけに向けられた。


「あんまり、溜め込みすぎないでね」


 これまで渚や楓に言ってきた言葉が、今度は自分に返ってくる。


「私でよければ、いつでもお話…聞くから。ね?」


 聞き触りのいい声と言葉が、鼓膜を撫でた。

 湧き上がる何かが、喉の奥を今にも吐き出そうなくらいに押してきて、それをなんとか、グッと力を入れて堪える。

 熱くなった目頭をごまかしたくて、瞼を伏せた。


「ははっ、いきなりなんですか?何もないですよ、もう〜」


 せっかく差し出された大きな優しさを、望み続けていた手のひらの体温を、臆病なあたしは重く痛む喉を軽々鳴らして、そっと振り払った。

 こんな綺麗な人に…こんな汚いあたしの内側をぶちまけるなんて、できない。


「あ、そろそろあたし、帰ろうかな」


 時計を見て、わざとらしく声を出した。


「っ…だ、だめ」


 立ち上がろうとしたら、腕を掴まれる。

 だめ…って、なんで?


「今のあなたを、ひとりになんてさせられない」


 答えはすぐに、強い責任感と洞察力と、深く広い慈愛から来たものだと分かった。

 …この人は、内面まで綺麗なんだ。

 その事に気付くのと同時に、比例して自分の汚さが際立った気がして、


「ありがとうございます。でもあたしなら、大丈夫ですよ。別に何も…悩んでないもん」


 せめてこの汚さは隠し通そうと、にっこり笑顔を返した。

 手を振りほどいて立ち上がって、荷物を持つ。その間ずっと、椿さんは…あたしにも見えてない何かを心配していた。


「それじゃあ、また」


 相手に声を出させる隙を与える前に、あたしはその場から逃げ出した。

 ガチャン、と扉が閉まる直前。


「紗倉ちゃん…」


 視界に入ってきた純粋にあたしを憂う心優しい顔は、見てないフリをした。








「それにしても…」


 愛の話なんてさっさと忘れた、帰り道。


「楓の、母親か…」


 あたしは、どうでもいい愛よりも、その事に頭を悩ませた。












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