第10話「まさかの事実」
「起きて。ねえ、起きてってば。ぶりっこ女!」
生意気な、声が聞こえる。
肩を揺すられた感覚で、深い深い眠りについていたあたしの意識は、現実へと呼び戻された。
何度か浅い瞬きを繰り返しながら、少しの間ぼーっとして、視界も意識も鮮明になってきてから、むくりと体を起こした。
……なんかすごい、寝れた気がする。
眠いけどまた眠くはならない…妙にすっきりとした大きな満足感のようなものを感じて、睡眠ってこんなに気持ちいいものなんだと、この年になってようやく知った。
「紅葉、紗倉ちゃん起こしてくれた?」
「起きたよ、じゃあ…もみじ部活あるから行くね」
「ありがとうね、いってらっしゃい。気を付けて行くのよ?」
「はーい!いってきます!」
一連の会話を聞きながら、部屋から出て行った幼い後ろ姿をぼんやり眺める。
「おはよう、紗倉ちゃん」
そして入れ違いで部屋へと入って、あたしのそばまでやってきた椿さんの穏やかな笑顔を、これまたぼんやり眺めた。
「ふふ、まだ眠そうね」
優しい手が伸びてくる。
そのまま優しい体温が頬に当てられて、それが心地よくて、つい…無意識のうちに肌をすり寄せて甘えるみたいな動きをしてしまった。
そんな子供みたいなあたしを見てもなお、椿さんの穏やかな笑みはむしろ深まるばかりだった。
引かれなかったことに安心感を覚えつつ、手のひらの感触が気持ちよくて目を閉じたら…すぐ、カクンと首が落ちるくらいの眠気に襲われた。
あ、れ……さっきまでは、スッキリ目が覚めて、眠くもなかったはずなんだけど…なんで、だろ。
この人の体温に触れると、それだけでびっくりするくらい落ち着く。
だから、眠くなるのかな。
人生で初めての不思議な感覚に身を委ねようとしていたら、しっかりと両手で頬を包まれた。
「こら。起きなさい」
「んぁ……は、はい…」
怖くはない、いつもよりちょっとだけ低い声を出されて、ハッと意識を取り戻す。
「ふふ…なんて、冗談よ。まだ寝てていいからね」
「いや……起きる…」
「ごめんなさい…気にしないで寝て?」
「椿さんと…話したい、から。寝てる時間もったいないもん…」
まだ僅かに寝ぼけた頭でも、しっかりと好意的な思いは隠さず伝えた。
「そう思ってくれて…うれしいな?」
はっきりとしてきた視界を、あざといくらいかわいすぎる笑顔が埋める。…朝から幸せ。
多幸感のおかげで眠気も吹き飛んで、その後は椿さんの用意してくれた朝ご飯…初の手料理も食べられて、食べながら他愛もない会話もできて、大満足の朝を過ごした。
今は、適当にテレビでも見ながら、ふたり。また他愛もないような会話を続けている。
「今日も休みなんですか?」
「ええ。基本、土日はお休みなの。たまに出勤しなきゃいけないこともあるんだけど…」
「へぇ…なんの仕事ですか?」
「事務よ、工場の。小さな会社なんだけどね、そこの社長を務めてる方とご縁があって…かなりの高待遇で雇ってもらえたのよ。ラッキーよね」
「そうなんだ……ちなみに、社長って男?」
「ええ、そうよ?どうして?」
男、かぁ…
下心とかないかな?それ。
「どこで出会ったんですか?」
「うぅん…その前は営業職に務めてたんだけどね、取引先の人と……ちょっと、トラブルになっちゃって」
「トラブル?」
「脅し、みたいな…取引してほしいなら、その……そういうこと、しろっていうようなこと言われちゃって」
うわ、言われそう。椿さん美人だし、隙多そうだし、押しにも弱そうだもん。そこに付け込もうとする男は絶対いるでしょ、一定数。大変だな…
「で、その時に色々あって助けてくれた人が、今の会社の社長さんなの。そこから何年もお世話になってて、資格とかもいくつか…取らせてもらったりしたわ。本当にありがたい話よね」
「ふぅん……その社長とは、ご飯とか行くの?」
「ええ、ほんとにたまに…仕事終わりとかに」
「いくつくらいの男?」
「年は確か……私よりも年下だったと思う。35歳?とか…ごめんなさい、正確には分からないな」
35歳の社長……う、うぅん。怪しい匂いがプンプンする。年齢的にも全然狙っててもおかしくはないな。…年上のジジイとかだったらまだ良かったのに。
…もうちょっと、そいつについて探るか。
今後のライバルになりそうな予感がムンムン漂ってくる35歳社長についての話を、その後も根掘り葉掘り聞いてみたら、段々と情報が集まってきた。
独身、そこそこ高身長、顔もそれなりに良い、紳士的で優しい……なるほど、やばいな。想像より好条件な男すぎて女のあたしが勝てる未来が見えない。強いて言うなら勝てるのは金くらいか。…それも親の金だからほぼ負けみたいなもん。
どうするかなぁ…話聞いてる感じ、定期的に食事にも誘って、何年もかけてじわじわ狙ってるっぽいんだよね。椿さんは全然気付いてなくて「本当に良い人なの!」なんて純真無垢に言ってるけど…それ多分、下心しかないよ?見る目には自信あるんじゃないの?
無警戒な椿さんのことも心配になりつつ、どうライバルを潰そうか会話は交わしながら頭の隅で考え続けた。ついでに名前とか見た目の特徴も聞いておいた。…脇田ね、覚えた。
他にも、前に務めてた仕事の話や、掛け持ちバイトの話なんかも聞いて、思ってたより苦労人だったことを知る。
…苦労が顔に出ないタイプなのかな。
そんな境遇なら老けそうなもんだけど、相変わらず椿さんの美貌はある程度の若さを維持していて…改めてさらに驚いた。
「それにしても…ダブルワークで働いてたとか、大変でしたよね?」
「ええ。今はなんとか正社員一本に絞れたから比較的楽だけど…少し前まではほんと、大変すぎて記憶ない時もあるわ」
「ですよね…そこまで出来るのがすごい。あたしには真似できない」
「…大切な子供達のために、頑張る以外にできる事がなかったのよ。私は不甲斐ない母親だから…」
暗い顔をさせちゃって、内心焦った。
傷付けちゃったかな…地雷、踏んでないよね?
慌てて取り繕おうと声を出そうとして、ふと。
子供“達”…?
妙に、その言い回しに引っかかりを覚えた。
「あれ、もしかして……子供、何人かいる感じ?」
包み隠さず聞いちゃったら、
「ふたりいるわよ?」
当たり前みたいな顔が返ってきた。
ま、まじ…?まさかのふたり……あれ。でも…
「もうひとりの子は?家…昨日とかもいませんでしたよね?」
「うん、もう今は同棲してるから」
「ど、同棲…?」
ってことは、年齢的に……確実に、大人だ。少なくとも18歳以上ってことになる。あのクソガキ…紅葉とは年の離れた姉?兄?なのかな。
「え。い、いくつ…なの?その、もうひとりの方は」
「この春、25歳になるわ」
想像を遥かに上回る娘の年齢に、絶句する。
ちょっと…待って。椿さんは高校卒業してすぐ子供産んで結婚したって話もしてくれたから……そうなると、単純計算でも…
そして同時に知ってしまった椿さんの正確な年齢にも、合わせて言葉を失う。見た目年齢が10歳も若く見えることにも驚いて……絶句の連続が止まらなかった。
だけどさらに、あたしを絶句させることを……娘の話ができて嬉しいらしい、やたらお喋りな椿さんの口から聞くことになる。
「名前は楓って言ってね、渚ちゃんっていう女の子と…」
「は!?」
聞き慣れた名前が並んで、思わずテーブルをバンッと強く叩いて腰を上げた。
「か、か……かえで…?なぎ…さ?」
「え…ええ。私の娘と、その同棲相手の子よ?」
「ま……ま、待って。嘘でしょ?」
「嘘なんて言わないわよ〜、もう…」
てっきり、名字が同じだけど……親戚のお姉さんくらいに思ってたのに。
まさかの、母親。
なんかもう…運命とかじゃなく、クソ意地悪な神様の悪戯な気がしてきた。
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