第8話「お泊まりとガキと」
ひとり暮らしのあのマンションより狭い風呂場で、体を洗う。
熱いくらいのシャワーを体全体で浴びながら、今後のクソガキ…じゃない。紅葉ちゃんとやらに対する対応を静かに考えた。
急遽泊まることになって家に上がって、風呂を借りる前に軽く話した時に聞いた情報を、簡単に脳内でまとめていく。…まとめるほどの情報量でもないか。
紅葉ちゃんは椿さんの実の娘で、今は中学生らしい。
性格は、部屋に入る前の一連の流れから……多分、クソ生意気なクソガキだってことは分かりきってる。
それなら、仮にも大学生であるこのあたしが大人になって、優しい対応をしてやればいい。所詮はガキ、単純だからすぐ騙されてくれるでしょ。
「紅葉ちゃん」
風呂から出てすぐ、リビングのソファでテレビを見ながらくつろいでいた紅葉ちゃんに、にこやかな笑顔で声をかけた。
椿さんは入れ違いで風呂に行ったから、話して仲を深めるなら今のうちだ。
「……なに」
つれない態度で返事をされても、笑顔は崩さない。
「さっきはごめんね?ひどいこと言って」
「…お前、お母さんのストーカーかなんか?」
「あ?」
いきなり失礼すぎることを聞かれて、思わず低い声が出る。だけどすぐに気持ちを切り替えた。
「す、ストーカーなんて…やだな。ちがうよ?」
「じゃあ、なに?」
「お友達だよ」
「えー…ほんとに?」
「うん、ほんとだよ」
一応、納得はしてくれたのか紅葉ちゃんはあたしから視線を外して、またテレビを見始めた。…このガキ、まじで話しづらいな、だるすぎ。
だけど、椿さんの好感度を上げるためだ。仕方ない、ここはグッとこらえて…
「いつまでいるの?はやく帰って」
「今日はお泊まりなの」
「もみじ、お前きらい。だからお泊まりはだめ」
「な、なんできらいなのかな?」
「笑った顔がうそつきだから」
それを言われた瞬間に、
「調子のんなよ、クソガキ」
作っていた笑顔が消え失せた。
「ガキには分かんないかもだけど、大人には嘘でも笑わなきゃいけない時があんの。大事なことだから覚えときな?」
「……もみじはそんな大人になりたくない」
「あとあんた、エレベーターで会った時からずっと思ってたんだけど、自分のこと名前呼びすんのやめな?」
「なんでよ」
言われたくないことだったのか、ムッとした顔に変わるのを見て、いくばくかの満足感を得る。
…まぁ、その年でまだ名前呼びってちょいちょい周りに言われ始めたりすんのかな?変だよ、とか。
ただ、あたしがわざわざ言った理由はそんなくだらない、馬鹿にするような気持ちからじゃない。
けっこう真剣に、純粋な心配からだ。
「危ないから」
あたしの忠告の意味が伝わらなかったのか、クソガキ紅葉は小首を傾げて眉をひそめた。
「知らないやつの前で、そんな簡単に自分の名前言ったら危ないよ。紅葉ちゃんって言うんだ〜って、すぐ分かっちゃうから」
「……それの、何があぶないの?」
「あんたはまだ知らないだろうけど、世の中には怖い大人もいんの。だからせめて外では名前呼びやめときな。怖い目にあいたくないでしょ?」
「うん……怖いのはやだ」
「なら今度からは、“あたし”とか言っときなね。家とか…仲いい子の前では別に名前呼びでもいいからさ」
「わかった。ありがとう……えっと、お前」
名前を知らないからって、名前を呼ぶみたいにお前と言われてまたちょっとイラッとする。けど、素直に人の言うこと聞いてくれたし、お礼はちゃんと言ってきたからまぁ…許してあげるか。
「あたしの名前、桃っていうの。よろしくね」
「………別に仲良くしたくない」
「なんでよ、仲良くしろよ。クソガキ」
「あたし、お前みたいなやつきらい。口悪いから」
こ、こいつ…
どうやら本当に仲良くする気はないようで、そのわりにあたしに今さっき言われた「仲いい人の前以外では名前呼びしない」というのだけはしっかり守って、“あたし”呼びに変えたクソガキを、イライラしまくった顔で睨む。
こんなに腹立つガキ、はじめて会った。そもそもガキと関わる機会なんてそうそうないけど。
一周回って、生意気だからこそ服従させてやろうという気持ちが沸々してきた。
こうなったら、なにがなんでも手懐けてやる。
「口悪くしないからさ、仲良くして?おねがい」
表情管理なんてこいつの前では無駄だと分かっていて、その上で完璧なまでの笑顔を作り上げた。
「……あたし、知ってるよ」
「うん、なに?」
「そういうの、ぶりっこって言うんだよ」
う、うぜえ。
でも落ち着け、そっちがそう来るなら、こっちは全力のぶりっこモードで対抗してやる。見てろよ、ぶりっこがいかに可愛いかを。
「えぇ〜、やだぁ……そんなに可愛いってこと?褒めてくれてありがと」
「それは、ナルシスト」
「っ…も、紅葉ちゃんは物知りなんだね〜、すごぉい」
「男にこびうる女だ」
「こ、媚びなんて売ってないよ?」
「あたしにそれやっても意味ないのに。おばさん、アホなの?」
うん、むりだ。
こいつムカつきすぎる。
「ふん、ぶりっこもナルシも媚びも全部、大人には必要なんだよ。まぁガキンチョのあんたには、まだ分かんないだろうけどね?お子ちゃまのあんたには!」
「……おとなげない」
「っ…まじうざい。うざすぎ。クソ!バカ!」
「あ、バカって言ったらだめなんだよ!」
「うっさい、ばーか!ばーかばーか!何回でも言ってやるよ、ばーーー…」
「はぁ〜お風呂きもちよかった、さっぱり」
「あ♡おかえりなさい、椿さん」
あっぶな。
後ろから聞こえてきた声に即座に反応して、作り笑いと明るい声で振り返った。
き、聞こえてた…?今の、クソガキへの罵倒。
そう心配になったけど…意外にも椿さんは何も言ってこなくて、不安になって確認したら声は聞こえてたけど会話の内容までは分からなかったらしい。
ホッと胸を撫でおろして、今度からはまじで気を付けよう…と、ついカッとなってしまった大人げない自分を諌めた。
「さてと…もう寝るわよ、紅葉」
「はーい!もみじ部屋行くね」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさーい」
あたしの時とはまるで違う良い子ちゃんな返事をして、クソガキは部屋から出て行った。…くそ、まじで覚えとけよ、あいつ。
次こそは絶対服従させてやる。
そう心に固く決意して、
「紗倉ちゃんも、寝ましょ?」
「はい!」
とりあえず今は、椿さんと一緒に寝られることに、幸せを噛み締めることにした。
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