第7話「恋と愛」
あたしの中で、恋と愛はまるで違う。
よく“付き合ったら結婚する”とか…“恋がいつしか愛に変わる”なんて聞くけど。
恋の先に、愛なんてない。
そもそも人からの愛情なんて微塵も知らないあたしが、他人に愛情を抱くなんてバカげたこと…できるはずもなかった。
だから、あたしの恋の先には何もない。
何も生まれない。芽生えない。
男とこれまで長く付き合えなかったのは、それもある。どれだけ時と体を重ねても、愛になんて変わらないから。
与えられる快感に、感覚に、体温に飽きたら…その時点で終わり。
椿さんに対しても、それは変わらない。
彼女のことは外見にも内面にもすでに惚れてて好きだって自覚はあるけど……これが愛になる事はない。知らない感覚を、愛情というやつを、あたしは心に宿すことはできないから。
仮に付き合えても、今までと同じように。
飽きたら……
「……やだな」
椿さんとの他愛もない会話を終えて、解散して、家に帰ったあたしはひとり、寂しい気持ちを誰にも聞かれることのない室内で吐き出した。
「一生…飽きないでほしいな」
その時が来たら、終わっちゃうから。
それが嫌で、自分の飽き性を初めて恨んだ。いつもなら楽で気に入っていたこの性格も、椿さんの前だと嫌悪の対象になる。
相手を好きになればなるほど、自分を嫌いになる。
こんな複雑な気持ちを抱えるなんて初めてで、もしこれが本当の恋なら、こんなに辛いことはない。
渚に抱いていた小さな想いなんて、比べ物にならないほどに大きく膨らみ始めた恋心は、自分の存在をどんどん押し潰して、醜く形を歪めていく。
「はぁ……一目惚れの相手、間違えたかな」
苦しくなる相手ばっかり、好きになっちゃう。
ドキドキもしない男達は簡単に手に入るのに、なんでこう手に入らなそうな人間に限って、こんなにも想いが募るのかな。
……手に入らないからかな。
ゲーム感覚で恋をしてきたせいで、難易度が上がれば上がるほど燃えちゃうとか?…ありえる。
自分でも気付いてなかった原因が見つかって、それならいいやと重くなっていた胸の内を軽くできたことに安堵する。
もしそうなら……これまで通り、策略的にいこう。
意識的に、どんな自分が今一番かわいいか考えて、何を言えば、何をすれば、どんな表情作りなら相手の心を掴めるのか、冷静に見極めて分析して行動に移す。
それが、愛を知らないあたしの恋の仕方で、それ以外の方法を知らない。
「……久々に、遊ぼっかな」
ぼんやり考えていたら、急につまらなくなっちゃったからやめてただけの男遊びを思い出して、また復活させようかとなんとなく思って、さっそく出かけるための準備を始める。
「ん…?」
そこで、ちょうどスマホに着信が入った。
「……椿さん」
意外な人物に驚いて思わず声に出して、初めての通話にちょっとドキドキしながらスマホを耳に当てた。
「も、もしもし?」
『あ……ごめんねぇ、いきなり』
申し訳なさそうな声が聞こえてきて、なんだか気が抜けて苦笑する。
「大丈夫ですよ。…で、なんかありました?」
『そうそう、紗倉ちゃん忘れ物してたから…それを伝えたくて』
「忘れ物?」
『キーホルダーかな…?小さいくまのやつ』
「あー…」
鞄の飾りに、かわいいかなと思って適当に付けてたやつかな。取れちゃったんだ。
「いいですよ、別に。捨てちゃってください」
『え…す、捨てる?だめよ、そんなの。物は大切にしなくちゃ』
「どうせまた新しいの買うもん、いらないです」
『うぅん……だけど』
悩ましい声を聞いたら会いたくなって、そのタイミングでそれを口実に会えることに気付いて、
「やっぱり…今から取りに行ってもいいですか?」
下心を持って聞いたら、『もちろん』と快い声が返ってきた。
男遊びに行くための準備は一旦やめて、今度は椿さんに会いに行くための準備を始める。…なんかさっきよりも、ワクワクして楽しいな。
るんるんな足取りで部屋を出て、昼にもお邪魔したあのボロそうなマンションへと向かって足早に歩みを進めた。
そして一度で道を覚えた頭と体で到着したマンションのエレベーターに乗り込んで、ちょうど中学生くらい?のガキ……女の子も乗ってきたから、「何階?」と外面モードの笑顔で階数を聞いた。
「自分で押せる。そんなにもみじ小さくないもん」
せっかく押してやろうと思ったのに、あたしよりも小柄なクソガキは生意気にも足と手を伸ばして、目的の数字のボタンを押した。…あ。同じ階だ。
奇遇だなぁ、ラッキーくらいに思って、お互い黙った状態でエレベーターは上がっていく。
暇だから斜め後ろからガキを観察して……これまた奇遇なことに、なんとなく黒髪の感じとか目つきの感じが椿さんに似てる…なんて思ってたら扉が開いて、ふたり同時に歩き出した。
「……な、なに。ついてこないで」
廊下を少し進んだ辺りで、ガキは振り向いて警戒した様子を見せた。不審者扱いされたことに、イラッとする。
「あんたみたいなガキに興味ないから。自意識過剰すぎ、だるいから話しかけんな」
「うわ……口わる。怒られるよ?おばさん」
「はぁ?どっからどう見てもお姉さんだけど?ガキが調子乗ってんなよ」
「いやどっからどう見ても、ふしんしゃ」
「っ……クッソ、ガキ…」
ピキピキとこめかみの辺りに青筋が浮かんできたのを自分でも自覚しながら、とはいえこんなガキを相手にしてても仕方がないとズカズカ廊下を歩いていく。
そいつも反抗しようと子供じみたことを思ったのか、そんなあたしの歩みに負けじと小走りでついてきた。
「なんでついてくんの!クソガキ!」
「ついてきてない!ふしんしゃ!」
「ついてきてんじゃん!あと不審者って呼ぶな!」
「うるさい!もみじの家もこっちなの!」
そしてついに辿り着いた椿さんの部屋の前、同じ扉の前で…ふたりとも立ち止まった。
「ど、どっか行ってよ」
「あ、あたしもここに用があんの」
「え」
ガキの顔が、驚いたものに変わる。
「ここ……もみじの、家」
「え?」
あたしも多分、ガキと同じ驚いた顔をしてたと思う。
ってことは……こいつ、が。
「ただいまー!おかあさん、なんか変なやつ来てるよ」
鍵を開けて部屋へ入っていった姿と発言に、浮かんだ疑惑の答え合わせはすぐ終わって、確信へ変わった。
「あ、紗倉ちゃん。ごめんね?わざわざまた来てもらっちゃって…」
入れ違いで出てきた椿さんを視界に入れた瞬間に、頭を抱えた。
や、やらかした。
椿さんの子供だって知ってたら、あんなクソ生意気なガキ相手でも対応を考えたのに。
完全に険悪だったさっきまでの雰囲気を思い返して、自分の犯した大きな失敗をどう取り返したらいいか、思考を切り替えて考える。
「どうしたの…?」
だけど、綺麗な顔が覗き込んできて、視界を埋めて……そのせいで、あたしの脳みそは考えることさえやめてしまった。
そしてさらに。
もっとこの人と、過ごしていたいという欲が、無意識のうちに湧いていて、
「今日……泊まりたい…です」
自分でも気が付かないうちに、願望が口から溢れ落ちていた。
目の前の顔が大きく目を見開いた後で、あたしの心臓と欲望をさらに刺激する動作で、ゆっくりと優しく眉毛とまぶたを下げる。
「もちろん」
「椿さん、ずっと言いたかったんですけど…」
「うん、なぁに?」
「子供いるのに、そんなホイホイ……泊まらせていいの?危なくない?」
「……紗倉ちゃんは大丈夫、良い子だもの」
「はぁ……もっと危機感持ってくださいよ。あたしが言うのもなんだけど…子供が嫌がったらとか考えなきゃ」
「…何も考えてないわけじゃないわ」
「じゃあなんで…」
「今の紗倉ちゃんを、ひとりになんてできないもの。…紅葉には悪いけど、紗倉ちゃんのことも心配なの。それに、何があっても子供は絶対守ると決めてるから大丈夫。心配してくれてありがとね?」
あたしが心配なんかしなくても、椿さんには椿さんなりの考えがあってのことだったらしい。
…なら、いいのかな。
少し申し訳なさもあったけど、今さら泊まらないなんて選択肢を取ることもできなくて、結局あたしは彼女の優しさに甘えてしまった。
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