第4話「ほっぺにつける」

























 赤い唇が、開く。


 茶色く、弾力のありそうな棒の、その先端が、むにっと柔らかそうな唇に挟まれたと思ったら、奥にあるであろう歯に力が込められて、噛みちぎると同時に…ぷちゅっと音を立てながら肉汁を口の外へ飛ばした。


「ん…やだ、溢しちゃった。あ、すごい……見て?たくさん出てきた、熱いの」


 もちろん、ソーセージの肉汁の話である。


 なんでだろ……いやらしく見えるのあたしだけ?

 言い回しもえろく聞こえたの、あたしだけかな。これあたしがおかしい?

 メインの料理よりも先に到着したソーセージの盛り合わせを食べている椿さんを見ていただけなのに、食べ方と言葉選びに言いようのないやらしさみたいなものを感じて、ひとり勝手に気恥ずかしくなる。

 一瞬、フ■ラかと思ったわ……んなわけもないのに。

 あたしがそんな事を考えてるなんて露知らず、椿さんは中から溢れ出てきた肉汁に感動したのか、それをあたしの方に見せてにこにこしていた。


「んふふ、これおいしいわよ?あ。紗倉ちゃんも食べて?」

「え…」

「ほら、あーん」


 見せるついでと思ったのか、そのままフォークに刺さった食べかけのソーセージを顔の前まで差し出されて、おずおずと口に含む。

 ほぼ初対面で、間接キスも気にしないでこれやるって……この人、距離感どうなってんの?

 バグりまくってそうな距離の近さにたじろぎつつ、口の中に広がる肉感と肉汁の美味しさに驚いた。まぁ、料理はうまいし、椿さんかわいいし……いっか。細かいことは。

 単純な脳みそは考えることを速攻で放棄して、その後も届いた料理をいちいちえろい目で眺めながら、食事も椿さんの顔面の良さも楽しんだ。


「そういえば……紗倉ちゃんはいくつなの?」

「あー…21です。大学3年生」

「あら。やっぱり見た目通り…若いのね」

「椿さんは実年齢より見た目若すぎない?なに食べたらその若さ維持できるんですか」

「何もしてないわよ?…あ、だけど、気持ちはいつでも10代かも。なんてね、ふふ」


 病だけじゃなくて、外見も気から来るんだ……なんて、冗談めかして言う椿さんを見ながら真に受ける。

 仮に椿さんが40歳ぴったりだったとして…うわ、年の差、最低でも倍近くもあるじゃん。これ、あたし相手にしてもらえないかもなー……こんだけ離れてたら子供扱いされそう。

 男ならこのくらいの年の差なんて屁でもない、むしろ簡単に食いついてくるくらいなんだけど……

 うーん、困った。

 別に今すぐ付き合おうとか、そういう気持ちはまだ持ってないけど……付き合えるんなら全然付き合いたい気持ちはあるよね。普通に。

 でも、そういえば。

 …チラリ、と左手を確認する。

 そこに思っていた指輪なんかは嵌められてなくて、一旦は既婚者ではなさそうなことに安心した。付き合うなら、こういう事は真っ先に確認しておかないとね。

 にしても……こんな美人なのに40歳まで独り身?いや、1回くらいは結婚してそう。だとしたら…離婚済みか。未亡人なら問題ないかな。

 よし、時間かけて探っていきつつ…


 アタックしちゃお。


「んん〜、これもおいしい!」

「ふは。…ソースついてますよ?」


 そんな企みを抱きつつ、会話しつつ、ご飯を食べつつ…口の端にソースをつけて満足げな椿さんの、そのソースを拭いてあげつつ。

 …40代に見えないのは、なんとなく子供っぽいところがあるからかもしれない。そんな事を思って、年相応ではない幼さみたいな部分も愛らしく感じた。

 この人といると……楽しいな。

 年上なのに、全然そんな感じがしない。親近感ばかりが募って、良い意味で年の差を感じられなかった。

 

「はぁ〜…おいしかった。いっぱい食べちゃった」

「ふは、気に入ってもらえてよかった。ここまた来ません?あ、もちろん別の場所でもいいけど」


 椅子の背もたれに体を預けて、ぽんぽんと苦しそうなお腹をさする姿がかわいくて微笑んで、さり気なく次の予定に繋げるために提案してみた。


「またここでもいいけど……せっかくだから、他のところがいいな…?」

「じゃあ、次は和食とかどうですか?てか、次いつ会える?」

「和食も好き!いつ会えるかな〜…ちょっと待ってね」


 そう言ってスマホを見て…何やらブツブツと呟きながら予定を確認してくれた。


「ん、んんー……一番近い予定で、夜に空いてるのは一ヶ月後…かも」

「え。そんなに先なの?」


 想像以上に多忙だったことに驚いて、ふと。


「もしかして……夜は、彼氏とデートとか?」


 浮かび上がった疑問を、そのまま口に出した。


「いやいや、彼氏なんてもう何十年もいないもの。デートの予定なんて皆無よ」


 何十年も?


 こんな、美人が?


 ……なにか、訳ありなのかな。

 女が好きとか?…とか、都合よく考える脳内には喝を入れつつも、いよいよ「あたしにもチャンスあるんじゃ?」と希望の光が心に宿った。


「でも、一ヶ月後かぁ……えー、やだな。もっとはやく会いたいんだけど」

「ん…ふふ。そんな風に言われちゃったら、なんとしてでも予定空けたくなっちゃうな?ちょっと待ってて、もう一回考えるから」


 わざわざあたしのために予定を組み直してくれるらしい椿さんに、それですでに大きな満足感を得ながら、おとなしく待つ。


「いや、でも…うーん……夜は家にいなきゃだから…」


 独り言を耳に入れながら、在宅かなんかの仕事でもしてんのかな…?と呑気に思考を巡らせる。見るからに忙しそうだもんね、仕事。

 浮かれていたからか、この時のあたしはいつもならすぐに浮かぶであろう簡単な憶測すらもうまく考えられていなかった。…無意識のうちに、考えることを避けてたのかもしれない。

 そのことに、自覚もないまま。

 暇だからとりあえず水を飲み続けて、数分。

 ようやく、眉間にシワを作って唸り悩んでいた椿さんが、困った顔を上げた。


「やっぱり…無理かも。で、でも」

「あー……そっか。それなら仕方ないですね。じゃあ、次に会うのは一ヶ月後…」

「っや、やだ」


 スマホを雑にテーブルに置いて、咄嗟な仕草でコップを持っていたあたしの手に、椿さんの手が重なった。


「寂しくなっちゃうから……そんな冷たいこと言わないで?」


 は…?なんなの、この人。


 不意に見せられた寂しがりやな一面に、心臓がキュンと潰される。

 他の人にも、こうなの?だったらやばすぎ、こんなん誰だってやられたら惚れるでしょ。はぁ…小悪魔って、こういう人のこと言うんだろうな。無自覚でモテそうなの腹立つ。

 なんとなく、ムカムカしてきた。


「冷たいって……そんなつもりないんですけど。会えないの椿さんの予定のせいだし」

「あ……ご、ごめんなさい。そうよね、仕方ないものね…」


 つい低い声を出したら、しゅんとした顔で手を離して、椿さんは分かりやすく落ち込んでいた。


「でも……紗倉ちゃん話しやすいし、また会いたいな…?」


 あたしを怒らせたと思ったのか、顔色を窺うみたいな仕草で視線を向けられる。なにその顔…かわいすぎ。


「もちろん。次は一ヶ月後ですけど」

「一ヶ月か……ごめんね、私が夜に時間が取れなくて」

「逆に昼間は?」

「あ。そうね、そういえば昼があった…」


 うん、多分この人バカだ。

 天然とも言える椿さんに苦笑しつつ、結局その後また改めて予定を確認したら「昼なら3日後の休日が空いてる」と言われた。


「だけど…お出かけは無理そうなの」

「え?それじゃあ、やっぱり会えな…」

「だから、私の家に来ない?」


 初めて会った時から思ってたけど……椿さん、不用心すぎない?

 いくら女だからって、そんな簡単に家に人を招いていいの?たかだか会って2回目の、それも自分より年下で軽薄そうな、このあたしを。…貞操とかお金とか宝石盗まれる心配とかしないのかな。


「あんまり……信用しない方がいいですよ?会ってまだ二回目なのに、家に上げるとか危ない…」


 心配になって言ったら、


「紗倉ちゃんは、悪い子じゃないもの。平気よ」


 初めて会った時と同じ、警戒心も何もない笑顔が返ってきた。


「そんな、簡単に…」

「これでも、それなりに年取ってるのよ?人を見る目には自信があるの。紗倉ちゃんは良い子に決まってるわ」


 得意気に胸を張った姿を見て、どうしてか…ズキンと良心が痛む。


「あたし、は……そんな、良い人間じゃない…」


 この純真無垢そうで、人の良さそうな椿さんの信用に値するほどの、人間じゃない。


 だって……だって、あたしは…


「汚い…から」


 心も、体も。

 色んなことや、ものに。

 すっかり汚されてしまったあたしなんか、良い子でも何でもない。椿さんの言うような、悪い子じゃないなんてこと…微塵もない。

 悪い子、でしかない。

 それを自分で自覚していて、辛くなって、自分の腕を、爪を立てながら掴んだ。


 あたしも、距離の近さに…彼女の天然さに、影響されたのかもしれない。


 こんなこと、普段なら他人には絶対に言わないのに。渚にだって、見せたことがないのに。

 あまりにも醜すぎて暗すぎるあたしの内側のその欠片を、


「…綺麗よ」


 どこまでも、穏やかで優しい声が拾った。


「だから大丈夫。そんな暗い顔、しないで?」


 気が付けば自分でも知らないうちに俯いていた顔を上げたら、声と同じ…全てを包み込んでくれそうな、柔和な笑顔を向けられていた。


 胸と目頭が熱くなって、喉の奥が苦しい。


 まだ、会って…たったの二回目なのに。


 やっぱりあたし、この人に恋に落ちてるんだ。


 この出会いが本当に運命であればいいのに、と。


 柄にもなく、そんな乙女な希望を胸に宿した。











 ちなみに二回目の食事は、


「あ。でもやっぱ、二回目で家はさすがにまずくない?やめときません?」

「うーん……だけど、会いたいわ…?だめ?」

「めっちゃ嬉しいけど……さすがに不用心すぎるって。次も外食にしましょうよ、あたし奢るから。そんな家空けられないなら、すぐ帰れるように家の近くまで行くし、時間も短く済むようにするし」

「…本当に優しいのね」

「こんくらい普通だって。…てことで、次回は家じゃなくて外ね」

「ええ、ありがとう。色々考えてくれて……ごめんなさいね、情けない大人で…」

「いーえ。そんな卑下しなくていいですよ。そんだけ気に入ってもらえてんの嬉しいから」

「ふふ。恥ずかしいわ、気に入ってるのバレちゃったな?」


 ということで、あまりに心配だったから家に行くのはやめて外食することになった。








 


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