第3話「初めての食事」
























 落ち着いた雰囲気の店内に入って、窓際の席に案内される。

 店員から丁寧な仕草で渡されたメニューを、椿さんの方へと向けて開いた。普段あんまりそういう事をされないのか、椿さんは少し戸惑った反応で「ありがとう」と可愛らしく眉を垂らして微笑んだ。


「なに食べます?」

「うぅん……思ったよりメニューが多いのね?これは悩んじゃうわ…」

「ゆっくり決めていいですよ」

「紗倉ちゃんは?」

「あたしは椿さんの食べたいやつ食べたい。だから好きなの選んでください」


 食の好き嫌いはほとんどないから、本当にそう思って伝えたら、これまた慣れないことだったのか目を僅かに開いて見つめられた。


「い…いいの?ひとりで全部決めちゃって」

「うん、もちろん。何にします?」


 テーブルに軽く身を乗り出して、あたしもメニュー表を覗き込む。椿さんは困惑しながらも、顎に指を置いて悩み始めた。

 真剣に考える椿さんを、メニューを見ているふりして……さり気なく目だけ動かして観察した。

 仕事終わりだからか化粧は控えめで、だけどそれでも驚くほど美人な、その顔を。

 顎の下辺りまである長さの、大人っぽく分けられた前髪と、程よい広さのおでこと、長く量の多いまつげと、整った二重線の瞳と、目元のほくろと、滑らかなラインの鼻筋と…綺麗な赤の唇と。

 ひとつひとつ、なぞるように追っていく。


 顔が…良すぎる。


「うん、決めた!」


 なんかもはや完成された芸術品を見てるみたいな気分で鑑賞していたら、パッとその芸術品が動いてあたしの方を見た。


「これと、これにする!」


 無垢で美しい顔が大人びた美しい声で話しかけてくるのを、どこか夢のことのように思った。全てが綺麗すぎて現実味がない。


「?……紗倉ちゃん?」

「あ、ぼーっとしちゃってた。ははは……どれ頼むの?」

「えっとねぇ…」


 ハッとして意識を現実へと戻して、椿さんの持っていたメニューを支え持ちながら、目を向ける。

 椿さんが選んだのは、どれもシンプルなもので…あんまり凝ったような料理は好きじゃないのかな?と選ばれたメニューから好みを推測しつつ、店員を呼んで飲み物と一緒に注文した。

 

「注文まで……ありがとう。何から何までごめんなさい、頼りきりで」

「いいんですよ、あたしがしたくてやってるから」

「ふふ…紗倉ちゃんは優しいのね」


 あたしに優しいと言ったその瞳の方が、どこまでも優しく細くなる。


「……椿さんは、かわいいね」


 心の声をそのまま口に出したら、細まっていた瞳が今度は呆気にとられたように見開いた。


「や、やだ…そんな風に褒められることなんてないから……て、照れちゃうわ」


 動揺でまつげを伏せて、黒い瞳を泳がせて、頬に手のひらを当てた椿さんを見て、そんなんありえないという気持ちで眉をひそめた。


「褒められるでしょ、絶対」

「も…もう、おばさんだもの。男の子からはたまに“きれい”とは言われるけど……かわいいって褒められることなんて、ないわよ…?」

「気になってたんですけど、年いくつですか?」


 女に年齢を聞いちゃいけないとかよく聞くけど、そんなのは関係ない。気になったら聞く、それが一番。

 あたしの質問に、椿さんは言いにくかったようで唇をきゅっと横に伸ばすように閉じて、どうしようか……という気持ちを表したみたいに斜め上を向いた。


「う、うぅ〜ん……と、年は、ちょっと…秘密、かな」

「えー。なんで」

「い…言いたくないの。ほんとのほんとに……おばさんだから」

「そんなに?いうて30歳…前半くらいでしょ?32とか、そのくらいじゃないの?」


 本当に言いたくなかったらしく、顔を伏せて年齢も表情も隠した椿さんにあたしの予想年齢を正直に伝えたら、すぐに上を向いた顔は、ものすごく眉間にシワを寄せていた。


「それ……本当に言ってる?」


 え、やば。怒らせた?

 もしかして…もっと若かったとか?

 確かに20代後半とか言われても…ギリ、見える。いや、やっぱ厳しいかも。

 顔はそれでもギリ違和感ないけど、まとう雰囲気が明らかに20代のそれではなくて、それにしては落ち着きすぎてるというか……本人の言うババアじみたところがあるから、30代かな?と思ってたんだけど…もしこれで違ったら相当まずい。

 普段ならあんまり気にしないことで、珍しく「嫌われた?」という危機感を抱いた。


「も、もっと…上よ」


 あんまり言いたくなさそうな声で、椿さんが言う。


 あ、そっちか。と安心した。


「じゃあ35とか?」

「い…いや、もっと……上」

「は?」


 え、30代後半ってこと?

 まんまと、ことごとく外れてばっかりな予想に困惑して、言葉を失う。


「あの、えぇとね……紗倉ちゃん。お世辞で言ってくれてるのかもしれないんだけど、その」


 くっ…と悔しそうに目を閉じて何かを葛藤した後で、


「私もう……40超えてるの」


 勇気を振り絞った顔で、伝えられた。


「は…?」


 想像を遥かに超えてきた年齢に、思考が止まった。


 うそ、でしょ?


 よ、よん、じゅう…?

 だとしたら、若すぎる。どんな人生送ったら、そこまで年取らないで外見と肌の綺麗さを保ってられるのか不思議通り越して怪訝に思った。

 いわゆる美魔女って、本当に存在したんだ…と、呆然として、目の前の…とてもじゃないけど自分よりふたまわり近く上の年齢には見えない椿さんを、目を見開いてまじまじ見つめる。


「ご、ごめんね……思ったよりおばさんで、幻滅したでしょ…?」

「っい、いや!まじでそれはない!びっくりしただけ」


 落ち込んだ椿さんのフォローを咄嗟にして、動揺した心は隠しきれずに声を荒げた。


「さ…紗倉ちゃん」

「あ、な…なに?」


 何を思ったのか、わざわざテーブルにずいと身を乗り出してまであたしの手を両手で握ってきた椿さんを、目をパチクリとさせて見る。


「こんなおばさんでも……仲良くしてくれる?」


 クールだと思ってた印象の瞳は、今は情けないくらいに眉毛を垂れ下げて、不安に揺れていた。

 手に当たってる体温と、その瞳と、必死なような言葉に、簡単に心を持ってかれて、


「当たり前…じゃん」


 頭の中は真っ白なのに、自然とそれだけは口から出ていった。









 





 






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