第225話 終わった
レイとキクチが互いに距離を詰める。互いに急所に向けてナイフを振り下ろし、突き刺す。しかしそれらをすべて間一髪で躱し、反撃の一手とする。一進一退の攻防ではない。無防備での殴り合い。ナイフが当たれば一瞬で脱落が決定する。しかし二人は逃げず、退かず、防御することは無く。たが相手を仕留めることにのみ注力し、ナイフを握り締める。
現状、有利なのはレイだ。この土壇場でいくらキクチが成長したところでレイとは築き上げた地力が違う。それに近接戦での戦いはスラムで銃を持たずして仕事をしてきたレイの方が得意であり慣れている。
それでも力が拮抗しているのはモンスターによる影響が大きい。より脅威度の高い敵から仕留めようとプログラムで設定されたモンスターはレイに狙いを定め、襲い掛かる。
キクチを狙うモンスターやレイに襲い掛かった巻き添えをキクチは被るものの、レイよりかは大変ではない。
だがキクチもレイも一瞬のミスが命取りになる。互いに限界まで集中し、相手の行動の裏を読み、最適解を導き出す。体感ではもう10ほど戦っている。しかし現実ではまだ1分も経っていないだろう。
そしてまた、戦い始めた瞬間から始まっていたカウントダウンがもうすぐで限界を迎えようとしている。
「チッィ……ックソ」
キクチが顔を歪ませながら鬱憤を吐き捨て、一歩退く。いつもならばレイはここで前に進みキクチの首にナイフを突き立てていたが、今回はレイも背後へと移動する。無理もない。
懸賞首『リヤック』がもうすでに二人の傍まで来ている。リヤックは足を上げ二人纏めて踏みつぶそうとしている。このままでは二人とも巻き込まれて脱落。そのために二人は一旦退くことしかできなかった。
レイとキクチが戦っていた場所にリヤックの足が突き刺さる。
二人はその程度のことには動じず、リヤックから目を離し、背後から襲い掛かってきたモンスターの対処へと移る。たったのナイフ一本。しかしそれでも急所を突けばモンスターを殺しきれる。機械型モンスターは難しいが生物型モンスターならば簡単だ。
眼球を潰し、あるいは喉を突く。完璧に殺せずとも致命傷を与えればその時点で勝利は決定している。それに眼球を潰せばモンスターは視界を失ってむやみやたら攻撃する。それに他のモンスターが巻き込まれることもあり、より効率的。
しかしそれでもモンスターの対処が難しいのは事実だ。レイのような異次元の身体能力をしていれば数多のモンスターを相手に大往生を繰り広げることもできるだろうが、キクチはそうではない。無い力を振り絞り、関節や筋肉が悲鳴をあげながらも無理に動かし、限界まで脳を働かせる。
キクチは急速に変化する状況に全力で対応する。レイはそんなキクチの頭上から現れた。
「ッ――?!」
キクチが頭上から降って来たレイに気が付いた時にはすでに目前にナイフが突きつけられていた。だが幸いに機械型モンスターがキクチを攻撃しようと頭上を覆ったことでレイのナイフは防がれ、間一髪で生き延びる。
(どこから来やがった)
機械型モンスターを避け、キクチがレイを見る。リヤックの足はまだ地面についている。足が邪魔して一直線に来ることはできないはずだ。しかしレイは一瞬でキクチの頭上まで移動した。
今はすでにリヤックが足をあげて、同じように足で踏みつぶそうとしている。キクチがレイが移動したからくりについて思考する時間は残されていない。一旦、不要な思考を捨て去って、キクチがレイの元まで距離を詰める。
その際、頭上を覆って攻撃してきた機械型モンスターが障害物となって遮るが、キクチは脇をするするとすり抜けてレイの元までたどり着く。そしてそれとほぼ同時に、リヤックが足を振り下ろす。
キクチはリヤックの攻撃から逃げるために背後へと移動するレイに対してさらに距離を詰める。このままでは二人まとめて踏みつぶされる。そう考えたレイがキクチの足止めをしながら引き離そうとした。しかしリヤックの足が地面に到着するまでの僅かな時間でキクチを引き離すのは困難。
レイが頭上に視線を向ける。鱗の貼り付けられた足が見えた。そしてレイが一瞬だけ空を見上げた瞬間、視界の中でキクチが遠くへと消える。異常を察知したレイがすぐにキクチに焦点を合わせ、理解する。
キクチの背中に一本の紐が見える。一瞬の攻防の中でレイはキクチの背中に縛り付けられていた紐を見ることができなかったが、今、見えた。紐を辿ってみると先ほどキクチが交わした機械型モンスターに繋がっている。
その機械型モンスターは現在、後方から来た多数のモンスターに踏みつぶされ、背後へと追いやられている。追いやられている、つまりたわんでいた紐が張り、やがてキクチも後ろへと追いやられる。
いつ背中に紐をつけたのか、恐らく機械型モンスターの脇をすり抜ける時。レイの目で見えなかった。
「……ッチ、クソ」
リヤックがいるというのにキクチが追い打ちをかけるわけだ。確証は無かったのかもしれないが、キクチは機械型モンスターが背後へと追いやられ、それによって自分も後ろへと引きずられると分かっていた。それもリヤックの足から逃れるほどに早い速度で。レイだけを置いてけぼりにして。
一か八かの賭けだ。機械型モンスターが後ろに行ってくれる保証なんてない。逆に先頭を走って近づいてくれば紐で縛り付けられたキクチからしてみれば邪魔以外の何物でもない。
その時、ナイフで紐切れば良いが少しの隙が出来てしまう。レイに対してそれは致命的だ。
本当に一か八かの賭けだ。
しかしキクチは勝った。
このまま行けばレイは踏みつぶされ、キクチは空中で紐を切って生き延びられる。
だがレイには何もすることができず、考える暇すらも無く。
(……クッソが)
勝ち誇ったような笑みを浮かべて空中で引きずられるキクチを見ることしかできなかった。
◆
リヤックがレイを踏みつける。一方でキクチは空中で紐を切り離し、着地すると共に後方から来たモンスターから逃げようとする。そしてキクチが振り返って走り出した時、同じようにリヤックが足をあげて次はキクチに照準を向ける。今度は足を引き上げることは無く、レイを踏みつぶした足とは逆の足で擦るように、あるいは蹴とばすようにキクチを狙う。しかし、リヤックが体勢を崩したことで足は空中を舞った。
予想していなかった事態にキクチは目を見開く。だがすぐにその理由に気が付いた。なぜなら、リヤックの足元にレイの姿が見えたからだ。
「お前……」
思わず声に出してしまった。何故今、目の前にレイがいるのか。キクチには分からない。確かに踏みつぶされたはず。いや、レイが踏みつぶされるまでの一部始終を見ていたわけではない。
何が起きたのか、キクチは完全に理解してはいない。
(なんで生きてる……)
キクチが背後から来るモンスターに気を配りながらレイを見る。一目瞭然。レイの右手には鉄塊の如き斧のようなものが握られていた。恐らく、リヤックが商業施設を破壊した時に出た残骸だろう。
ホログラムで出来ているためリヤックに攻撃することができる。現に、立ち上がろうしているリヤックの足のアキレス腱の辺りが断裂している。本物と比べて防御力が低く、体長も小さいリヤックだからこそ残骸を振り回すだけで足を破壊できた。
リヤックは本来は様々な反重力や磁気圏を作り、操作する機関が体内に埋め込まれている生物だ。行動はそれら機能を前提にして組み立てられている。このホログラムで出来たリヤックはダグラスボリバボットとバルドラ社が協力してリヤックを倒した時に得られた、行動データや解剖した際に得られた情報などを元にトレースして組み立てられたのだろう。
それにリヤックはもともと空を飛ぶ。体内の反重力機関や重力操作の機能を最大限に活用し、空へと飛び上がり滑空して移動する。完全に飛行している訳ではないが、それでも滑空はすることができる。そして滑空するために生物型モンスターの持つ厚い脂肪や強靭な筋肉といったものを持たず、代わりに様々な機能が詰め込まれた器官を体内に有し、それらが生物型モンスターの備わっている防御機能の代わりを引き受けているた。つまりリヤックは本来の生態的な防御機能は弱い。それでも一般のモンスターに比べると強力なのだろうが、生憎、レイ達が今相手にしているのはリヤックを小さく、弱く、矮小にした存在だ。
(近くに落ちてたか……だがあれを振り回してリヤックを……?)
だがいくらリヤックが弱いからと、建物の残骸で破壊できるかは疑問だ。それにあれほどの大きさがある残骸。持ち上げることすらも一苦労だろう。超人的な身体能力を持つレイならば振り回すことができるのかもしれないが、武器が持たないだろう。
(いや、今回だけか)
よく見てみるとレイが手に持っている建物の残骸にはひびが入り、凹凸は砕け散っている。リヤックの健を叩き切った時に壊れてしまったのだろう。使えるのは後一回程度。キクチに対して使うには大振りすぎる。モンスターの処理にしか使えないだろう。
そしてその残った一回も、レイが倒れ暴れるリヤックの首に向けて振り下ろしたことで斧のようなものは完全に壊れる。代わりに、リヤックは首から裂け血を垂れ流す。
リヤックの四肢の一部がキクチの背後を取り囲むようにして倒れ込み、背後から来ていたモンスター達の行方を塞ぐ。
「…………」
「…………」
本物の懸賞首『リヤック』であったのならば建物の残骸を叩きつけられたところで傷一つつかないだろう。しかしホログラムでできたリヤックは最終測定用に調整され、最大の武器である体内機関も除去された状態。本来の『リヤック』はレイがどう努力しても殺すことができないほどに強靭だ。近づけば何も出来ず潰され、あるいは空中へと叩きあげられ自由落下で死ぬだろう。そうで無くとも内部から破裂したり、体の穴という穴から血液や内臓を垂れ流して死ぬ。
それほどまでに『リヤック』が備えていた体内機関は強力だった。それが無い今、リヤックはレイに殺されてしまう程度のモンスターになった。
それでも十分に強力ではあったが、レイが相手では分が悪い。ホログラムの製作者は最初から性格が悪かったが、最後の最後、リヤックで調整ミスをしてしまったようだ。
「さっさと終わらせよう」
建物の残骸を投げ捨て、レイがナイフを握り締める。
「当たり前だ。これ以上の引き延ばすのも面倒だしな」
キクチが笑って答える。
幸い、リヤックの死体が障害物となり一時的にモンスターの侵入が無い状態。
「…………」
「…………」
二人が一定の距離まで歩いて近づく。
そして合図は無く勝負は一瞬で始まり、すぐに終わった。
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