第206話 二対二
キクチとフィリアが五階層で体勢を整えていた。幸い、先ほどの襲撃で負傷することは無く、状況だけならばレイに優性を保ったまま。隣のショッピングモールへと繋がる通路がこの五階層にはあり、それなりに開けた空間。
障害物が少ないということはキクチやフィリアにとって射線が通りやすくなるという欠点があるものの、たったの一人で行動しているレイの方がその欠点が強く働く。数で優る相手に正面からの突破はほぼ不可能。故に障害物を利用した隠密行動や奇襲、逃げ回りながらの戦闘などが主になる。
しかしここでは障害物が柱や背の低い物体しかないためそれが難しくなる。
五階層へと繋がる階段は幾つかある。レイがそれらを上り五階層まで来る可能性が一番に高いだろう。次に隣のショッピングモールから仕掛けるか、それとも逃げるか。
しかしキクチはレイがここで逃げるような奴だとは思っていないし、事実レイは逃げていない。果たしてどこから来るか。キクチ達は息を殺して隠れ、いつでも対応できるような体勢を整えておく。
階段か、ショッピングモールか。しかしレイが現れたのは、発砲音が鳴ったのは全く別の場所だった。
砂が擦れ合うような僅かな物音。風が吹いて自然と鳴る環境音とも錯覚させる音。だがキクチとフィリアは確かに聞き覚えがあった。いつでも戦えるよう体勢を整えていた二人は物音のした方向を見る。
そこには今立ち上がろうとしているレイの姿があった。近くに階段は無く、ショッピングモールへと繋がる通路も無い。レイがどこから来たのか全くの不明だ。しかしそれらの疑問はすべて投げ捨て、キクチとフィリアは物陰に身を隠す。銃声が響きわたりレイがそれに紛れて動き出す。
だがキクチがいる付近以外に背の高い障害物が無く、レイの姿はすぐに見つけることができる。いくら隠密能力に優れていようと、いくら素早く動けようが、二人が見渡せば相応の痕跡を発見し、居場所を特定することができる。
と、すれば数で優る二人が有利。たった一人増えただけだが見れる範囲も撃ち出させる弾丸の数も倍。柱に隠れていようが、レイには厳しい戦いが強いられる。少しでも姿を見せれば撃ち抜かれ、反撃は許されない。
いくら数で優ろうともレイの相手が手練れで無かったのならば簡単に殺せていただろう。しかし相手はキクチとフィリア。策に嵌めて殺すのが難しく、姿を隠してもすぐにバレる。
レイは身を屈め、障害物で姿を隠しながら反撃を行うものの上手くは行かない。途中でキクチやフィリアから障害物ごと破壊され、段々と逃げ場所が減っていく。端へと追い詰められ、身動きが取れなくなる。
(端だ、追い詰めろ)
(そうね)
キクチとフィリアは一瞬だけ互いに目を合わせ作戦を合わせる。
このままいけば相手はジリ貧。何事も無ければ無事に追い詰められるはず―――とキクチとフィリアは思っていたが、すぐにその考えは霧散する。レイが近くにあった壊れた機械を蹴り上げ、一時的に二人の視界を遮ったその瞬間に窓枠を飛び越えて外に飛び出したためだ。
一瞬の出来事。レイは包囲網から逃れた。だがその方法はキクチとフィリアの頭には無い予想だにしないもの。現在、キクチのいる場所は五階。もしここから飛び降りればレイとてただでは済まない。今着ているものは強化服では無く防護服なのだ、身体能力は一般のものをほぼ変わらないはず。窓枠の外に何かしらの緩衝装置があったのか、それとも何も考えずに逃げ出したのか。
キクチ達にはあまりにも予想外な行動であったため一瞬だけ思考が停止し立ち止まる。すぐに動き出したものの、すでにレイはおらず、窓枠に近づいて外を見てみるとが何もない。
緩衝材は無く、遠い地面にレイが落ちているということもない。風に吹かれて消えてしまったかのようにレイの姿が消えている。どこに消えたのか。キクチ達は一瞬だけだが困惑して立ち止まる。
だがその一瞬が命取り。今度はキクチ達の背後から発砲音が響きわたり、一発の弾丸がフィリアの頭部に命中する。すぐに身を隠したから良かったものの、もう一発食らっていればフィリアはその時点で脱落していた。
(チッ。どこから来やがった)
突如として現れるレイに対して鬱憤が溜まるキクチが舌打ちを鳴らす。いつ背後に移動したのか。全く持って分からない。
(落ち着いてください)
冷静さを失っているかのように見えたキクチの肩にフィリアが手を置いて鎮める。するとキクチはレイの様子を確認しながら返した。
(ああ。やることは変わらねえ)
レイが突然現れたところでキクチ達がしなければならないことは変わらない。堅実に動き、確実に追い詰める。変わらない、先ほどと同じように障害物を破壊しながら追い詰める。
対照的に、レイの動きは先ほどと大きく違っていた。
自身の状況が劣勢だと分かった瞬間に障害物で斜線を切りながら窓枠からまた飛び出した。レイの行動にキクチは「またか」と顔を歪ませながらすぐに窓枠へと近づく。
だがその瞬間、窓枠が崩れキクチが落下しそうになった。どうにかして踏ん張り、フィリアの手を借りて落ちることは無かったが、キクチが近づいた途端に窓枠が崩れた。
明らかにレイの仕業によるものだろう。
「ックソ」
キクチが吐き捨てる。そして危険だが再度窓枠が会った場所に近づき様子を確認する。やはり下には何もない。レイはいない。一体何が起きたのか、先ほどと同じように分からない―――と結論を出そうとしたところでキクチは一つ、レイが残した痕跡を発見する。
窓枠から下の壁面にある窪みや突起、そこに降り積もった埃に僅かだが指や手の後がついている。
(……まじか)
つまり、レイはこの突起や窪みを伝って下の階層から上へと上がり奇襲を仕掛け、またこれらを使って下層へと退避したということ。
(防護服でこれか?……人間じゃねえ)
強化服ではない、レイが着ているのは防護服だ。あれだけの勢いで窓枠から飛び出したのだからこの小さな窪みや突起に掴むのは難しいはずだ。強化服による補助もないため相当の握力も必要になる。
とてもじゃないが人間の身体能力をしてない。
「……ッチ。駄目だな、このままじゃ」
キクチが呟くとフィリアも同意する。
「そうですね。こっち行きましょうか」
待ち伏せでは奇襲を仕掛けられ続ける。レイは壁を伝ってやって来るだけでなく、幾つかの階段を使って奇襲を仕掛けてくる可能性、ショッピングモールからの射撃の可能性など様々だ。
それらすべての可能性をキクチ達が予測し、すべてに最適な対応が行われると問われれば否。相手が有象無象の犯罪者であったのならば十全に対応できていただろうが、今相手にしているのはレイ。何度も襲撃や奇襲を受けて、そのすべてを回避し、尚且つ反撃の一手を繰り出すのは限りなく難しい。事実、すでにフィリアが頭部に一発貰っている。この最終測定の基準で言えば、もう一発、頭に弾丸を当てられればその時点で死亡したとみなされ脱落となる。
このまま立ち止まっていてはフィリアのようにゆっくりと負傷を稼がれ、いずれは二人とも脱落。というより、一人でも脱落し一対一となった時点でほぼ敗北は決定しているだろう。このままいけばレイの思うつぼ。
故に今までの作戦を変えなければならず、キクチ達にはたった一つの決断だけが残されていた。この作戦を実行すればキクチ達が被害を被る可能性は高くなる。一か八かの作戦だ。
しかし今の状況を鑑みてもある程度のリスクを背負わなければ勝てないことは明白。
故に、キクチ達がその作戦を選び取るのに時間はそうかからなかった。
「フィリア。行くぞ」
「ええ。直接ね」
下層へと行き。面倒な待ち伏せや奇襲などせずに真っ向勝負。レイがそれをさせてくれるかは分からないが、そうなるように無理矢理もっていかせる。レイを相手に数で優っていようと正面からの勝負は博打だ。
何か一つでも判断を謝ればその時点で死が確定する。それはレイも同じだが、懸賞首討伐の時を知っているキクチからしてみれば、レイがどんな些細なミスであろうと絶対に起こさないのを知っている。
単純な力。培ってきた技術や知識、経験を総動員し、レイを倒す。
キクチとフィリアはそれが難しく、胃が破裂するような緊張であると分かっていてこの決断をした。すでに覚悟は決めている。
(…………)
(…………)
二人が拳を作って軽く当てると、完全に意識を切り替え、作戦を実行に移した。
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