第200話 世間話の一つでも

 休憩所から出たレイは宛てもなくただ長い通路を歩いていた。灰色の所々に掃除に行き届いていない通路。そこを音を立てながら歩く。ゆっくりと、かつかつと。幾つかの部屋を通り過ぎ、幾つかの曲がり角を曲がった。

 そして何時か、レイの足音の先からもう一つの足音がした。長い通路ではよく響く。というより響かせている。レイの先で鳴り響いていた足音はある一定の場所で止まり、そこはレイの目の前にある突き当りを右に曲がったところだった。

 レイが突き当りを目指す。歩幅は変わらず、足音の大きさに変化はない。

 ゆっくりと着実に近づき、レイは突き当りに辿り着く。そして右を見ると壁に背を預け懐かしく笑うキクチの姿があった。


「よお」


 キクチは手を振り上げ、レイのことを歓迎する。

 壁から預けた背中を離し、レイに向かってゆっくりと歩み寄る。 

 この時間、この場所に、レイと同じような防護服を着ている。レイにはキクチがこの通路の先にいる確証が無かった。同時に、キクチにもレイがここ来る確証を持てなかった。しかしレイとキクチは奇妙な縁か、示し合わせたかのように両者を引き合わせた。

 キクチの部隊がレイと戦うことは現状を見るだけで分かり切っており、もし戦わないのならばキクチは別の施設にいる。ここにいるということは『そういうこと』なのだろう。今は互いに敵同士、交わす言葉もあまりない。いや、探せばいくらでも見つかるだろうが、この場には相応しくなく、とすれば自然と会話の内容は絞られる。


「レイ、お前は何時からだ」

 

 キクチからの問いかけにレイが答える。


「11時からだ」

「っは!偶然だな、俺も同じだ」


 分かり切っていたことを、意味がない、そう思いつつレイは苦笑する。


「そうか……」


 世間話の一つでもした方が良いのかもしれない。幸い、時間はある。無駄話の一つや二つ他愛ない。


「……」


 だが、それをするのは今じゃない。すべてが終わった後、何一つとしてあと腐れなくなった時。今はまだ敵。レイの目の前にいるのは丸山組合第三部隊隊長キクチである。

 もしかしたらこの機会を逃せば直接会って話す場が無いのかもしれない。だが、だからと言って今は世間話をする時間じゃない。特に制約があるわけでもないし、これといったしがらみがあるわけでもない。

 だが、ただ今はそういう場じゃない。そういった空気。

 重苦しくも軽くも無い。楽しくも無く、暗くも無い。かける言葉は、場に相応しい言葉は、簡単には見つからない。

 幸い、レイはすでに言葉を用意している。別にこのためにわざわざ時間を使って頭をこねくりまわして考えたわけではない。通路の突き当りを曲がって見えたキクチの姿から自然と浮かび上がってきた言葉だ。

 レイは何も言おうとしないキクチに苦笑すると、口を開く。


「負けたからって恨むなよ」


 キクチも笑い、歯を見せて笑う。


「怖がんなよ、虚言か?」

「本心だ」


 レイが答えると振り返る。もうレイからは話すことが無い。いるだけ無駄、それにこんな狭い通路で無言でいる方がずっとおかしなことだ。振り向いてレイが歩き出す。だがそんなレイをキクチは止めた。


「レイ。俺はまだ後悔してる。フィリアにはまだ恩を返しきれてない。あの時にどうすればよかったか、どうすれば仲間が助かったか、そんな想像は、夢は、こうして直接向き合ってから、良く考える」

「……」

「ファージスの分体を殺せたところで俺はまだ後悔したまま。後悔だ。多分、俺は抱えて生きることになる。懸賞首を殺せれば何かが変わるかと思ったが、そういうわけでも無かった。だがどこかで、ケリをつけなくちゃいけない。いい加減答えを出さないとフィリアに怒られるからな」


 レイはキクチの方に振り向くことは無く、ただ背を向けて聞く。


「レイ。これは私念だ。懸賞首を単騎討伐したお前に勝てたら何かが変わるんじゃないかっていう妄想だ」

「……」

「あの時にもっと俺に実力があったら、あいつらを失わないで済んだかもしれないだなんて想像は終わりだ。俺の実力不足。これが答え。だが目を向けられなかった。本心では理解していたつもりだったんだがな」

「…………」

「これは清算だ。胸、借りるぜ」


 懸賞首との戦いで仲間を失ったキクチ。実力が足らず、ただ未熟だった。奇しくも、それは仲間を失ったレイと重なる。肝心なところで力及ばず、迷い、最悪の選択をしたというのに、何も成しえなかった

 これはレイの過去の失敗と全く同じ。キクチは今、丸山組合の隊員として部下に誇って貰えるような人間になれるように、今度は仲間を失わないように挑む。一方でレイは。


「……安心しろよ、こっちも全力だ」


 自身でも感じ取れないほどに僅かな苛立ちを感じながらレイが答える。そしてすべてが終わったと、レイが歩き出すと後ろから声が聞こえた。キクチではない、違う者の声だ。


「キクチ。早く、いつまで休憩してるのよ」


 フィリアの声。隊長であるキクチが長い間、帰ってこなかったため呼びに来たのだろう。フィリアはキクチに声をかけた後にレイを見て、そして状況を把握する。


「レイさん……でしたか。すみません、迷惑をかけて」


 レイが半身だけ振り向かせてフィリアの方を見る。その時、視界に映ったフィリアの姿は中継都市で一度だけ見た、少しやつれた姿とは大きく変わっていた。肌には張りが戻り、隈は無くなり、全体的に明るい。

 キクチの傍に寄って引き戻そうと肩に手を置くフィリア。


「こっちこそ、貴重な時間を使わせて悪かった」


 笑う。虚しさを消し飛ばすように。目を閉じる。現実を伏せるために。


「……」


 レイが目を開ける。変わらない、フィリアとキクチは少し雰囲気の変わったレイを奇怪な目で見ていた。だからこそレイは口を開く。


「俄然やる気が出て来たな。勝つのは俺たちだ」


 突然の宣言にキクチは面を食らっている、というよりこの宣言は先ほどしたばかり。キクチにしても意味がない。つまり、レイはフィリアに言っている。言われたフィリアは突然、勝つと宣言され不服な表情をした。


「いえ。私達です。結果を残さなくちゃいけませんから」

「そうか」


 レイはそれだけ言うと振り向いて通路を歩く。一方でフィリアはキクチの肩を引っ張って仲間のいるところへと引きずる。


「行きますよ、あの人、キクチの恩人らしいけどなんか感じ悪いです。ぶっ倒しちゃいましょう」


 普段は礼儀正しく『ぶっ倒す』だなんて言葉をフィリアは言わない。だからこそ、吹っ切れたようにそう言ったフィリアにキクチは驚き、だが同時に当然だと口を開く。


「ああ。俺たちでぶっ倒そうぜ。いつもスカしてるあいつには他の表情を見せてもらわねぇと」

「ふふ。そうですか、行きますよ」

「ああ」


 二人は僅かに笑みを浮かべてそう言いあうと最後の測定へと向かった。


 ◆


 レイが長い通路を歩いている。足音を立てて、あるいは立てずに。こつこつと、かつかつと。早い足取りで姿勢を前のめりにして。仲間が待つ休憩室を目指す。そこまで離れているというわけでもなく、レイはすぐに仲間が待つ休憩室に辿り着く。少し重い扉を開き、中を見る。

 テーブルを取り囲み、すべての準備を終えた四人の仲間がレイを待っていた。


「遅かったな。こっちはもう準備ができたぞ」

「ああ。こっちも今、準備ができたところだ」


 テーブルの中に入り、突撃銃を手に持ったレイがアンテラの言葉に応える。そして時計を一度だけ確認した。

 アンテラが突撃銃を握り締め、最後に合図を出す。


「ここが正念場だ。行くぞ」

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