第192話 得体の知れない

 バスの中では特に会話は無かった。ただ淡々とバスに揺られ、数分で目的地に着く。バスから降りて少し歩くとレイは目的の場所であるB-3棟にたどり着いた。しかし彼女の目的地であるA-4はここから少し歩かなければならない。レイは少しだけ歩いて集合場所で待っているアンテラ達を見つけると彼女の方へと向き直って伝える。


「A-4棟はこのまま直進して突き当りを右、灰色の平べったい施設が見えるのでそこだ」


 レイが行くべき方法を指で指しながら説明をすると彼女は小さく頷いた。


「ん。わかった。ありがと」


 軽くお辞儀をしてから彼女は振り向いて歩き出そうとする。だが直前で立ち止まってレイの方を向き直った。


「そういえば君は……ハヤサカ技術研究所っていうのを知ってる?」

「……?ハヤサカって、それは懸賞首ことか?」

「……ふうん。その程度なら別にいいや。ごめ……」


 彼女は突然に口を閉じて、レイでは無くその後ろに目を向けた。何かと思ってレイも振り向いてみるとそこにはアンテラが立っていた。アンテラはどこか呆れたような怒っているような表情、雰囲気を発していた。


「クルスと別れてその子と一緒に来たのかい?」

「え、あ。まあそうだが」

「レイ。さすがにだよ、それは」

「待て。何か重大な勘違いをしてる」


 現状だけを切り取られて判断されるのは困る。複雑な過程を得て今の状況があるのだからそれを察して貰わなければ、それは勘違いだ。レイは少しだけ早口で弁明を行う。


「まずだな、クルスと分かれたのはキクチっていう同業者と会ったからだ。俺はその後に分かれて停留所で待ってたら道を尋ねられたんだよ。それにそもそもこの人……は?」


 レイが振り向いて彼女がいた場所を見る。だがそこには誰もおらず開けた空間が広がっていた。跡形も無く音も残さず、あらゆる痕跡すら残さずに消えている。


「え、は?」


 いなくなっている。彼女はA-4に行きたいと言っていたため勝手に行ってしまったのだろう。そう考えることができる。だがそれよりも重大な問題が幾つかある。まず人がいなくなってレイが気が付かないことなんてありえない。斜め後ろにいたから、アンテラに問いかけられて少し焦って弁明していたから、注意力が散漫になる理由は幾つかあるものの、それが直接的な原因にはならない。

 たとえ耳栓をしていたとしても、背後にいたとしても、そしてその存在を知らずとも誰かがいる、誰かが去ったぐらいのことは容易に知覚できる。だが今回は全く、振り向くまで気が付くことができなかった。

 どんなモンスターであろうと、アンテラやキクチ、ハカマダであろうと後ろに立っていれば嫌でもその存在を感じる。たとえ気配を消すように努力していてもレイには関係がない。絶対に気が付くことができる。

 全方位が敵ばかりのスラムで育った結果、はぐくまれた能力だ。今までに一度も気が付かなったことは無い。だが今回は彼女が去ったことに関して全くと言っていいほどに知覚することができなかった。

 

 思えば、最初、彼女に話かけられた時も突然に背後から声をかけられた。いつもならば背後に誰かが立っていれば気が付く。だがあの時は彼女が立っていることすら気が付かずに、挙句の果てに声をかけられるまで知覚していなかった。

 不思議だとか、不気味だとか、そういう次元の話ではない。


「……アンテラ。俺の後ろに女性がいたよな」


 後ろを振り向いたままアンテラに問いかける。

 レイが気がつけなかったのはまだ分かる。彼女は斜め後ろにいたしアンテラと話していた。無理もない。だがアンテラは気がつけたはずだ。少なくともアンテラは彼女を視界にずっと入れることができる位置にいたはず。テイカーとして鍛えられたアンテラはどんな些細な変化すらも見逃さない。少しでも動いたのなら確実に目で追う。去ろうと動き出したのならば嫌でも気が付く。

 だが、アンテラもレイと同様に困惑していた。


「いや、いたはず……だが。いない、な。どこに行った、あいつは」


 レイと同様にアンテラでさえ彼女が消えたことに気がつけずにいた。位置的にアンテラは彼女を視界に常に収められる場所にいたため、レイよりも気がつけずにいた衝撃が大きく、いつになく言葉を詰まらせている。

 アンテラはこれでも長い間、テイカーとして仕事をしてきた。何百回という遺跡探索を行い、その度に負傷したり死にかけたりなど様々な経験をした。その中でテイカーに必要なあらゆる能力が磨かれ、経験が蓄積していく。最近はタイタンで子守りをしていたため少しばかり感覚が鈍っているものの、コンペティションには万全の状態に戻れるように状態をソロで活動していた時と同等かそれ以上に整えて来た。

 だがそのアンテラでさえ彼女が消えたことに気がつけなかった。

 裏路地のような暗い場所でもなければ、横道が多くある場所でもなく、入り組んだ狭い場所というわけでもなかった。とても開けた場所。身を隠せるような場所は無く、歩いて消えるにしてもアンテラの視界からいなくなるにはかなりの距離を移動しなくてはならない。

 その中でアンテラはさすがに気がつけるはずだ。しかし全くと言っていいほど、それこそレイが振り向いて異常事態に気が付くまで気にしすらしていなかった。


「レイ。あいつは、だれ……なんだ」


 幽霊、亡霊、そんなオカルトが頭の中をよぎる。だがそんなオカルトはありえない。彼女は確かに存在し、レイの後ろで立っていた。そしてそれがオカルトでないことぐらいレイも分かっている。

 話し、問いかけられ、問いかけ、答え、答えられた。オカルトなどでは無く確かに会話を交わした相手だ。

 だが。だからこそ誰にも気が付けずに去って行った現実が信じがたい。


「どこに行ったんだ……」


 アンテラの呟きにレイは答える。


「A-4に行くとは行ってたが」

「A-4?」


 アンテラが表情を変える。


「そこに用事があると言ってたのか?」

「そうだが、何かあるのか」

「いや、特にはないんだがここの訓練施設にある建物の中でA-4棟だけ唯一、何についての施設なのか不記載になってる」


 この訓練施設は広いため全体のマップが存在し、立ち並ぶ建物には番号の他にもどのような施設なのかを表す記載が乗っている。レイが向かっていたB-3には射撃場やフロントなどがありますよ、と記載されているように。


「そうなのか」


 不気味な状況が重なっている。調べれば恐らく分かることなのかもしれないが、単なる好奇心だけで調べて良いような問題でもない気がする。それにこの後は予定があり、そちらに向かわなければならない。

 すでに時刻は差し迫っており、見るとアンテラの指示で買い物をしていたクルスとマルコが帰ってきており、リアムの姿も見えた。


「まあ一旦このことは忘れよう、気にしても意味がない」

「ああ」

「取り合えずは仕事に集中しよう。こっちが本題だ」

「分かってる」


 困惑しているし、不明点を知りたい気持ちもある。だが今はそれらを一旦は忘れ、仕事のことに集中しなくてはならない。二人は僅かながらもわだかまりを抱えたまま気持ちを切り替える。

 そしてやって来るマルコやクルス、リアム達と合流すると仕事をするために施設の中へと入って行った。

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