第175話 提案

 三日後の夜。レイはアンテラに呼び出されてある飲食店へと向かっていた。用件は簡単、マルコとクルスに関してのことだ。アンテラに呼び出され、少しだけ歩いたレイは一棟のビルの前に立っていた。

 様々な施設が入っているビルだ。一階から十数階までは食品店や武器屋、娯楽施設が入っており、それより上の階層は飲食店となっている。最上階の店に行こうとすれば予約は必須であり、値段は100万スタテルを越える。

 今日は当然にそのような店では無く、比較的低階層の場所にある店に呼び出された。

 ドレスコードや値段的な制約は無く、比較的気軽に入れる場所であり、レイは特に準備することも緊張することも無くビルの中に入る。連絡ではロビー付近にアンテラがいるはずだ。

 

「…………」


 レイは少しだけ頭を回して、すぐにアンテラの姿を見つける。同時にアンテラもレイに気が付いたようで通信端末を仕舞い、軽く肘を折って手を挙げて横に振りながらレイに近づく。

 

「すまないな、突然」

「大丈夫だ」


 軽く言葉を交わしてエレベーターの方に向かって歩いて行く。

 今日のアンテラは楽な格好だ。防護服のような少し大きめのジャンパーを羽織って、全体的に食べに行くというより運動をしに行くような風貌。恐らく、ここに来る前にタイタンで訓練の監督でも勤めていたのだろう。

 レイがそんなことを軽く推測しながらアンテラと話し、歩いてエレベーターに乗り込む。


「レイ、この前のことはすまなかった」

「マルコのことか?」

「ああ。まさか尾行するとは思わなかった。あいつは勇気も覚悟も無い。精神的に未熟すぎる。だけどたまにああいうぶっ飛んだ行動をするんだよな。肝が据わってるのか据わってないのか、何度か監督官を務めた私でも分からない。迷惑をかけて本当にすまなかった」

「……いや。別に何事も無かったから大丈夫だ。気にするようなことでもない」


 アンテラがふと首を傾げる。


「何もなかったのか?」

「ああ。何か?」

「いや。帰って来たマルコの顔に殴られた後があってな。鼻血も出してたし、てっきり何かあったのかと思ってたのだが、レイがやったんじゃないのか?」

「いや……あれは俺じゃないぞ。クルスだ。聞いてないのか?」

「三日前は色々と忙しかったからな、詳しく聞けなかった。それに今日までタイタンに行く機会も無かったから聞きそびれてた。何があったんだ」


 何があった、と問われても答えるのが案外難しい。

 レイが扉を開いた時に見えた情報屋―――ラナの体。レイの次に誤解は含まれているもののクルスが現状を理解し、これ以上の被害を防ぐためにマルコの顔面を裏拳で軽く殴った。

 マルコの顔面に残る殴られた跡、というのはその時についたものだろう。

 クルスのおかげでマルコに変な誤解をされる心配は無くなったものの、クルスに変な誤解をされてしまった。弁解しようにも現場の状況だけでチャックメイトだ。それにクルスは「寮母さん怒ってるよ」と言ってマルコを引きずって行ってしまったのでレイが満足に弁明することすら出来なかった。

 そのため今だにクルスには勘違いをされたまま。

 そしてクルスがマルコを殴った理由、と言われてもラナのことは話すことができない。理由は単純に面倒だからだ。それっぽい嘘で取り繕おうにもすぐには思いつかない。

 だが幸い、そこでエレベーターが止まり、アンテラが従業員へと予約していたことを伝えるために会話が中断されたため、レイは命拾いする。


 二人は従業員に個室へと案内される。そして座ると従業員から食事についての軽い説明があり、それが終わると個室の扉が閉まり再度、会話が再開される。


「で、どこまで話したっけな。確かマルコをクルスが殴った辺りか?」

「ああ」

「…………」


 それだけで特に答えようとしていないレイを見てアンテラは話を切り替える。


「レイには関係ないことだが、私も正式にタイタンに所属することになった」

「そうなのか、前に組織は嫌だって言ってなかったか」

「まあね。それは今も変わらないよ。ただまあ、クルスやマルコにもあれだけ接してると自然と情も沸いてね。組織に属する、っていう事に対しての嫌悪感ってのは前よりかは無いかな。それに私にとってはメリットも多いし。まだちょっと考えてるけどほぼ確定って感じかな」

「そうか……」

「どうしたんだい?」


 テイカーは自由に将来を決められる。無謀な挑戦を続けても良し。冷淡な現実に目を当ててつちかってきた技術で別の仕事を行うのも良し。組織に所属し、ある程度の安全が保障された状態で遺跡探索を続けるのも良し。テイカーは何にでもなれる。

 アンテラのように治療費や装備代、弾代などが保証され仲間と部隊を組んで任務を行うような組織に所属するのもまた手の一つだ。もし仕事で重症を負ったとしてもタイタンは治療費を払ってくれる。加えて義足や人工内蔵を買う金も何割かは払ってくれる。

 すべてが自己責任のテイカーにあって、タイタンは組織への責任を負う代償として自己への責任を軽減させる。テイカーとして長く活動してきたアンテラだからこそ、ここらで一歩身を退く決意が出来た。いつまでもテイカーとして自己責任という自由の名の下に無茶はできない。いつかは限界が来る。アンテラはまだ限界など全く来ていないが、体にガタがきてからでは遅いのだ。

 アンテラは今まで一人で自由に無茶をやってきたが、どこかでつまづけば転落していく。タイタンに入っていればそうにはならない。安全と安定、精神的な余裕のためにアンテラはタイタンに入ることを決意した。

 レイはその考えに理解できるし、共感もできるし、同情もできる、しかし何故か納得がいかずに戸惑ったような返答を返した。


「まあ、何というかやっぱ変わるんだな」

「っふ。らしくないな。年を重ねれば人は変わる。もし変わらないのだとしたら、それは成長していないのと同義だよ」


 アンテラが笑いながらコップの中に入った水を口に含む。そして一息置いてから身を少し乗り出して、両肘をテーブルの上に置く。そのままの状態でレイの顔を見て少しだけ神妙な面持ちで聞いた。

 

「レイ、タイタンに入らないか」

 

 これは単なる勧誘ではない。

 アンテラがタイタンに入ることを決意したようにレイもいつかは選択を迫られる。きっとその時にレイを追い詰めるのは、きっとそれは怖さだ。テイカーとして長くやってきたからこそ積み上げてきた実績と信頼、自負。それらは最初の内こそ自らを高みへと押し上げてくれる足場となるが、いつかしか足枷となる。

 高く昇って来たからこそ見下ろした時に見える地面が怖くなる。たった一度、小さな失敗でゆっくりと足場が崩れていく。大きな失敗でもすれば一気に転落だ。だがタイタンにさえ入っていればそうはならない。

 落下してもどこかの地点でキャッチしてくれる。掴まって止まれる足場が別にある。それが組織の強さだ。従業員を見捨てる企業、組織も当然に存在するがタイタンはそうではない。何百人とテイカーを雇ってきたからこそその辺の補償は手厚い。

 アンテラにとってタイタンは最高の条件。そしてそれは他のテイカーにとっても同様のこと。


「君ならば分かっているだろう。いつだって無茶していられないことぐらい」


 アンテラは自身の恐怖の正体が分かっていて、それでいて無茶をしていた。しかしもうそろそろ自分に嘘をつけなくなってきている。

 この恐怖を無くすのは簡単だ。テイカーを辞めればいい。もし辞めたくないのならば丸山組合かタイタンか、それらの組織に属せばいい。簡単な決断では無かったが、タイタンという組織のメリットの大きさが昔よりも大きくなっていることに気が付いた時、アンテラは決めた。

 そして、いずれレイも似たような結末を歩むと―――アンテラはどこかで思っていた。 

 今のレイはアンテラ以上に無理無謀だ。とてつもない速さで駆けあがっている。安全や自分のことなんてかなぐり捨てて、立ち止まるって休憩することすら無く、ただ実直に実績を稼ぎ続けている。

 テイカーになってまだ一年も経っていない。しかし築き上げた実績は活動年数と大きく乖離している。テイカーとしては異例の速さでテイカーランクを上げている、しかしレイは一度も立ち止まることなく恐怖や疑問なんてものは一切持ち合わせず、自負と執念だけを持って進み続けている。

 だがいつかは立ち止まって振り返る時が来る。アンテラのように恐怖を覚える時が来る。

 今すぐにタイタンなどの組織に所属する必要はない。しかしどこかでその必要は出て来る。アンテラはそんなことをたった一言に含ませて訊いた。そしててっきり長考するものとばかりに考えていたが、レイはすぐに返答した。


「いや。入らないよ。ずっと、たぶん一生」


 テイカーを心身共に辞めた時、それが恐らく死ぬときだと漠然とした確信をレイは持っていた。

 返答を聞いたアンテラは僅かに驚い顔をした後、すぐに表情を戻して笑う。


「君らしい。まあ、いつでも待っているから何かあったら連絡してくれ」

「ああ。その時は頼りにする」


 その時にちょうど食事が運ばれて来る。レイはテーブルの上に並べられていく料理に目を移し、静かな時間が流れる。そして店員が一度お辞儀をしてから個室の扉を閉めると、レイは食事に手を付ける前にアンテラに問いかけた。

 

「で、本題はそれじゃないんだろ」


 今までのはすべて世間話。今回アンテラがレイを呼んだのには別の理由がある。そろそろ本題に入ろう、レイがそう言うとアンテラは「そうだね、そうしよう」と呟いて通信端末を取り出した。

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