第174話 小休憩

 遺跡探索を終えたレイがクルガオカ都市へと帰ってきていた。いつもならば装甲車両に乗って家まで帰るが、今日は車両を整備場メカニックに預けているため徒歩での帰宅だ。

 空が完全に暗くなったこの時間帯は多くの人が街を行き交う。ある者は目的の場所へと向かい、ある者は二件目の店へとよれよれになりながらも向かう、またある人は仕事の対応に追われ、忙しなく動き回っていた。

 最近、この時間帯は家にいるか仕事をしているかの二択であったためこの騒がしい光景を見るのは久しぶりだ。レイが前に住んでいたスラムでこれほどの人が集まれば異臭と喧嘩や暴動で面倒な事態になっていただろう。しかし比較的治安の良いこの場所では人が集まろうと騒ぎは起こらない。スラムがおかしいだけで、この風景が普通なのだがレイの住んでいた場所のせいでどうも普通に思えない光景だ。


 ただ、これだけの人がいる空間であってもレイは異質な存在感を放っていた。理由は当然、着ている強化服のせいだ。少しばかりの返り血で汚れ、禍禍しい見た目をしている。

 それだけでレイに対しての印象は大きく下がる。そのせいで人混みの中であってもレイは避けられていた。意図していないこととは言え、周りに迷惑をかけている自覚のあるレイは家に近づくと通りから一本入った裏路地を歩く。

 いつもならば装甲車両に乗って帰宅しているためこうして怪訝な視線を向けられることは無かった。今日だけ、今日だけは仕方ないと、レイは自身を納得させながら歩く。

 その際、レイは足を進めながら通信端末を取り出してある相手に通話をかけようとして画面を開く。ただ、途中で気が変わったのか通信端末を仕舞ってまた歩き出した。

 裏路地から横道に入り、もう一度裏路地に入って家まで遠回りしながら帰る。レイとしては早く家に帰りたいがそうはいかない理由が一つだけあった。


(アンテラのところのだよな……)


 レイは現在、尾行されていた。知らない人物ではない。かといって親しいという人というわけでもない。


(確か……マルコとクルスだったか)


 アンテラの部隊員であるマルコとクルスが現在、レイを尾行していた。理由に関しては全くの不明だ。思いつくことが一つも無い。何故尾行されているのか、なぜマルコとクルスなのか、レイを尾行して何かメリットでもあるのか、一つたりとも理解できない。

 一瞬だけアンテラからの差し金かとも思ったがそれはありえない。レイはアンテラを完璧に信用しているわけではないものの、ある程度は信頼している。尾行させてまで知りたい情報があるのならば直接聞いているはずであり、レイが知る限りアンテラとはそういった性格だ。そして単純にアンテラが部下を尾行させてまで知りたい情報というのも分からない。

 だとすると。マルコとクルスの単独行動ということになる。

 レイは一瞬だけアンテラになぜこうなっているのかを聞こうとしたが、途中で止めた。理由は特にない。面倒だというのが一番大きいかもしれない。今のところ彼らが危害を加えて来る様子は無い。というより、ただ遠目で見ているだけで、もはや尾行しているのかすらも怪しい。

 何かあったのならばアンテラに電話すればいい、レイはどこか楽天的にそう考えて歩き出す。そして人混みに入ると二人を撒くため、強化服を着ているというのに風景に溶け込んで消えて行った。


 ◆


「―――っあ。見失っちゃった」


 遠くからレイを見ていたマルコがそう言葉をこぼした。隣にいるクルスはため息交じりに落胆しながらマルコの頭を叩く。


「多分、私達のことバレてたよ。どうするの。真正面から言えばよかったのに」

「いや、でも」

「なーに言い訳しようとしてんの。アンテラさんにこのこと言われたら私まで怒られちゃうよこれじゃあ。マルコがくよくよしてたせいだよ」


 クルスは頬を膨らませながら容赦なく、項垂れるマルコに攻撃する。


「それにレイさんってアンテラさんの仕事相手でしょ。私達のせいで関係が悪くなったらどうするの。マルコ、あなたアンテラさんに失望されちゃうかもね」

「え、あ。それは」

「だったら」


 すべきことは分かってるでしょ、とクルスがマルコに頭を上げさせる。


「でも」

「難しいことじゃないでしょ。ただ会って謝るだけ。あんたはそれがしたいだけでしょ。なのに尾行って……遠回りすぎ」


 マルコがレイを尾行していた目的は単純明快。レイに救援依頼の際にかけた迷惑のことについて誤りたいからだ。レイとしてはもうどうでもよいことで、クルスやアンテラにとってももはやどうでもよいこと。レイがすでに気にしていないことは分かっているし、アンテラに関してはもう謝っている。

 マルコに原因があるにしろ、もう謝る必要はない。それが分かっていながらマルコがこうして来たのは単純な罪悪感のためだ。周りにとってはどうでもよくても、マルコにとってみれば印象に残る事件だった。それ故に今も心のどこかに残り続け、忘れようと努める旅にその後悔の念は大きくなっていく。

 もともとマルコが気弱すぎるのもある。だがそれ以上に『レイ』という救援に来てくれたテイカーに迷惑をかけてしまったことが情けなく、申し訳なくて罪悪感が増殖する原因となってしまった。

 ただ。

 今までにも謝る機会はあった。それから逃げ続けた結果がこれだ。マルコの自業自得。それに今回の件に関してはクルスに無理言って付き合って貰っている。すべてにおいてマルコが悪い。

 テイカーとしての実力はありながらも精神的には未熟だとアンテラに笑われた男。それがマルコだ。


「別にレイさん怒ってないでしょ。逆に尾行した方が怒るよ」

「それは―――そうだけど……だって真正面から行ったら」

「行ったら?」

「殺さ―――」

「ないない。確かに容赦ないとは思うけど、こんなことですぐ人を殺しちゃうほど倫理観イカれてないって」


 クルスが腹を抱えて笑う。確かにレイはどこか近寄りがたい雰囲気を発している。だがそれはその他のテイカーも同じだ。強化服で武装し、数々のモンスターと戦い修羅場を戦い抜けてきたテイカーは自然と殺伐とした空気を発する。 

 精神的に未熟であるというのとは別に、そう言った感覚的な部分で鋭敏な感性を持つマルコだからこそより過激に感じ取ってしまってレイに真正面から謝ることができなかったのだろう。また、単に勇気が無かったということも関係してはいるが。


「で、どうするのよ。このまま帰る?それともまだ続ける?」


 マルコは項垂れたまま考える。そして少しの時間を使って結論を出した。


「さすがにもう引き延ばせないよ。もう家に帰ってるはずだから……」

「えぇ。それは止めときなよ。直接家に行くのはまずいって」

「それは最終手段。取り合えずもう一度探してみる。あとさすがにこれ以上迷惑かけられないから一人で行くよ」

「んんんー。まあ、まあ……うーん。分かった。だけどさすがに心配だから取り合えず私もついていくよ」

「え、いいの?ありがとう」

「アンテラさんに迷惑かかったら面倒なことになるからね」

「よし。じゃあ行こう」


 マルコが軽く言う。だが軽薄な言葉とは裏腹にマルコは訓練生時代に培った経験を活用し、並みはずれた集中力の元レイを探す。これでも実力だけならば訓練生で一番だった。総合的な面でクルスに劣っていたものの索敵能力や射撃能力などの戦闘面においては一般のテイカーとも引けを取らないほどに洗練されている。

 マルコがその気になれば索敵対象など一瞬で見つかる。あらゆる情報から総合的に判断し、対象の行動を予測し最適な進路を辿って追いかける。マルコが本気になれば見つけられなかった者などいない。少なくとも、今のところは。


(――あれ、あれ)


 レイが見つからない。その痕跡すら無い。どこにもいない。


(あ、あれあれ)


 マルコは索敵対象を今まで逃したことは無い。しかしそれはあくまでも模擬的な訓練の中でだけ、加えてアンテラや腕利きのテイカーなどを相手にしたことはない。故に、レイを見つけることができない。

 単純な実力不足。今まで自信を持っていた能力が信頼できなくなっていく感覚。マルコは次第に焦りを覚え始める。後ろでそれを見ていたクルスはため息を吐きながら何も言わずその姿を見ていた。 

 

(――あ)


 幸い、マルコはレイの姿を見つけることができた。ただ厳密には『マルコが見つけた』というより『レイが姿を現した』という表現の方があっている。視界の中に入って来たレイは片手で通信端末を持って、ビルの前で立ち止まってマルコの方を見ていた。


(え、やば。バレてる)


 しかし今更、どうすることもできない。元々、マルコの尾行はバレていたのだ。嵌められたのか偶々か分からないが、マルコはもうレイの前に出て来ることしかできなくなった。

 レイは通信端末片手にマルコに近づいて来るよう手招きする。マルコは完全に緊張しながら手招きに沿って近づく。そしてある程度まで近づくとレイが先に口を開いた。


「今、アンテラから電話があった。マルコであってるか?」


 その一言だけでレイがなぜ自分の目の前に出て来たのかマルコは理解した。


「は、はい」

「救援依頼の件か?」

「はい」

「アンテラから話は聞いた。先に言っておくが俺はもう気にしてない。あれはこっちの単なる実力不足だ。そっちに非はない。謝る必要も無い」

「いや、それでも」

「あとこれはアンテラからの伝言だが、寮の担当員?みたいな人が怒ってるらしい。早く戻った方がいいぞ」

「は……い」

「それと後ろにいるのはクルス……であってるか?」


 クルスが一歩前に出てマルコの横に並んで答える。


「はい。ちょっと付き添いで、すみません」

「そうか。帰る前に寮の担当者かアンテラに電話してくれ。話があるらしい」

「分かりました」

「それで。もう何もないなら帰るが」


 レイがすぐ後ろにあるビルの地下階層へと繋がる扉に手をかける。だがそこでマルコが口を開いた。


「レイさん……。救助依頼の時、すみませんでした。僕が勝手な行動をしたばっかりにあんなことになって、怒ってると思って今まで真正面に立って謝れませんでした。怖がって引き延ばして、また迷惑をかけてすみません」

 

 頭を深く下げたマルコを見て、そこで初めてレイが表情を和らげた。

 アンテラからの伝言は二つ。一つはすでに伝えた。もう一つはレイに向けてのもの。「マルコが謝りづらい雰囲気を出して」という趣旨の言葉だ。恐らく、精神的に未熟なマルコを成長させるためにわざわざこのような条件を出したのだろう。

 レイはてっきりこのまま有耶無耶にして終わるのかと思っていたが案外、そういうわけでは無かった。

 少し表情を和らげたレイから少し前まで感じていた威圧感は無くなっている。そしてレイは扉の指紋認証に手をかざし、半身をマルコの方に向けながら返事を返した。


「言ったろ。あれは俺の自己責任だ」


 そしてちょうど指紋認証が解除され扉が開く。そしてレイが部屋の中に入ろうと目の前を見た。だがその時に映ったものは思わずたじろいでしまうようなものだった。


「お前、上の階にいるはずじゃ」


 風呂上りなのかほぼ半裸の状態のラナが中に入って奥の方に立っていた。マルコのいる所からは情報屋の足元しか見えないが、それは関係が無い。変な勘違いをされてしまえば終わりだ。今回の件に関してはちょっと格好つけてしまった自覚があるためこの状況はさすがに恥ずかしさを覚える。

 一方で情報屋は帰って来たレイに返事を返そうと扉の方を見る。だが口を開く前にレイの背後にいる、角度的に足だけしか見えない人を見て呟いた。


「え、あ。お客さん?」

「なわけ」


 21時43分。場は奇妙な空気に包まれていた。

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