第143話 キクチ
レイが都市防衛依頼を行っていた。いつものように仕事をこなし、空はすでに赤くなっている。太陽の光で赤茶色になった荒野を眺めながらすでにすべての仕事を終えたレイが息を吐く。その様子には緊張感といったものは感じられない。救援依頼や遺跡探索とは違い、モンスターが来たとしても高感度のレーダーが早めに気が付く。そして機関銃や自動ターレットによって火力も十分にある。
レイは緊張を緩ませて仕事をしている感覚はないのだが、自然とそうなってしまうのは慣れと、いつもの仕事と都市防衛依頼の難易度が乖離しているためだろう。一方で、レイの背後で椅子に座っているキクチは落ち着かない様子だった。レイはその理由を知っているため、特に怪しがることは無い。
壁の中の任務にはレイ以上に慣れているキクチがこの有様だ。任務以外のことで悩みを抱えているのは言うまでもなく、その悩みについてレイは少しだけ知っていた。
「何時からだ」
「19時だ」
壁に埋め込まれた時計に目を向ける。現在時刻が17時40分。予定の時刻までそう時間が無い。
「じゃああと20分で退勤だな」
キクチは今日、予定があるため18時で退勤する。一個人の都合によって勝手にいなくなるのは普通ならば許されないが、キクチの実績とこれまでの働きを鑑みて人事部が許可を出した。
キクチにとってみれば、許可を出してくれなかった方が良かったのかもしれないが。
「断ってくれれば、ずっといれたのによ。それならまだ諦めがついたってもんだ」
「だがあの様子だとずっと待ってるだろ」
「あっちにも……いや、まあ…そうか」
レイがテーブルの上に置いてあった拳銃を手に取って、弾倉を入れ直したりチャンバーを引いたりしながら話を進める。
「紙にはなんて書いてあったんだ?」
「時刻と店の名前。そして『来い』の文字だな」
「それだけか?」
「まあな」
「やっぱ怒ってたのか」
「やっぱ、ってなんだ。お前、事情しらないだろ」
「あの一部始終を見てたらさすがに分かる」
「……まあそうか」
キクチはこの後、フィリアとの予定があった。店でフィリアから渡された紙には日時と店の場所、そして『来い』という文字だけが書かれてあり、絶対に無視できないものだった。
この仕事がたとえ早上がりできなかったとしても、フィリアはキクチを待っていただろう。キクチとしては無視することは出来ないし、逃げることも当然に出来なかった。
レイはフィリアとキクチとの会話を傍から見ていただけだが二人の関係に深い闇があるのは容易に想像でき、キクチがここまで思い悩んでいるのも当然のことだった。レイがモンスターが来るまでの暇つぶしとして、拳銃を分解しているとハカマダが呟いた。
「俺が丸山組合の訓練生だったってのは知ってるよな」
「ああ」
「フィリアも丸山組合の隊員だ。そして元は俺の部下だ」
フィリアが丸山組合の隊員だというのは強化服を着ていたことやキクチとの話で分かっていた。しかしキクチの部下だったという話は予想出来ていなかった。
「そんな階級が上だったのか」
「ふ。これでも訓練生としてそれなりにやってたからな、元は上級戦闘員で部隊を率いてた」
「その時の部下が
「ああ」
キクチが少し項垂れる。レイが今度は拳銃を組み立てながら話を進めた。
「部下あれだけ険悪になるってことは相当のことやらかしたか」
「まあな。一言じゃ表せないぐらいのことをな」
しばらくの沈黙が流れる。その間はレイが拳銃を分解し、組み立てる際に出る金属音が鳴っているだけだった。ただ少ししてからキクチはゆっくりと喋り始める。
「俺の隊にはフィリアの他に三人の部下がいた。一人はフィリアの恋人。一人は訓練生時代からの親友。もう一人も訓練生時代から競い合ってきた仲間だ。最後の一人が外部から来た奴だ、話が上手い奴でかなり楽し気な正確だった」
「…………」
「俺らの仕事はタイタンと何ら変わらない。遺跡探索から、今回のようにテイカーフロントからの依頼を引き受けることもある。大抵、そういうのは部隊単位で仕事を任される。俺ら五人は結構な仕事をした。遺跡探索から巡回依頼。護衛任務から暗殺依頼」
「…………」
「確か五年前のことだ。懸賞首討伐の話が組合の中で上がってきた。誰が受けるかは挙手制。さすがにこれだけ危険な依頼だと命令して任せることも出来なかったんだろうな。俺らは当時、すべての依頼を成功させてきたからきっと慢心していた、懸賞首の討伐を引き受けちまった」
「…………」
「懸賞首ジャバウォック。特別強いモンスターでは無かった。懸賞金も他の懸賞首に比べて平均か少し高いぐらいだ。それに俺たちは万全の装備で挑んだ。丸山組合側も力を入れて臨んだ。装備、人員。すべてが完璧に揃っていた」
「………」
「いや。結果から話そう。ジャバウォック討伐は成功した。多数の犠牲を払ってな。その中には俺の部隊も当然、含まれている。生き残ったのは俺とフィリアだけだ。一人はジャバウォックに踏みつぶされ、もう一人は吐き出された酸で半身が溶けた。フィリアの恋人は尻尾で叩きつけられ、木っ端みじんになった。俺の親友は、生還こそしたが後遺症で廃人になった。そしてジャバウォック討伐の三日後、自殺した。すべて俺のミスだ。実力が足らなかった。討伐依頼を引き受けてさえいなければよかった」
「……そうか」
「ああ。俺は責任に耐えられなくなって逃げて―――今ここにいる。部隊のことも仲間のこともすべて投げ出してここにいる。すべてをフィリアに任せてここにいる。その時はまだガキだったフィリアにすべてを放り投げて、大人である俺が逃げた。組織内のごたごたも、弔いも、俺は何一つやってない。責任を放棄した。最低だろ……」
「……そうだな」
「……っふ。だよな。今頃、あいつに合わせる顔なんかねえよ。謝罪なんてしたところで意味がない。謝るってのは自身の罪悪感を軽くしたいがために行う行為だ。フィリアは何一つとして救われねえだろうし、逆に鬱憤が溜まるだけだ。何をすればいい。何が正解なんだ……」
それまで拳銃を触っていたレイがテーブルの上に置いた。
「謝罪をしたところ意味が無いのは俺も同意見だ。じゃあ行動で示すしかないだろ」
「行動……」
「あんたいなくなってフィリアって奴は苦労したんだろ。戻って助けてやったらどうだ」
キクチが椅子から立ち上がり、レイを睨む。
「俺が戻ったところで――!」
そして拳を握ったところで理性でそれを押さえつけた。キクチは椅子に音を立ててもう一度座る。
「……すまない。俺が戻ったところで、あいつは苛立つだけなんじゃないか。今更、すべてのごたごたが収まった時に戻って来て、都合が良すぎるんじゃないか。大人としてもっともいてほしかったタイミングでいなかったくせして、組織内が落ち着いたらのこのこ戻って来る。俺だったら許せねえよ。それにその時、あいつはまだ若かった。俺はそんな時に逃げて、苦労だけをかけた。最低だろ……俺はどうすればいいんだ」
「その話し合いをするために、今日行くんだろ」
途中から後の展開が予測できていた。だが予想よりも悲惨な結末だった。正直に言ってキクチが一人で如何こうしたところで何とかなる問題でもないような気がした。ただ幸い、キクチにはフィリアという当時の状況を知り、話し合うことが出来る相手がいる。
じゃあ頼ったらいい。フィリアとキクチが会話しているのを見たのはあの店での一部始終だけだ。しかしそれでもフィリアが完全にキクチを恨んでいるようには見えなかった。こうして対話しようとキクチを呼んでいるのが何よりもの証拠だ。
話し合い。何をすればいいのか、どう落とし前を付ければいいのか。判断すればいい。
「それに最後の話、俺じゃなく、するべき相手がいるだろ」
レイが拳銃をもう一度手に取る。
「幸い。今日会う約束をしてるじゃないか」
そして壁に埋め込まれた時計を見る。すでに18時を回っていた。
「もう時間だ。そろそろ上がる頃だろ」
キクチも時計を見て慌てて立ち上がる。今から帰宅の準備を始め、家に帰ったのならば身だしなみを整え、店に行かなければならないのだ。時間があまりない。
「すまない。ありがとう」
慌てて支度を済ませたキクチがレイにそう言った。そしてどこか吹っ切れたようにみっともなく手を振って走って行った。その背中には不安や緊張といったものが見れられたが、暗いものは見られなかった。
レイはその背中を見ながらぼんやりと思う。
(いいじゃないか。見てくれる相手がいて)
謝罪できる相手がいること。自身の頑張りを見てくれる相手。苦痛を共有できる友。死んでいった仲間を弔うこと。許してくれる相手。それらがいてくれて良かったじゃないかとレイは思った。
そしてロベリアやニコのことをぼんやりと頭の上に思い浮かべながらキクチの背中を見送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます