第二章――第二次典痘災害『上』
第72話 また最初から
日が沈みかけた頃。クルガオカ都市の外周部にある工事現場で立山建設の従業員が働いていた。仕事は主に取り壊しと改築、総合住宅の建設だ。今回の現場となった外周部は、その地理的要因もあって粗雑な総合住宅の建築が主な仕事だった。
だがそれでも反対意見は出てこない。というより、出るはずがなかった。
この建設計画は都市主導ではあるが、こと西部においては都市よりも大企業の方が力が強い場合が多い。そのため事前に建設工事に関しての権利を落札する企業は決まっており、それが立山建設だっただけだ。
「ったくめんどくせえぇな」
従業員の一人が建設現場で汗を
「ったく。ほんとそうだよな。重機も満足に使わせてくれねえ。外骨格強化装甲の使用許可も下りてこねぇ。
「ふざけんなよって感じだよな。んまあだからと言って……」
どうしようもない、と従業員皆が思う。職につけて給料を貰っているだけまだマシなのだ。いくら低賃金であろうとも仕事を貰い生きれるだけの金を貰っているだけありがたいのだ。
もしこの職業につけていなかったら、と従業員が周りを見る。
建設現場は騒音や景観、侵入者を防ぐために白い壁に覆われている。だがその奥に、壁の隙間から外を見ると酷い光景が広がっている。バラック小屋が立ち並び、土が露出している――ようなものではないが、壊れかけた総合住宅が立ち並び、その一階部分には溢れた浮浪者がたむろしている――ような光景だ。職にもつけず、競争でも負け、ここに流れ着いてきてしまった者達。
立山建設の従業員は確かに低賃金で働かせられているが、それでも格安のアパートに泊ることが出来るだけで幸せだった。毎日飯が食えるだけで幸せだと、外の光景を見るだけでそう思えた。
「よし。そろそろ仕事再開するか」
1人の呼びかけを皮切りに皆が一斉に動き出す。その際に一人だけ、皆が喋っている中でも働き続けていた従業員に声がかかる。
「おい。そっちの
男――ドセが呼びかけるが反応は返ってこない。
「おい! ハンネ! 聞いてんのか!」
今度は大声で叫ぶが無視しているのか、聞こえないいないのか、反応が返ってくることはない。ドセはその態度に腹を立てると背中を見せて
「は、こいつつよ――」
だが、ハンネが倒されることはなく、逆にドセが反動で倒れる。
「…くそ」
尻もちをついたドセが背中をさすりながら目を開けた。するとそこには立ち上がったハンネがいた。
「すみません。ぼーっとしてました」
ハンネはそれだけ言うと別の場所に向かって歩いて行く。その後ろ姿にドセは何も言う事が出来なかった。そして周りを見るとドセを笑う同僚の姿が見えた。
「――ッチ。ったくあいつ」
バツが悪そうにドセが立ち上がって唾を吐いた。
一方でハンネは次の仕事場に向かっている途中、首を掻きながら小さく呟いた。
「慣れてないな…」
偽名にはまだ慣れてないな、とレイが首を振る。単純に注意力が散漫していたというのもあるが、ハンネという名前にはあまりなじみがないため男の声に気がつけなかった。
この西部において自分の名前はレイではなくハンネなのだと、レイは再度認識する。
初めて西部に来て、あの荒野で起き上がった時から今日で半年ほどが経った。用意されていた金と身分証を使い、どうにかここまでこぎつけることが出来た。身分証に書かれていた経歴は良いというわけでも悪いというわけでもなく、少なくとも就職できるぐらいには整った経歴をしていた。
だからって、こんな建設現場に来る必要性は無かったのだが、そこら辺は成り行きに任せたレイが悪い。西部についてからなあなあで生きてきたツケだ。特に努力もせず、生気を感じさせない毎日を送って来た。生きる決心をしたが、どうしてもまだ、あの時のことが払拭できずにいる。
ダメだとは分かっていても、頑張れる気力が湧かないのだから仕方がない、とどこかで思っているからかも知れない。
「はぁ…」
どこかで区切りをつけなくちゃ、と思いながらレイが歩く。すると従業員の声が響いた。
「モンスターだ!ハウンドドックが出た!逃げろ!」
よくあることだ。中部とは違い、西部では都市の周りに壁が建設されていないためモンスターが軽々と、人間の生活圏に入ってくる。そのため当然、クルガオカ都市の外周部はモンスターによる襲撃をよく受けており、年間に数千という数の人が軽く死んでいる。
そしてこれが外周部の建設工事が進まない直接的な理由でもあり、粗雑になる間接的な理由でもあった。どうせモンスターに襲われて建物は傷がつく。総合住宅を建てたところで住むのは浮浪者や生活困窮者。一見、貧困層を助ける意味がありそうで、その実は企業と都市による利益の横流しと既得権益の独占がこの総合住宅の建築へと繋がった。
「ハウンドドックか」
レイが頭の中でハウンドドックを思い浮かべる。中部と西部でモンスターにつけられる名称というのは一部変わっているが、そのほとんどが同じだ。このハウンドドックもその一例であり、よく侵入してくる犬のようなモンスターであった。
クルガオカ都市の近くには大規模遺跡が三つほどあり、小規模なものまで含めるとその数は10を優に上回る。それもあってモンスターの侵入が他都市と比べても多く、それだけ民間人が肉壁として犠牲になっている。
また都市は警備隊を運営しているものの、それは形だけで。本当にモンスターの侵入に対処したいのならば自分で、個人で民間警備会社と契約を結ぶ必要がある。これも都市の権力が弱まり、企業の存在が大きくなってしまったために起きた悲劇だ。
「銃はどこだ」
「馬鹿!あるわけねぇだろ。重火器は持ち込み禁止だろ!逃げるぞ!」
そこら中からそんなような声が聞こえる。
「逃げるか」
モンスターが来ているのなら逃げた方がいい。当たり前の思考回路でレイも皆と一緒に逃げる。しかし他の人と合流したところで、工事現場を仕切る白い壁を突き破ってハウンドドックが現れる。
両足を前に、大顎を開けて襲ってきたハウンドドックはそのまま授業員の一人を前足で押しつぶす。鋭い爪が腹を抉り、それでも尚暴れるがハウンドドックが頭部に噛みついたことですぐに動かなくなる。
「今の内だ。あいつが食われてるあい――」
仲間を犠牲にして逃げようと、そんな旨のことを言おうとしていた従業員を横から二体目のハウンドドックが襲う。爪が刺さりも噛まれることも無かったが、無防備な体に横から衝突された衝撃によって首の骨は折れ、下半身の言う事が聞かなくなりそのまま、意識あるままに腹から食われる。
「うわあああああ!何体いるんだ」
仲間が殺された恐怖。次は自分かもという想像が逃げていく従業員たちを追い詰める。
そうして恐怖は仲間内で電波する。ある者は足が
レイが走っていると突然、前の者がくぎ打ち機をレイに向けた。
「来るな!部外者が!ここで待機してろ!」
男はそう叫びながら走り去っていく。一方でレイは両手をあげたまま硬直していた。
そして男が走り去って、角を曲がって見えなくなると両手を下げて振り向いた。
「こんなもんか」
かなり長く、他の者よりかは歴は短いがそれでも仲良くやっていたつもりだった。だがこうして切り捨てられる程度の関係だったらしい。当たり前と言えば当たり前。どれだけ長くやっていようと他人は他人だ。第一優先は自分の命。それにレイは共に働いてからそこまで
(なんだ、あいつもか)
レイが後ろを見ると同じく切り捨てられたであろうドセが逃げて来ていた。レイと同じ状況ながらもそこに至るまえの過程は僅かに違う。ドセは仲間と共にいる時間が長かっただろうし、それなりの地位についていた。しかしこうして切り捨てられるというのは……レイは少し同情してドセを待つ。
「お前、こんなところで何してんだ!死ぬぞ!」
走りながらにドセはレイに逃げるように
「早く逃げるぞ、こんなところで何してんだ」
「あ、ああ」
逃げたところで職場に居づらくなることは確定だ。それにそろそろ辞めようかと思っていた。逆にちょうどいい。
「先に行ってくれ。ちょうど辞めようとしてたところなんだ」
「お前何言って……まあどうでもいい」
そう言ってドセがレイの横を通り過ぎようとする――が、立ち止まる。
「おい。後ろにもいる。取り囲まれてるぞ」
ドセの言葉に促されるようにレイも後ろを見る。
(三体目か?……いや回って来たのか)
背後には一体のハウンドドックがいた。口元に血が付いており、歯と歯の間には作業着の破片が挟まっている。他の民間人を襲ったのならばあのような物が歯と歯の間に挟まることはない。
そして口元の血。一人目を襲った時についた者なのだろう。一人目を殺し少し食べて、少量確保のためにレイたちも襲いに来た、というのが納得できる。
「あああ…囲まれたぞ!」
ドセが叫ぶ。前と後ろ、一匹ずつハウンドドックがいる。両脇には壁があるため横に逃げることは出来ない。
「しゃがんでろ」
レイはドセにそう言いながら粗雑な建築物から飛び出たパイプを引き抜く。するとドセがレイの肩を抑えて叫んだ。
「おい。そんなんで何が出来る。お前はそっちだ。俺はこっちに逃げる。そっちの方がどっちか生き残れるだろ」
「じゃあそうしろ」
右手に握ったパイプを強く握り締め、レイが有無を言わさない強い口調でドセに言う。
「ああ、もう知らねぇからな」
ドセは叫び、虚勢を張るが足は震えて硬直している。
一方でレイは両側のハウンドドックに視線を送りながらタイミングを伺っている。そして、先に攻撃を仕掛けたのはハウンドドックだった。狩りを行うように全く同時のタイミングでハウンドドックがレイに飛び掛かる。
レイは左手側のハウンドドックの眼球にパイプを突き刺すと、右手側から襲ってきたハウンドドックの両足を両手で掴んだ。そのまま力任せにハウンドドックを仰向けに押し倒す。そして倒れ、僅かに隙が出来たハウンドドックの眼球に拳を叩き込み、脳を破壊する――とすぐに後ろに振り向いて、パイプに目が刺さったままドセを襲おうとする個体の頭部を蹴り上げる。
ハウンドドックは顔が蹴り上げられたことで上を向いた。するとレイはハウンドドックの眼球に刺さっていたパイプを引き抜くとと今度は咥内に向けて再び突き刺した。パイプはハウンドドックの喉を容易く貫通し、背後の壁にめり込む。ハウンドドックはそのまましばらく暴れていたが、レイが二本目のパイプを持ってきて、頭部に突き刺したことで息絶える。
「お前、それ」
その光景を見ていたドセが尻もちをついたまま、肩を震わせてレイを見る。
レイは血まみれの手を見て、そして取り繕うように苦笑した。
「昔、ちょっとな」
ドセはレイの言葉を信じていない様子で、驚愕の表情を向けていた。
「……あ、ありがとう…」
だが助けてくれたことには感謝しなければいけないと、思いつく限りの不審点や疑問点を飲み込んで感謝の述べた。レイはその言葉を素直に受け取るとどこかへと去っていく。
「こちらこそ。今までありがとう」
日が完全に落ち切った暗い道路をレイが歩く。後ろから声は聞こえない。ドセは腰が抜けて立てず、レイのことに追及することも出来ないためだ。
(これからどうしよっかな)
別にこの仕事を辞めなくてもいい。だがこのまま続けていても色々と面倒だ。もし仕事を続けるのならばハウンドドックのことをどう処理するか決めなくてはならない。それがたまらなく面倒だ。弁解も弁明も理由を説明することもしたくはない。
だからと言って何をすべきなのかは分からない。全くもって何をすべきなのか、まだ分からない。少なくとも何かはすべきなのだろうが、ずるずると無気力でいたせいでこんな場所まで流れ着いてしまった。
そんな風に思いながらレイが歩いていると死体が散らばっている通りに出た。まだ死んだばかりで血が固まっていない。切り裂かれたような跡に噛みつかれたような跡。おまけに知っている顔だ。全部で8名。レイの同僚がここで死んでいた。もう一体、モンスターがいたのだろう。
モンスターが出たということもあり死体に人が群がってはいないが、いずれ、死体処理班や見物客でここに人が集まるだろう。
レイは死体たちの横を通り過ぎて、そして大通りに抜ける。いつもならば大通りには人が多くいるはずだが、今はそんなにいない。きっとモンスターの影響だろう。レイはそうして周りを確認しながらしばらく歩く。
その間にもう一度、レイはどんなことをしようか考えた。
(やることないな)
特にこれといってやりたいものも、やれるものも無い。それにロベリアとニコという二人を失ったことで自分は幸せにはなってはいけないのだと、そんな思いもある。満足のいく暮らしはいらない。そんな風に思いながらレイは道を歩く。
(いや、俺は別に払拭する必要も償う必要もないのか)
だがふと、レイはそんなことを思った。
罪を償うといってもそれは自己判断だ。ニコが許したというわけでも、ロベリアが笑ってくれるわけでもない。ただの自己判断。いいことをしたからって自分の罪は軽くなるわけがない。レイが親友を直接
たとえ仲間がレイのことを許そうと、レイ自身が絶対に許さない。
「そうか」
背負って生きていく、功罪として。十字架を背負ってこの先も罪の意識に
その時にちょうど、通りを歩く者を目にした。右腕が無く、体中が傷だらけで泣きながら歩む男だ。
西部は中部と違い。遺跡探索が合法だ。誰でも遺跡の中に入って良く、そして遺物を持ち帰って売ってもいい。その代わりすべてが自己責任だ。あの男のように死にかけて、これからの人生を正常に歩めなくなるものもいる。ある者は遺跡の中で木っ端みじんに爆発したり、食われたり。遺物という宝を持ち帰ってくるのには相応の犠牲が伴うというわけだ。
「いいな……これ」
この仕事ならば……とレイは思った。
無理無謀。ハイリスクハイリターン。こういう生き方をしたいと漠然に思った。
「……やってみるか」
遺物探索を請け負う者達。あの男のような者達のことを西部ではテイカーと言った。
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