第68話 最悪

 そう言ってスーツの男――テレバラフに居た頃のトリスの上司――ワタベは笑った。


「お前……」


 レイがワタベに拳銃を向ける。だが当然、引き金は引けない。


「…は。どうした撃てないのか? 見てわかるだろ? 今俺は生身だ。撃てば死ぬ。ただニコこいつも死ぬがな」

「……っ」

「そうだ。そうだよ。そうして苦しんで、悩んで、立ち止まり続ければいい。ピルグリムクッキーズはやって来る。そう時間がかからずに。俺はそれまでの時間稼ぎ、お前が中央コンピューターを破壊するのを止めるために用意された最後の策。トリスが残した罠だ。俺は甘んじてその役割を引き受けたぞ。お前はどうだ。与えられた任務があるんだろう? それを達成するためにはこんなところで立ち止まってちゃ、いけないんじゃないか?」


 にやにやと笑うワタベに対してレイが一歩だけ踏みよる。


「おっと。それ以上近づくな。もしそれ以上、足を踏み出すというのなら、相応の覚悟がいるぞ。そのたった一歩がすべてを左右するんだ。分かるだろ?」


 レイが歯を食いしばる。そして拳銃を握る手に力が入り、小刻みに震える。


(こいつ)


 時間はない。ピルグリムクッキーズが来るとか、依頼の制限時間が残りわずかだとか、そんな簡単な問題じゃない。もしここで少しでも悩めば、ロベリアが死ぬ。ロベリアを信用していないわけじゃない。だがモーグを相手にやれることは限られている。運がどれだけロベリアに傾こうと勝てるはずのない相手だ。今すぐに向かわなければならない。

 しかしここから動くためには目の前の障害を解消しなくてはいけない。単純な力技で解決できる単純な問題だ。だがそう簡単な問題ではない。少なくとも引き金を引いてはい終わり、という障害ではないのだ。

 何を話したって相手は何も聞かないだろうし、レイが相手の弱みを持っているはずもない。解決策がない。ただ時間が過ぎて行く。

 だが。

 だがそれだとロベリアの元まで駆けつけることが出来ない。だがロベリアの元に行くためには目の前の障害物を取り除兼ねれば行けない。

 じゃあ。

 じゃあ……。

 一体どうればいい。

 

(……ぁあ)


 視界に映る光景がぼやける。照準器が揺れている。

 策がない。八方塞がりだ。

 

「おいおいどうした震えちまって。万策尽きたか? 少年」


 笑いながら、ワタベは懐から一つの注射器を取り出した。


「最後に、ああ最期に。ニコこいつにもお前の顔を見て貰わないとな。何せ、ここまで引き付けてくれた恩がこいつにはある」

「お前、何を――」


 ワタベがニコの太腿に注射器を刺した。レイは動こうとしたが、ワタベに制止させられる。


「お前はただそこで見ているだけだ。それ以上もそれ以下もさせない。そこでただ、突っ立っているだけでいい」

 

 注射器の中の液体がニコへとと注入されていく。


「こいつは今、睡眠薬で眠って貰ってる。そしてこいつは強制的に目を覚まさせる薬だ。俺が言っている意味、分かるよな?」


 むごたらしいことをする、とワタベが自分を笑う。そしてその画期的なアイデアを思い付いた自分を褒めた。


「……ぁ」


 薬によって強制的に夢の世界から現実へと呼び戻されたニコが僅かに目を開ける。そして段々と開いていき、意識も明瞭になっていく。

 ニコはぐるりと周囲を見て、そしてレイを見た。


「あぁ…。僕は君の足を引っ張ってしまったんだね」


 ニコが小さく呟いた。

 だが、そんなことない、とレイが心の中で叫ぶ。巻き込んでしまったのは明らかに自分で、悪いのは絶対に自分なのだと、目覚めたニコを見てレイが叫ぶ。すでに咥内は渇ききっていて、声にもならないような、嗚咽にも似た声が漏れるのみだ。

 だが心の中でレイは叫び、もがいた。

 ニコは殺せない。自分が巻き込んだ上に、自分勝手な目的のために死んでいたいいような人物ではない。だがもしここで生き残ったとしてもその後はどうなる。解放してもらえるのか。そもそもピルグリムクッキーズが来るまで時間は残されていない。ピルグリムクッキーズはニコにどんな対応をするのだろうか。

 時間がない。

 何もかも。まだ終わっていないのに時間が足りない。

 ロベリアも助けなければいけない。行かなければいけない。じゃあすぐに行かないと。

 だけどニコは殺せない。

 だけどもし一歩でもここで退いたら、悩んだら。ロベリアがしたかったことがすべて無駄になる。ニコを解放できなくなる。二人とも助けられなくなる。じゃあどうすればいい。

 どちらか一方を切り捨てるか。だとしたらニコを切り捨て―――だなんて、巻き込んだ側がやれるわけがない。それにニコは親友なのだ。自らで手をかけることなど出来るはずがない。

 だが時間がない。

 悩めない。

 他に策が出てこない。

 ピルグリムクッキーズが来る―――だがニコが―――それだとロベリアが―――。


「…レイ」


 機械音や銃声で周りはうるさいはずなのに、ニコがそう呟いた瞬間に周りの音が聞こえなくなった。

 ニコはただレイの目を見て、笑った。


「…僕はね、君の親友でいたいんだ」


 震えは止まった。

 思考は停止し、体だけが勝手に動いた。


「――――ぁあ。っぅ」


 発砲音が鳴る。

 重く、甲高い音。


「お前――こいつは、ともだ……血も涙もねぇ、な。クソ…」


 血が飛び散る。胸に穴が空く。

 倒れて、崩れて、鈍い音が響きわたって。


「…ぁああ」


 部屋に血しぶきが飛び散った。


「ああああ……」


 静かな部屋。響くのは少年の嗚咽のみ。


「うぅ…っ、ああぁ…ごめ」


 レイが口を塞ぐ。

 謝って許されるはずがない。謝って自身の罪悪感を消したいだけだ。独りよがりだ。謝れない。そんなことしたってニコは許さない。そして自分自身も、自分を許せない。

 歩いて、近づいて、ニコの傍まで。


「あり……がとう。いい、んだ。レイ」


 ニコが小さな、掠れ切った声で呟く。


「いや…ちが」


 ありがとうなわけがない。いいわけがない。ただ、ただただ自分の目的の為に親友に手をかけたのだ。それが許される道理などあるはずがない。許されちゃいけない。


「ふは。初めて、見たよ。君のそんな……顔は」

「ああ。ぁあああ。ニコ。あ、く、ああ。もう、ああ。俺はなんて、や、あああぁ」


 慟哭。友の上で。下で。


「う、うぅ。やら、ないと。い、かないと」


 やらないと。まだやらなくちゃいけないことが残ってる。一人でも、一人だけでも助けるために。失わないために。

 立ち上がり、歩き出す。どうなったっていい。ロベリアは真上にいる。最短距離で突き抜ける。右腕がどうなったって。体がどうなったって。もう失いたくない。だから自分なんてどうでもいい。今更、こんな自分なんてどうなったっていい。

 フロア一体の機械部品が震える。電線コードが蛇のように動きだし地を這ってレイの足に巻き付く。右腕と融合した『それ』が流体となってレイの肩にまで張り付く。身体の出力はマザーシティから出た直後まで回復する。強化服は割れて剥がれる。コードがレイの太腿に突き刺さり、肉体に侵入する。

 

「行ける」


 床を蹴って天井を突き破る。フロアを貫通し、障害物は体に巻き付いたコードによって事前に取り除かれる。

 向かわなければいけない。一刻も早く。失いたくない。その一心で。

 蹴って、飛び上がって、突き抜けて――――着いた。


「………あ」


 フロアには三人。

 無傷のマーシャル・エドワード。頭部装甲が壊れ、右腕を失ったモーグ。地面に倒れ伏し、片足を失い、大量の血で床を赤く染めるロベリアのみ。


「ああ」


 ロベリアはまだ生きている。息をしている。まだ助かるかも知れない。この障害は。いま目の前で突っ立っている問題は単純だ。簡単だ。力で取り除くことが出来る。


「………ぶっ殺してやる。お前ら、全員」


 ビルが揺れる。機械が震えだす。レイは体全体に機械部品を寄せ付けながら、巻き付けながら二人を睨み、足を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る