第46話 秘密と共有と敵
中部の東側にある都市。取り囲むようにして建てられた壁に開いた門。早朝、そこから一台の装甲車両が荒野に向かって出発した。朝の静けさに紛れて、誰にも気づかれることなく門を潜り抜け、荒野へと出る。
ところどころに切り傷や弾痕などが見られる装甲車両に追随するものはなく、車両はすぐに都市から離れて、見渡す限り地平線の先まで続く荒野を走行する。
荷台にはいつものように狙撃銃を抱いて荷物に寄りかかるレイと、運転席にはストローが刺さったジュース片手に運転するロベリアの姿があった。少し異なる点があるとするのならば、レイが座布団のような柔らかいものに座っているぐらいだ。それ以外はいつも通り、何ら変わらない。
「今日は何もなかったね」
「ああ」
文字通り、今日は何もなかった。
朝方、四時ごろに買い出しのため都市へと入り、必要な物資を補充した。すべては
レイは狙撃銃を抱きかかえながら周りを見渡すが何も見えない。地平線の先まで凹凸の無い荒野が広がっている。当然、探査レーダーにも何も映ってはおらず、光学迷彩や妨害装置を備えた機械型、混合型モンスターが近くにいない限り、今は安全だ。
「そういえば………」
ロベリアが小さく呟いて何かを操作する。新しく荷台に取り付けた拡声器を起動しているのだ。
「どう、聞こえやすい?」
今まで車の走行音や発砲音などで二人の意思疎通が図れないことがあった。イヤホンなどで会話することも考えたが、それは面倒だということでこうして、わざわざ拡声器を買うことにした。レイからの声の通りはいつも通り悪いが、ロベリアからの声は拡声器によって増幅されるので大きい。
「ああ。よく聞こえる」
今はただ走行音が響いているのみなので、少しうるさいか。しかし実際に使う際にはこのぐらいがちょうど良いのかもしれない。そして運転席の近くに座っているためレイは、特に声を張り上げることなく呟く。
「なんだ、聞こえにくいぞレイ」
「いつもは聞こえてただろ」
「いや、今日は声の通りが悪いぞ」
「……………」
「よせ、少しからかっただけじゃないか。そんな顔するなよ」
「いや、別に大丈夫だ。言ってることが本当なら改善する」
「それはあれ?いつも言ってる傭兵として、みたいな?」
「…ん?いや普通に相手と意思疎通が出来ないほど声が小さいのを直さないのは一般的におかしくないか」
「ああ……。確かに、うん。そうだね。そうだった」
ロベリアはどこか気まずそうに黙ると、持っていたジュースをすべて飲み干して両手でハンドルを握った。そして気を取り直してレイに話しかける。
「そういえば、私に懸賞金が掛けられてることについては一度も触れないね」
「無粋だからな」
誰にだって知られたくはない秘密ぐらいある。それにレイとロベリアは依頼主と傭兵の関係だ。気になったから――で訊いてしまうのはあまりにも無礼だ。そして傭兵に個人的な感情を持つことは推奨されていない。
「粋だねぇ」
ロベリアはそう言って背もたれに体を預ける。
「いや、たぶん傭兵はみんなこうだと思う……ぞ?」
「なぜ疑問形なんだ」
「他の傭兵がどんな風に仕事しているのかしらなくてな」
今まで出会ってきた傭兵のほとんどは標的が雇っていた護衛であったり、殺人対象であったり、共に戦う仲間は一人もいなかった。それなりに長く活動してきたがすべて敵からそれに近い状態だった。故に殺し合いしかしたことがなく、他の傭兵に関して知る術がなかった。またフィクサーの部下であるミナミに頼めば、教えてくれただろうが、レイ自身、今のやり方で困ったことがなかったため調べることも改善することもしなかった。
「それは随分と狭い世界で生きてき………いや少し違うか?」
「………合ってると思う」
確かに表と裏、どちらとも経験してきたが案外狭い世界だった。アカデミーでの生活は何の変哲もなく、行って学び帰る。それだけだった。傭兵稼業についても毎日、ほとんど同じような依頼を繰り返し受けて、それもずっと一人でやっていたため誰かと知り合うこともなかった。
裏の世界はきっとレイでは実感できないほど深く広く暗いのだろう。だがそこまでは行けなかった。故にレイは案外、何も知らなった。しかし今はマザーシティから離れてこうして旅に近いことをしている。遺跡にも行ったし殺されかけたりもした。PUPDとも相対することもあった。そうして少しだけ、今は見えている世界が広い。
ロベリアの言葉でふと、自分の現状とマザーシティにいた時のことを思い出して、レイはそう呟いた。
「へぇ。ちなみにだけどレイはどこから来て、どこで何をしていたのか、訊いてなかったんだけど、教えてもらえたりするかい?」
「別に大丈夫だ。話せないこともあるけど」
「具体的には?」
「………なんでここにいて、東を目指しているのか、だとかか?」
「ふーん。確か、君と私との初対面はヘッケンカトラーだったよね。あの時の君はボロボロで、痩せこけていて、スラムから出てきたのかと思ったよ。だけどあの都市にそんなスラムは少ないし、何よりも君はここらの人間じゃない気がしてた。それにあの射撃技術、ここらで傭兵をしていたのならば少しぐらい、名が売れていてもいいはず。ということはどこからか、例えば西の方にある都市から、何らかの理由があってここまで来た、ということだと私は思っていたんだけど、そこまでは合っているよね」
「………ああ」
「じゃあまず、レイ、君はどこから来たんだい?」
「マザーシティっていう中部の都市だ」
ロベリアが少しだけ、目を見開いた。
「へぇ。大都市じゃないか。必要なものはすべてあそこに揃ってる。傭兵としてそれだけの技術があったのならばくいっぱぐれはしないだろう?なのに君はマザーシティから離れた。それに随分、ここはマザーシティから離れている。移動手段を持たない君がどうやってここまで来たのか。なぜここまで来ることになったのか、訊くのは無粋かな?」
「………」
レイは口を閉じたまま頭を下げた。言いたくない、という感じでもなく言おうか悩んでいる、という様子だ。
しかし無理に話す必要はない、とロベリアはレイに言う。
「別に教えろ、と言っているわけじゃない。少しでも思い悩む部分があったのならば、引き下がった方が賢明だ。それに、確かに。私のことについても教えないとフェアじゃないね」
ロベリアは少しだけ背筋を正す。
「聞きたいかい?」
「話したいのなら。俺はどっちでもいい」
「全く、つれないなぁ」
レイ自身はそう思って言ったわけではないのだが、
「ふふっ。まあいいよ。またどこかで仕事を頼むことになるかも知れないし、話したところで君は、言いふらすようなことはしないだろう」
「当然だ」
傭兵として当然だと、レイは小さく頷いた。
「じゃあ、今後の為に教えておくよ。私は………」
ロベリアがそこで口を閉じた。
「………ん?どうした。何かあったのか」
不自然に思ったレイが顔を上げて運転席の方を見る。するとロベリアが声を上げる。
「モンスターだ。頼んだよ」
いつもとは少し雰囲気が違う。
レイは運転席の方にまで近づいて探査レーダーに目をやると、一つの赤い点が近づいて来ていた。
たった一つ。たった一つだけなのだが、思わず、レイも表情を強張らせた。
探査レーダーに映し出される点の大きさはモンスターの大きさに比例している。小さなモンスターであれば小さく表示され、大きなモンスターであれば大きく表示される。
今回、探査レーダーに映っていたのは今までに見たことがないほど巨大な赤い点だった。
「分かった」
レイはすぐに狙撃銃を構える。
「………っ」
予想はしていたが、かなり大きい。スコープなどいらないほどに。
足は六本、胴体はべビのように長く太い。高層ビルがそのまま横になって移動してきているかのような迫力だ。皮膚は分厚く、その下の脂肪も今までのモンスターとは比にならないだろう。昔、蛇型モンスターとは戦闘したことがあるが、あれとはけた違いに大きい。
狙撃銃であっても弾丸が貫通せずに内臓付近で止まるかもしれない。
「…いけるか?」
精確に狙わなくても確実に当てることが出来るため、標的との距離や風向きを感覚で調整してレイは、そう小さく呟いて狙撃銃の引き金を引いた。
弾丸は宙を駆けて真っすぐに飛んでいき、モンスターの頭部に命中する。弾丸は着弾と共にモンスターの額にめり込み、中で炸裂する。赤い火花をあげて、額周辺の肉を吹き飛ばす――が、大したダメージは与えられていない。
そして蛇型モンスターの移動速度は恐ろしいほどに早い。すでにスコープ越しでなくとも肉眼でその巨体がはっきりと確認できる。レイは続けて引き金を引くが、いずれも致命傷を与えられない。その可能性すら感じさせない。
恐らく散弾銃であっても、突撃銃であっても同じような結果だろう。無駄に弾倉と時間を浪費するだけだ。
レイは少しの焦りを感じて、ロベリアの方を見た。
「こいつじゃ殺しきれない!何か別の武器はあるか!」
ロベリアは探査レーダーに目をやって、すぐそこまで近づいて来ている蛇型モンスターを見て、そしてハックミラー越しにレイと、その背後から重低音を響かせて近づいて来る蛇型モンスターを視界に収める。
ロベリアは目をぐるりと回して、何かについて一考すると拡声器をつける。
「………しょうがない」
蛇型モンスターが響かせる音、狙撃銃の発砲音。それらがあっても拡声器越しのロベリアの声はよく通る。レイは耳を傾けた。
「レイ、君の右手側、助手席の辺り、布がかかっていて紐で括り付けてあって固定されているやつだ。それを開けてくれ」
「分かった」
レイは狙撃銃を放り出して、ナイフを取り出しながら箱に近づくとロープを断ち切って布を剥がす。
「パスワードは6732886だ」
「ああ」
そして露になった黒い長方形の箱にパスワードを打ち込む。それが終わるとピピ、という音と共に長方形の箱が開いた。
「なんだこれ、どう使えばいいんだ」
中には何かの銃器のようなものが入っていた。
だが違和感を覚える見た目だ。
グリップや銃身、照準器のようなものがあり、確かに形状は銃と言えるものだが、何かの装置に近いような見た目もしている。
「おい、これはなんだ。俺はどうすればいい」
訳の分からない武器にレイは戸惑う。一方でロベリアは笑っていた。
「君はただ、照準器を覗き込み、普通の物のように対象めがけて撃てばいい。細かい調節は私がする。あれだけの巨体がこれだけ近づいてるんだ、外しはしないだろう?」
「………いや、ああ分かった」
色々と湧き上がってきた疑問点をレイは飲み込んで返事をする。
「そういえば、こいつの名前を教えていなかった。まあ名前はまだないんだが。これを作った奴が言うには、こいつを『神墜とし』だとかそう頭のおかしい名前で叫んでたな」
そんなことはどうでもいいと、レイは心の中で吐露する。
「まあいいよ。君はただ狙って撃つだけ。当然そのぐらい出来るよね」
「当たり前だ!」
レイは威勢よく返事をして『神墜とし』とやらを担ぐ。
「じゃあ行こうか」
「ああ!」
ロベリアの声に返事をすると共に、レイは引き金を引いた。
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