第45話 関わらない方がいいもの

 昼下がりのマザーシティ。ちょうどアカデミーの講義が終わり、生徒達が帰宅する時間。送り迎えの車両が待つ駐車場に向かう生徒達たちとは違い、ニコは誰も使っていた空き教室で通信端末を操作していた。


(やっぱり、これ)


 ニコが持つ通信端末には幾つかの画面が共有で開かれており、その中の一つに、ある薬品についての記載があった。それはエノク製薬が新しく開発した鎮痛剤『MRA』についてであり、見ればエノク製薬のホームページであったり、『MRA』について書かれた個人ブログであったりなど多くのウィンドウを開いた形跡があった。 

 中には信憑性に欠けるような、ほぼ都市伝説を扱うサイトなども確認した形跡がある。

 それらを見ればニコが『MRA』について調べているのは明白であり、同時に納得できるものだった。

 というのも。

 ニコの親はエノク製薬の重役だ。親の仕事、また勤めている会社について知りたいと思うのは何ら不思議ではない。しかし、だがニコが調べているのはエノク製薬のことについてでもなく親に関してのことでも当然、なかった。

 調べているのは『MRA』についてのこと、そしてそれと似た構造を持つ『ラフラシア』について、それだけだ。


(レイ、君は)


 なぜ『MRA』について調べるのか、なぜ『ラフラシア』について調べるのか、理由は明白だ。親友であるレイが数十日前に失踪する原因の一因なのだから。

 『MRA』そして『ラフラシア』とレイとの関係について、たどり着くのは根気のいる作業だった。ニコにはレイが金銭面で不自由なことを知っていたし、学費を稼ぐために毎日、働いているのも知っていた。そして当然、その仕事が危険なものであったことも。

 訊くことを恐れて結局動けないままだった自分を悔やんでいても仕方がなく、ニコはせめて、レイがいなくなった原因を探ろうと調べていた。

 

 そして当然、レイについて調べるのは一筋縄ではいかない。まずニコは裏と繋がりを持たない。どこに情報屋がいるのか、どの伝手を辿ればいいのか、裏の世界のことに関してニコは全くの無知だった。

 またやっとのことで知ることは出来てもいる場所が遠くであったりニコでは立ち入れないような場所であったり、また会うことが出来たとしてもニコは、表の、それも大企業の重役の息子であるため相手はあまり関わらろうとはしない。それどころか誘拐の危険性すらある。

 その立場故にニコはレイがいたスラムにはあまり近づくことも出来ず、親の監視もあるため外で自由に動ける時間は少なかった。


 だが、やっとこの『MRA』と『ラフラシア』について辿り着くことが出来た。確実に分かっているのは医療用鎮痛剤であるということだけ。だが、不確実な情報を上げるとするのならば『MRA』は『ラフラシア』という一時期スラムで流行った麻薬と構造が似ているということや、エノク製薬と『ラフラシア』との関係性。裏にいる都市や議会連合の存在、科学者の離反、部外者の援助などなど、まだ確定はしていないのだが黒い噂が無限に湧き出てくる。

 エノク製薬に勤める親にそれとなく訊いた限りでは、重要な情報は出てこなかった。

 ただ、最近色々と胃を痛めるようなことが続いているのか、顔色が悪い。レイ、そして『MRA』、『ラフラシア』、これらが原因の可能性も十分にある。だがこれはまだ不確定な情報に不確実な推測で肉付けした予想に過ぎない。今分かっている情報がすべて事実だとして、まだニコには知り得ないような闇が眠っているのだろう。

 だが今のニコにそれらを調べ上げられる力はない。ニコは自信を天才の部類だとは認識しているが、この社会は『天才』の二文字だけで成り上がれるような単純な構造はしていない。ニコはただ勉学に置いて『天才』なのであって世渡りにおいて『天才』とは言い難い。


 レイがいなくなって数十日が経ったが、全く持って時間が足らない。情報の細部まで調べ上げるにはニコ自身の知識もそうだが、経験や伝手が少なすぎる。だが経った数十日でここまで調べ上げたのは称賛されるべきことであり、情報屋に会う際のルールやスラムでの移動の仕方なども最近は分かってきた。

 そして同時に、そんな世界に身を置きながらアカデミーに通っていたレイの異常性を実感できた。その際に抱いた感情は尊敬だとかすごいだとか、そんなものではなく、どちらかと言うと恐怖だとか畏怖に近いものだった。普通の精神構造をしているのならば、アカデミーと裏稼業との両立など出来るはずがない。

 その精神的な異常にニコが気が付いた時、今までのどこか不自然なレイの行動に合点がいった――ような気がいた。定かではないが、点と点が繋がった時のような感覚を確かに覚えた。

 同時に、今まで、これだけの時間を接していながら気が付くことの出来なかった自分への不甲斐なさが湧き上がってきて――それが今、ニコを動かす原動力の一部になっている。


(……あ、もうこんな時間か)


 気が付くと窓の外が暗くなっていた。

 すぐに時間を確認するとニコは手短に準備を済ませて教室を出ると、帰路へと着いた。

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