第37話 新たな依頼
「これ全部食べてもいいのか?」
武器屋ヘッケンカトラーのある路地から一本隣の大通りにある大衆食堂。まだ朝早い時間帯ということもあって店内に人は少ない。しかしこの付近で唯一、朝から営業している店なのでもうしばらくしたら少しずつ人も増えてくる。
そんな大衆食堂の端っこのテーブルでロベリアとレイが対面に、特に話をするわけでもなく座っていた。ブロックは店があるので残っている。
テーブルの上には頼んだ料理が置かれてあり、ロベリアの前には一口サイズの小さなサンドイッチが三つほど置かれていた。一方でレイの目の前にはパスタのようなものから肉、野菜など、どれも大盛に盛られた料理が並んでいた。
レイは両手に食器を持って
ロベリアは一口サイズのサンドイッチを口に放り込みながら返す。
「いいわよ」
レイは「ありがとう」とだけ返して小さく手を合わせると適当に、取り合えず美味しそうなものから頬張って、口に詰め込んで、リスのように頬を膨らませて、喉に詰まりそうなほど急いで胃の中に通していく。
些細な味なんか気にしない、そんな風にレイは甘いものしょっぱいもの、気にせずに食べる。
食べ方は別に汚くない。しかし口に詰め込み過ぎるのはどうかと、ロベリアは困惑顔だ。
「うまい」
「そう、よかったわ」
レイが口の中にあったものをすべて嚥下して、ロベリアに伝えた。
この大衆食堂の料理はすべて味が大雑把であまりおいしいものではないのだが、少年の口にはあったらしい。だが同時に、その服装や痩せこけた姿を見れば碌な食べ物を食べてこなかったのは分かる。この都市にスラムはない、と言って良いほどだがそれでも浮浪者や孤児はいる。そうした者達の主食はゴミ箱の中にある食い残しだ。
馬鹿舌、貧乏舌、分からないが少年はきっとそうなのだろう。
ロベリアはそう思って少年が食べる様子を見る。
ロベリアの予想は当たっている。事実、レイはスラム出身で腐敗したような生ごみを食べて育った。食べられるものであるならば選り好みせずになんであろうと口に放り込んだ。いくらまずくても租借し嚥下した。すでに舌はおかしくなって、何であろうとおいしく感じるようになっている。
ロベリアの推測とレイの生まれ育った環境とには大きな乖離こそ存在しているが、大まかな、表面上の推測は正しかった。
だがあくまでも、そんな生活をしていたのは、少なくとも六年以上前の話だ。老人を通じてフィクサーから依頼を受けるようになってからは違う。少しだけマシな家に住むようになったし、人が食べてもいいような物しか食べなくなった。
いくら舌が馬鹿になっているとはいえ、そんな生活の中で少しずつだが味覚を取り戻してきて、料理の良し悪しが分かるぐらいになっていた。
そしてこの大衆食堂で出されている料理はどちらかというと悪い部類に入る。粗悪な品だ。しかしレイは気にせずに食べ進める。大盛に盛られた料理を口に放り込み、飲み込む。
味覚が戻って来たとはいえ、昔食べていたものを思い返せば十分に食べられるものであったからだ。そしてまた、レイがここまで行儀が悪く料理にがっついてしまうのも仕方がないことだった。
なぜならばこれは少なくとも三日ぶりの食事だったから。
レイは輸送機に乗って遺跡から脱出した。
脱出したはいいが、降りる手段がなかった。
輸送機は遥か上空を飛んでいたためもしそこから飛び降りるというのならば、それはただの自殺行為だ。
そして空の旅は案外地獄だった。単純に時間が長く、食料もない。加えて上空では風が強い場所というのが当然ながら存在し、レイはなけなしの体力を振り絞って機体にしがみついた。
記憶は曖昧だが、確か、少なくとも空は一回ほど暗くなった。つまりは一日は確実に機械の上で夜を明かしたということだ。
意識は朦朧とし、脱水症状か分からないが異常に喉が渇いていた。腹も空いていた。
というところでようやく、輸送機は目的地である遺跡へと到着した。少しずつ高度を下げ始め、また遺跡の高い場所には道路も走っていたためぎりぎりで死なない、という場所でレイは機体から落ちた、落下した。
やっと機体から降りられたと、レイは安心した――のもつかぬ間。降りた場所は遺跡だ。当然ながらモンスターが多く存在する危険地帯であることには変わりない。
そこからも地獄だった。
外周部の辺りに降りたため遺跡から出るのにそこまでの時間は要さなかったが蓄積した疲労と、何日も食べられていないせいで力は出ず。頭も回っていないせいで判断を間違うことも少なくはなかった。
また、機体の上にいた時、そして遺跡から出る過程のなかで右腕に装着されていた義手のような、グローブのような何かが取り外せないことに気が付いた。皮膚と融合しているのか無理に離そうとすると激痛が走り、遺跡に落ちていた刃物で融合した場所を切って剥がそうとしても上手くはいかなかった。
だがいつの間にか、遺跡から出た時にはグローブのような『それ』は無くなっていた。
いや、正しくは違う。無くなったのではない、完全に右腕と一体化してしまったのだ。事実、遺跡を出る際にモンスターと戦闘になった時には『それ』が右腕の皮膚を突き破って現れるように、また少しだけ形を変えて出てきた。それはもうすでに義手だとかグローブだとかに似たものではなくて、肘まである黒い手袋のようだった。とても薄く、そしてぴっちりと皮膚に張り付いていた。
剥がそうとしても皮膚と『それ』との境目は見つけられず、切ろうと刃を突き立ててみても貫通することはなかった。
一体どうしたのかと、レイは不安感を覚えた。しかし遺跡にいた時、そして出た時の状況は空腹や疲労で酷い状況になっており、そんなことを気にしている余裕はなかった。
結局、遺跡から出てもどこに向かって歩いていいか分からず、途方に暮れた。運よく人が通りかかることなんて――遺跡の近くでは――絶対にありえないし、ぶっ倒れそうだった。
しかし立ち止まっていてもどうすることは出来ないので、レイは歩き出した。そこからは長かった。
今歩いている方向が正解なのか分からず、このまま荒野の藻屑となる危機感や焦燥感でおかしくなりそうであって、そしてこの時に初めてモンスターを食べた。
ハウンドドックだった。寄生虫、感染症などの不安感を覚えながら荒野で出会い殺したハウンドドックの肉を食べた。
率直に。
味はクソまずかった。トイレ掃除をした後の濡れた雑巾を高温多湿の場所で干した後のような、ゴミ以下の味がした。
これはきっと拒否反応で、体がこれ以上食べてはいけないと忠告していたのだろう。
レイは一口二口食べてその場を後にした。
その後、どれだけ歩いたかは分からない。永遠に感じるような、とても長い苦痛の時間だった。意識が朦朧としながら歩き続け、ほぼ生への執念だけで体を動かしていた。
地獄のような数日だったとレイは食べながら思い出す。
この都市を見つけた時は、これまでのどのことよりも嬉しかった。咽び泣きそうになったし、崩れ落ちて神なんてものに感謝したくなるぐらいには。
そこから遺跡の中に入って――こうして料理を食べさせてもらっている時までの記憶はない。ほぼ気が付いた時には目の前にある料理を頬張ってた。
「それで、確かなんでもやってくれるってことだったわよね」
サンドイッチを食べ終えて、レイが目の前の皿を平らげて一段落したところでロベリアが本題を切り出す。
レイは次の料理へと伸ばそうとした手を止めて、ロベリアの方を見た。
「ああ。何でも引き受けるぞ。些細なことから殺しまでなんでもだ」
「………」
ロベリアは言葉を失った。
少年に料理を食べさせたのはあまりにも痩せこけていて可哀そうだからと慈悲をかけたからであり、少し前に良いことがあったための気まぐれというものだ。そしてなんでもやってくれる、と訊いたのはちょっとした意地悪というやつだ。
てっきり少年が戸惑う姿が見れると思っていた。しかしその正反対の子供らしくない、年齢不相応な反応を見せたためにロベリアは言葉を失ってしまった。
「どうしたんだ?依頼があるなら引き受けるぞ」
しかしそう毅然として言い放つ少年を見て、ロベリアは戸惑いながら口を開く。
「一応訊いておくけど、生体手術や機械化手術で容姿を偽っているわけではないのよね?」
手術を行えば誰でも容姿から背の高さまで自由自在に変更できる。その可能性を疑ってロベリアは訊いてみたが、返答は予想通りのものだった。
「いや、違う。詳しい年齢は分からないが少なくとも二十年以上は生きてない。あと俺が手術を受けているように見えたのか?」
「いや、まああれ。聞いたのは一応ってことね」
「……そうか。分かった」
レイはそう答えると料理を口の中に放り込んだ。
その後、しばらくの間レイが食べるだけの時間が続いた。サラを一つ、また一つと平らげて満腹になったレイはもう一度、ロベリアの方を見た。
「相当のことじゃなければなんでも引き受ける。好きに言ってくれ」
ロベリアは依然、困り顔のまま何かを考えているようにテーブルを見ていた。しかしレイに声をかけられると何かを思いついたように顔を上げた。
「私、もうあとすぐでこの都市から出て別の都市まで行くんだよね。それについてきて話し相手になってよ」
「いいのか、そんなことで」
ただ送るだけの依頼。表面上はなんとも簡単で単純そうなものだ。
「いいわよ。暇だし」
ロベリアの返答を聞くと、レイはコップ一杯に入った水を飲み干した。そして心身ともに満たされた状態のレイはあることに気が付く。
(いや………まずいんじゃないか?これ、もしかして)
よくよく考えてみたらレイの立場は複雑だ。今はPUPDの手から逃れているが場所が露呈する可能性は十分にある。その時にロベリアと一緒にいたのならば彼女を巻き込むことになる。水と腹を満たしたおかげで頭が回るようになってそんな当たり前の懸念点が次々と浮かび上がってくる。
しかしだからといって今更依頼を引き受けないのも不義理だ。ここまで食べさせてもらって、無理ですとはいかない。倫理的にもレイの矜持的にも。
一日二日で終わるものならばすぐに終わらせてまた別の都市に移動すれば彼女に迷惑をかけなくて済む。
そう思ってレイは提案する。
「いや……別のもっと短期間で遂行できる依頼はないか?」
しかしロベリアの返答は予想通りのものであり、思い悩むものだった。
「なに、時間ないの?それともこの都市から移動するのが嫌?」
PUPDに追われているから巻き込む可能性がある、だなんてことは言えるはずがない。
「………そういうわけじゃないんだけど。諸事情であんまり一緒にいると迷惑をかける可能性があるから、出来るだけすぐ終わるものにしたかった、だけなんだが……」
レイは戸惑いながら、言葉を慎重に選んで諭すようにロベリアに言う。しかしロベリアはそんなレイを見て口に手を当てて笑った。
「ふ、ふふ。まあそうね。確かに人には色々な事情があるものよね。あなたにも、あそこで合成肉を食べている人も、そこらにいる冴えない老人も………そして私にだって」
ロベリアは薄く、口元に笑みを浮かべながら人差し指で自分を指した。
「逆に私と関わったらあなたが危ないかもね。まあ気にしないで、どちらともそういう身分なんだったら別にいいじゃない。楽しくやりましょ?」
そういう身分。
レイと同じような。
例えば命を狙われてるだとか。
例えば……。
レイはそこまで考えて思考を断ち切った。これ以上は踏み込んではいけない気がしたためだ。また傭兵として依頼人の素性には突っ込まないのが常識だ。
「は……はぁ、まあ………わかりました」
もうどうにでもなれ、とそんなような気持ちでレイが答えた。
「ふふ。じゃあよろしくね。もうすぐ出るから準備があるなら今の内にして。東門で待ってるわ」
「分かった」
口約束だがこれで依頼の受注は完了した。
何日になるかは分からないが、こうしてロベリアとレイとの関係が始まった。
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