第20話 ピルグリムクッキーズ
大規模スラム。元はフィクサー、ジープが支配していたコンテナが立ち並ぶ領域で、一人の老人が警備隊に取り囲まれていた。周囲には弾痕や何かが爆発した後のような痕跡があり、戦闘が行われたことが明らかであった。そして、警備隊が取り囲む老人、それがこの状況を創り出した犯人であることは疑いようのない事実だった。
老人は片手を切り落とされ、足は膝からしたがなかった。今は、警備隊の延命機器により生き延びているが、もし取りはずしたら数分で死ぬ。
取り囲む警備隊員の中で、老人の前に立っていた男が老人に近づく。
男は褐色の肌をして、背は特段高いとは言えず普通であった。一般的に美形と言われるような顔立ちをして、背筋を伸ばし歩くその姿はまさに警備隊員という感じであった。
トリス・アンヘル。それが彼の名だ。
トリスは老人の真正面に立つと口を開いた。
「フィクサー、ジープの部下。主にこのスラム一体の管理をしていた。名前、年齢ともに不明。戸籍、コードネームすらない。スラムで生まれたのか?」
老人はレイに依頼を出し、スラムから間接的に救い出したあの男だった。老人は笑う。
「はっは。生まれなど、些細なことでしょう?あなた方、いやあなた側の人間には」
トリスは感情を隠すことなく、表情を露骨に嫌そうなものへと変える。
「それは僕たち都市側の人間が嫌ってことか」
「違いますよ。ええ、とても根本から間違っています」
「………」
「私はもっと、都市側だとか
「理解できないな。哲学か?」
「まあ所詮、水掛け論ですよ。そこまでの議題ではないということ」
老人は一息ついて続ける。
「それで、私を捕らえたということはもうすでに……いや分かっていたことですが、警備隊も本気ということですね。で、何を私に訊きたいのですか?」
「訊いたところで話てはくれないだろ」
「内容によりますよ。例えば今日の朝ごはんだとか、そんなことでよろしければ何なりと」
「そうだな……じゃあジープがどこに向かったか知ってるか」
トリスの言葉に老人は噴き出して、そして大げさに笑う。
「名前なんでしたっけ」
「トリスだ」
「あなた、向いてませんよこの仕事」
「なに……?」
「ジープが逃げた場所、とあなたは訊きましたね?そんなことを訊くってことはすでに、無事に、何も露呈することなくジープ様は逃げることが出来たってことの証明じゃないですか。状況から、私がジープ様の動向を逐一教えてもらっていることなどあるわけがないでしょう?あなたは適当にジープ様を捕まえたことにしておいて、人質に使って、私から情報を得ればよかったのに……まあ、ジープ様が捕まっている時点でお察しという具合ですが。まあともかく、こんなにも簡単に、ジープ様が逃げられたことを私に言ってしまうなんて、だから向いていないと、私はそう言ったのですよ?」
「………」
トリスはまた、顔を歪めて露骨に怒ったような表情をする。
「気に入らないな。その態度、お前たちは多くの市民を殺したんだぞ。それに僕達の仲間だって、何人が死んだと思っている」
「そんな些細なこと知りませんよ。いいですか、私達は正義でもないし清廉潔白でもないしいい人というわけでもないんですよ。汚れ仕事を請け負って、汚れた金を受け取る。そんな商売をしてきた。今更、誰であろうと手をかけることに迷いはありません。――レイさんだってそうですよ。彼が今まで何人の人を殺してきたか知っていますか?もう数えきれないほどの数をその手をで
トリスは舌打ちをして、思いっきり老人の顔面を蹴った。そして土の地面に這いつくばる老人の頭を踏みつぶし、言う。
「別にお前の肉体がどうなろうと知ったことじゃない。お前が今ここで何を知っても意味はない。たとえお前が本当のことを喋っても、嘘を口走っても、結果は変わらない。お前の頭を分解し、脳を取り出しコピーする。記憶を読み込み、洗いざらい、情報を吐き出してもらう」
老人は、少し息を切らしながらそんなことを言ったトリスを鼻で笑う。
「また……。さっきも言ったではありませんか、そういった情報は喋らない方が良いと。もし私が体内に爆弾を埋め込んでいた、それが起爆したら脳がぶっ飛んでとても記憶なんて読み取れませんよ?それに私が通信機器の類を持っていて、ここで喋ったこと、聞いたことが別のサーバーに送られているとしてたら、一言の失言も許されませんよ?ふっはっは。あなた、やっぱり向いていません――」
「――ったく」
トリスが老人の頭部を強く踏みつける。強化服を着ているためぐちゃという音がして頭部が少し凹む。しかし人間は以外と頑丈で、老人は生きていた。
「頭に血が上った挙句……それですか。もしそれで私の脳を潰してしまったら失態どころではないですね」
「そうかもな」
「はっは。思ったよりも落ち着いているんですね。驚きましたよ、殺されたんですって?あなたの彼女。名前は確か……リーシ――」
「――黙れ」
トリスがもう一度、頬の辺りを踏みつぶし老人の言葉を遮った。
「リーシャは死んだ。それは確かだ。あのガキに殺されて路地裏に放置されて……死体すらも浮浪者の餌食になった。可愛い笑顔をする子だった。今まで付き合ってきた中で唯一、共に過ごしていきたいと思えたよ」
「………」
「なあ、あんたにも大切な人っているのか?そいつは……っはは。いや、意味のない話だったな」
トリスの言葉に老人は返さない。しばらく、奇妙な空気が流れた。
しかし突如、老人が確かな怒りを込めて口を開いた。
「リーシャ?知らないですよ。あなたの都合なんて私には関係ないですし、これっぽちも気にならない。それとも悲しかったですと、同情をかっさらいたかったのか?。ああ?じゃあレイが、俺達が何も失ってこなかったと?お前はそう言ってんのか?壁の中でぬくぬく育ってきたお前のような奴が雄弁に語るなよ。失うことが出来るってのは幸せだぞ、俺たちは最初から何も持ってなかったらな、だから何も失えなかった。ふざけているのは君だろう?何を得意げに語っているんだと俺は言っているんだ」
確かな怒り、そして果てしない憎悪。彼が生きてきた年数分、溜まりに溜まった都市への鬱憤をトリスはぶつけられて一瞬、言葉を失う。しかしこのままで恰好がつかないため言葉を絞り出す。
「おい、こいつを運び出せ。すぐに脳を解体しろ」
部下に命令し老人を壁内に運ぶ。そしてトリスは意識を切り替えるように別のことを考える。
(まあいい。議会連合からの通達もある)
中部を支配しているのは大企業でも都市でもない、『議会連合』と呼ばれる地域経済統括機関だ。中部に存在する一つ一つの都市はすべて議会連合の傘下であり都市の幹部でさえ、逆らうことは許されない。大企業でさえも同様だ。議会連合からの要請は命令であり、断りでもしたら取り潰される。もし逆らったのならば脳を解剖され、体は道具として保管され、玩具のように、ゴミのように扱われる。地位も名誉も、尊厳でさえ――崩れ、奪い取られ、踏みにじられる。
議会連合に逆らった者達の結末はみな悲惨だ。
ロッキーアン人材派遣会社。信頼も厚く、従業員も多くいた。皆が戦闘経験豊富であり都市が請け負えないような仕事や私設部隊を持たない企業の護衛として活躍していた。しかし議会連合に関する案件で大きな――議会連合幹部の秘書を反政府主義者に殺される――という失態を犯し、その一週間後にはロッキーアン人材派遣会社は本部だけでなく各地の支社もすべて取り潰されていた。
従業員のその後も不明だ。少なくとも社長や取り締まりなど、重要な役職についていた者は全員殺されている。
その恐怖、容赦のなさ、故に強固かつ絶対的な支配を議会連合は
そして、ロッキーアン人材派遣会社の従業員を殺し、誘拐したのは議会連合直属の『PUPD』という実行部隊だ。都市管轄の警備隊とは違い、都市ごとに存在しているわけでも都市だけを守るわけでもない。
議会連合直属のPUPDはただ議会連合の命令で、議会連合の為に動く。殺害、誘拐、制圧などなど、その任務は多岐に渡る。警備隊に比べて権力、装備共に隔絶しており、凶悪犯罪者であろうと、PUPDを前には成す術がない。最新鋭の装備を搭載し、どのようなサイバーデバイスを体に仕込もうが市販で売られている物には限度がある。
議会連合の定めた基準よりも高性能な製品を企業が売ることは禁じられているし、もし作ってしまったのならば議会連合としか売買をしてはならない。どれだけ裏のルードで頑張って装備を集めてもPUPDには敵わない。
中部においてPUPDは絶対なのだ。
また、PUPDも幾つかの組織に分かれている。
主に遺跡、反政府主義者に関する最重要事項を請け負うピルグリムクッキーズ。
懸賞金モンスター、凶悪犯罪者、都市がらみの案件を請け負うヒンシャ。
企業に関する問題を中心に議会連合の汚れ仕事を請け負うアンレベル。
そして、警備隊では扱うことの出来ないような、また情報漏洩のために議会連合が対処しなければならないような問題に対処するテレパラフ。トリスはこのテレパラフに表上所属するPUPDの構成員の一人だ。
いうまでもなく、テレパラフはこの三つの中で最も簡単な事案に対処する部隊であり、最も安全。故に支給されている武器も権力も警備隊より少し上ぐらいでありPUPDの面汚しなどと――内部では言われている。
(まあいい。俺はすべきことをするだけだ。まずはこいつを送り届け、テレパラフの中で地位を得て、次はアンレベルだ。だがまずは――リーシャを
リーシャはマザーシティの警備隊員だった。テレパラフであるトリスだが任務の際に警備隊員に偽装していた、その時にリーシャとは出会った。
よく笑ういい人だった。
些細なことでも喜んでくれる優しい人だった。
だが。
だけど。
昨日、額を撃ち抜かれ、首を掻っ切られて、死体は浮浪者達に――。
(イラつかないようにとは思っているが、やはり……少し)
そこまで思考を回したところで、ふと、トリスが老人の方を見た。
老人は今まさに連れていかれようとしているところであり――老人はただじっと睨みつけるようにトリスを見ていた。
瞬間、これまであった怒りが一気に退いて、逆に全身の鳥肌が立つような悪寒を覚える。そしてトリスが、何故かは分からない、身を退いていた。
そして老人はトリスを凝視しながら口を開く。
「だからあなた達は学ばない。いつも気取って見下して、だから足を掬われる。たかが大事な人が死んだぐらいで、めそめそと。だから取り逃がす。そして殺される、なんともないような存在に。やらねぇよ。たった一つの情報でさえ、お前たちのような権力者の犬にはな」
何を言っているのか分からなかった。だが何か良くないことが起きようとしているのは分かった。トリスはおもむろに老人の元まで走って近づく。
「お前、ここからどうす――」
だが間に合わず、老人は最期に一言だけ残した。
「さようならだ、ジープ様」
突如、本当に小さな音だったがカチッっという音がした。
(そしてレイ君)
老人は心の中で呟いた。そしてその直後、体の中に埋め込まれていた爆弾の爆発で、辺りは白く照らされた。
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