第16話 燦然なる時

 完全に日が落ち切った頃、レイがとぼとぼとスラムを歩いていた。当然、街灯などあるはずもなくスラムは暗かった。地面は当然、舗装されていないため土がむき出して、そして一部が緑や紫色に変色している。

 そして鼻がおかしくなってしまいそうなほどの刺激臭が辺りには漂っていた。ほんと数年までまでレイはこのスラムで暮していたためこの匂いを知っている。都市の中で暮し始めて久しかったが、どこか懐かしい。小屋と小屋の間にかけらた布にぶら下がる布を手で避けて、脇に倒れる人を踏んずけないように移動する。

 色々と腐った環境。都市内部での生活に慣れてきたレイにはあまりにも退廃的に映った。だがレイも今やこのスラムの一部。初心に帰った気持ちでいる。

 また、スラムは完全な暗闇というわけではなく、都市から漏れてくる光やごみを燃やした時に出る光で一部分だけが明るい。基本的にはドラム缶のような円形の入れ物にゴミを詰めて燃やす。生ごみなどを燃やした時の匂いは最悪だ。そして大体、そうした火の周りには人が集まっている。

 人は本能的に炎を見つけると安心するが、それが集まっている理由の一つなのだろう。もう一つはスラムで行われてる炊き出しが関係している。都市は日に一度、決められた複数箇所で同時に炊き出しを行う。それにはスラムの住民が反発するのを避けるためといった理由があるが、そうしたわけもあって炊き出しが行われる場所付近にスラムの住民は固まっており、暖を取るためであったり炊き出しの火であったりなど煙が上がっている。そしてこの肥溜めにも階級はあるようで、炊き出しの場所から近ければ近いほど階級も高くなる。たかが飯。だがスラムの住民にとっては最も重要なことだ。結局のところゴミ山の大将であることには変わりないのだが……彼らにとってはそれがすべてなのだ。

 そして炊き出しは昼に行われるが、今は夜。レイのすぐ目の前に煙が上がっているが、それは少しおかしなことだ。暖を取っているわけではないだろうし、火をつける理由がない。

 だとしたら。

 恐らく――。


「苦しくはありませんか? ならばこのヘズ教に――」


 都市以外も炊き出しは行っている。それは企業であったり慈善団体であったり、そしてこのように宗教団体が信者を増やすためであったり、はっきり言って何が入っているのか分からず、過去には薬の実験としてスラムの住民にご飯を配っていたために怪しいが、日に一度の食事だけでは餓死してしまうスラムの住民にとって――表向きにだが――慈善活動の一環として炊き出しを行う者達には感謝していた。


「神は信じてないんだ」


 レイは白いローブで身を包んで、そう語りかけてきた宗教関係者を断る。宗教徒は断れてもしつこく勧誘することなく、別の者にターゲットを移す。レイの目の前では『ヘズ教』と思われる宗教団体が行っている炊き出しが見えた。ずらっと一列に人が並んで、今から並んだとしたら貰えるのはかなり後になるだろう。


「…………」


 レイはその脇を素通りして目的の場所に向かう。大規模スラムの中心部、壁の外でありながらバラック小屋以外の建物も見え隠れする場所だ。壁外の場所であるためマザーシティが管理している場所ではなくたった一人の個人に場所。

 レイにとって最もなじみ深く、世話になっていた場所だ。

 しばらく進むとその付近だけ明かりが灯り始め、市場いちばのような――売っているものはすべて粗悪なものだが――があり、夜であるため人は少なく店も撤収しているがそれでもゴミが燃やされて付近一帯が明るくともされていた、

 そして付近の建物も変わり、バラック小屋から長方形の金属製のコンテナが立ち並ぶ異様な空間に着く。レイはそれら一つ一つに目を通して、そしてある一つのコンテナの前で止まった。

 

(懐かしいな……)


 コンテナの前に立って感慨深そうに息を吐いた。すると、横から声をかけられる。


「お久しぶりです、レイ様」


 振り向いて横を見るとそこには、浮浪者のような見た目の男性が立っていた。薄汚れた帽子をかぶって、猫背で、ニタニタとした笑みを浮かべていた。


「ああ、久しぶり」


 レイも言葉を返して互いに手を握り合う。


「用件は早めに済ませましょう。これが様からの最後の命令ですから、それにこの状況、私も安全とは言い難いですから」


 目の前にいるこの男性はフィクサー、ジープの部下だ。

 なぜ、大規模スラムの中にあってこの一部分だけが異様なほど快適で様変わりしていたのか、それはジープがこのエリアの支配を担当していたからだ。フィクサーは各々、支配領域があり、ジープはこのエリアだった。


「ああ。頼む」

「分かりました」

 

 目の前でコンテナに何かのカードをかざしてロックを開こうとしているこの男性はジープの手足としてこのエリアの直接的な支配を命じられていた。名前はないらしい、このスラムで生まれ育ったからだとか。ただ便宜上、レイはこの男をジジイだとか部下だとか適当に呼んでいた。

 そして、レイがジープと関係を持つのに至った直接的な要因はこの男性にある。レイは元々、この辺りで生きており――もう覚えてはいないが――何かの拍子に知り合って、傭兵として依頼を持ちかけられるにいたった。

 要は、間接的には、命の恩人であるわけだ。

 この男がいなければレイは今もスラムにいたままであったし当然、アカデミーには通っていなかった。

 そして、レイが依頼を受けるようになってからはこれまでのように土の上に布を引いて寝るのではなくこの――目の前の――コンテナの中で生活するようになった。


「では、開けますね」


 ロックを解除した老人がコンテナの扉を開く。

 するとその瞬間にほこりが舞い散って、少しあとに自動照明がく。


「ありがとう」

「いえいえ」


 ベット――のような物や服、銃が中には置かれてあった。どこか生活感が漂っているのは当然、数年前までレイが暮していたからだ。久しぶりの実家?に少しだけ高揚して中に足を踏み入れる。

 そしてすぐに気が付いた。


「なんだこれ、知らないぞ」


 部屋にはバイクと簡易型強化服が置いてあった。このコンテナには数年前から出入りしておらず、当時には当然、こんな高価なものを取り揃えられるだけの金銭的余裕はなかった。


「それに、これ俺の知らないやつだ」


 銃器が置いてある場所にレイの知らない物が何艇か置いてあった。思い返してみればコンテナを開けた時に埃こそ待っていたものの床に積もった埃は少なかったし一部分にだけ埃が降り積もっていなかった。

 

「はい。私が……というよりジープ様からの命令でこのように手配しました。どうでしょう?」

「どうでしょうって……これでどうするんだ」

「簡易型強化服はあなたが修理に出していたものを回収してきました。バイクはあなたに差し上げます、必要でしょう?ここから逃げるために。それとこれを」


 男は一つの袋をレイに渡す。


「中には現金がちょうど1000万ディロ入っています。銀行口座はもう使えないでしょう、これを」

「いいのか、なんでこれを」

「ジープ様からです。まだ先日の報酬が振り込まれていなかったでしょう?これはその代わりとのことです。そこにあるバイクも簡易型強化服もすべて、ジープ様が最後にとあなたに届けました。もともとの原因は嵌められた僕だから、とおっしゃっていました」

「そうか」


 ミナミとの最後の電話でこの場所に何らかのものが用意されているとは分かっていたがまさかここまでのものを用意してくれているとは思ってもいなかった。

 心の底からありがたいと思うのと同時にジープを信じたのも依頼を引き受けたのもすべて自分なのだからここまではしなくていい、と同時に引け目のようなものも感じた。

 そんなレイの状況など気にせず、男はコンテナ内を歩きながら言う。


「さて、これで私の仕事は終わり。貴方とはお別れです。これで最後というのは早すぎる気がしますし、これの説明でもしましょうか」


 男はそう言って、壁に立てかけて置いてあった突撃銃を手に持った。

 レイはその突撃銃に関して大まかな情報は知っていたがこれで最後なので説明を聞くことにした。


「ああ。頼むよ」


 返事を聞いた男が笑い、話し始める。


「ダブルアームズ社製突撃銃BAR-47。持続性、信頼性、整備性に優れ頑丈。高価な値段帯の中だと最もスタンダード且つ最も優れている。扱いやすく軽量。ハンドガードのグリップ性能も高く、握りやすい。テレスコピックサイトは同じくダブルアームズ社製KVG-C。通常2倍、最大で7倍まで可変可能。レティクルはスタンダードなサークルタイプ。懸念点として挙げられていた火力不足に関して、不躾ですが私が勝手に改造を行い、通常の三倍まで引き上げました。その分、重量は幾分重くなっています。また通常一つの弾丸にしか対応していませんが、バレルを操作することにより弾丸を二種類使用することが出来ます。用意した弾倉は二種類合わせて二十個。バイクに積んであります。私はもうすぐこの仕事を終えますので何か変更点がありましたら、今ここでお願いします」


 壁に寄りかかりながら聞いていたレイは笑って返す。


「いいよ。あんたはいつも完璧だっただろ」

「はは。そう言っていただけると幸いです。バイクの説明は?」

「改造してあるのか?」

「これは……そうですね。装甲の部分を強化しただけで大まかな変更点はありません」

「そうか。これBERMODだろ?」

「はい。では……」

「ああ。大体は知ってる。これ以上手を煩わせるわけにもいかないし、やめておくよ」

「……そうですか。わかりました。では、また御会いする時まで」


 男が突撃銃を置いて、そしてコンテナから一歩外に出る。そして振り向いてレイに一言告げる。


「今までありがとうございました。死なないように頑張ってください。案外、私達の最後はこんなものでしたか……それでは」

「ああ」


 コンテナが閉まる。老人は頭を下げてお辞儀をした。


「今までありがとう」


 扉が閉まるその瞬間、レイは最後にそう言った。


「…………はぁ」


 そして一人になったレイはため息をついてベットに座った。埃は被っていない。きっと掃除してくれたのだろう。

 そして緊張の糸が切れたからか、体から自然と力が抜けてレイはベットに倒れる。すでに警備隊に追われていた時のような――ジャンプして空を飛びあがった時のような――感覚はなくなっていた。

 一体あの時の異常なまでの力はなんだったのか、思い当たる節があるとしたらそれは、強化薬だ。あの時に体に撃ち込んだ強化薬、あれが原因だ。よくよく考えてみれば都市管轄の警備隊を動かせるだけの力を持つ権力者が持っていた代物しろもの、明らかに危険で普通の強化薬であるはずがなかった。


「三時間だけ…」


 レイは呟いて、そして気絶するように眠りについた。

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