第15話 祝福
リリテックアカデミーから出て少し経った頃、レイは商店街のような場所を歩いていた。木を隠すなら森の中、レイは出来るだけ人の多い場所を移動するよう心掛けていた。
だがリスクも当然ながら存在し、人が多いことで見分けがつかないことが問題だ。相手が警備隊ならば制服を着ているだろうから問題はないが、そうでなかったとしてら……ということだ。
レイは注意深く、行き交う人々を見る。これでも何年か、ずっと傭兵として生きてきているのだ。そうである人とそうでない人の区別ぐらいはつく。ローブで顔を隠す人、豪華な装飾品を身に付けている人、隠しているが武器を持っているであろう人、スーツを着る人、そして都市警備隊の制服を着る者。
比較的治安の良いこのアカデミー周辺で警備隊を見つけるのは稀だ。それこそ事件を起こしただとか誰かを探しているだとかの理由がなければ来ない。まだ、ミナミの言っていたことが本当かは分からないが、これで少しは信頼性も高まった。
レイは警備隊の姿を確認すると横道に逸れて少し遠回りして目的の場所まで歩く。マザーシティは広い、現在地が中央辺りでなくとも出るまでに走ってもかなりの時間がかかる。それまでに警備隊の手から逃れながら、目的の場所を目指すというのは大変だ。
経年劣化によって舗装に穴が空いた地面の上を歩きながら、両脇に並ぶ落書きに視線を送りながらレイが進んでいると、前の横道から突然、警備隊の者達が現れる。二人組で――相手の反応を見ればレイと遭遇したのはたまたまだろう。
レイは前から歩いて来る警備隊に警戒し、立ち止まったが警備隊の者達がレイを見つけた瞬間に追いかけるようなことはなかった。二人で喋りながら路地裏を歩いている。
だとしたら。
警備隊の者達の反応を伺うにレイに関しての情報が全員に回り切っていない可能性がある。それかレイの情報は極秘であり、一部の人にしか知らされていないか。また、レイにまで足がついていない可能性やミナミが嘘をついていた可能性など、色々と思い浮かぶ。
レイは懐の中で拳銃を握っていた手を離し、外に出す。
そして何事もないかのように警備隊とレイとがすれ違う。
警備隊の二人はレイのことを素通りしてそのまま歩いてく、そしてレイも気にせず目的の場所を目指す。
だが、レイは突如振り返って拳銃を構えている警備隊を視界に納める。
(思いつく限りで最悪のパターンか?)
おかしいとは思っていた。前から歩いて来る時、すれ違う時、二人は話しながらもレイのことを横目で見ていた。いつでも拳銃を抜けるような体勢を取って、レイのことを見ていた。
スラムでよく見る追い剥ぎに似ている。
だからレイは気づけた。
警備隊の内一人はレイに拳銃を向けて、もう一人はどこかと通信しているのか口を開けて話している。だがレイが振り向くとすぐに通信を止めて拳銃を引き抜こうとした。
通信によってレイの居場所が仲間に共有されたか、だがあの短時間で詳細な情報までは伝えきれてはいないはず。いずれにしてもこの二人は殺さなければならず、同時に警備隊員にいきなり拳銃を向けられるということはミナミが言っていたことは本当のようだ。
そして警備隊の一人が拳銃の引き金にかけた指に力を入れる。
(勧告もなしにいきなりかよ)
捕まえて情報を吐かせるとか、色々とそういったことをしないのかと悪態を吐きながら例も拳銃を発砲した。
ほぼ同時に放たれた弾丸。レイが撃ち出した弾丸は警備隊員の肩の辺りに命中し、警備隊員の放った弾丸はレイの横腹を掠りはするものの致命傷にはならない。だがもう一人、拳銃を引き抜いて、今まさに引き金を引こうとしている警備隊員がもう一人いた。
レイは続けてもう二発、通信を行っていた警備隊員の頭部ともう一人の頭部に向かってそれぞれ放つ。
弾丸は二人の頭部に着弾し、警備隊員は地面に力無く倒れる。血液が地面に空いた穴に溜まって、流れる。
レイは二人の死体に視線を一度も送ることはなく、拳銃を懐にしまいながら歩き出した。
警備隊員を殺したのだ、もう言い逃れはできない。今までやってきたように犯罪者を殺すのと訳が違うのだ。都市を敵に回すことになる。だが生かしておけば仲間に連絡される可能性があった。そして警備隊員の行動からも分かるが、本当に追われているらしい。それもいきなり拳銃を向けてきたということは、殺害許可も出ているのだろう。それか足を撃って生け捕りにする予定だったのか。
「めんくせえな……」
マザーシティではどこまでも成り上がることができる。ただそれは果てしなく難解で運が必要だ。たった一歩、階段を上がることさえ容易ではない。その一歩の間に多くの者が死んでいる。そして階段を一段上がってもその行為はほぼ、永遠に続く。
地獄のような道のり、だが転落するのは――階段から転げ落ちる時のように簡単で一瞬で、レイは今までもそうした者を見てきた。そして自分はそうならないようにと行動してきた。しかし、どこで間違ったか、いや、最初から間違っていたのかもしれない。
レイはたった一歩、踏み外してしまった。
スラムから這い上がりフィクサーと知り合い金を稼ぎ、勉強をしてアカデミーに入学し――。
だが今まで築いてきたものなど所詮、こんなものだ。人殺しは決して軽くない、だがしなければならなかった。この方法を選んだことが間違いだったのか、だがこれを選ぶしかなかった。
初めから袋小路に嵌っていたのかもしれない。
「……クソ」
レイが地面を蹴って吐き捨てる。それとほぼ同時に警備隊が目の前を塞いだ。先ほどの通信、恐らく死んだ警備隊の位置から近辺にいるレイの位置を割り出したのだろう。
警備隊員がレイの姿を視界に納める――その前にレイは動き出していた。レイがここら付近にいること知って、この裏路地までやってきた警備隊員達だが、すでに戦闘体勢のレイが急に目前に現れたことで取り乱す。
突撃銃を構えることも、拳銃を構えることも、格闘の体勢を取ることもできず。警備隊員達は
(またか)
無意識に体が動く。確かに体を動かしている感覚はあるのだが、手ほどきを受けているような、体にその動きが身についているような気がする。レイは格闘術など習ったことはない、強いて言えばアカデミーで訓練に関する講義を取った時だけだ。
だがこの奇妙な現象についてレイが考察する時間はない。大通りの方から警備隊員の声が聞こえる。すぐそこまで敵が迫っている。無駄なことを考えている暇はない。
「行くか」
レイは呟いて走り出した。
◆
木を隠すなら森の中、人間を隠すのならば人混みの中だ。警備隊員に大体の居場所がバレてしまった以上、路地裏を走り回っていてもいずれ追い詰められる。大通りならば人も多く隠れやすい、その上、人がいるところでは
レイは裏路地から移動してまた大通りの方まで来ていた。
ちょうど空が赤くなり出した頃、通りは帰宅する者や買い物をする者などで溢れていた。この状況はレイにとっては幸運で、警備隊側からしたら不運なことだろう。
レイは身を
いくら人混みにいようと――
(………バレた)
――たまたま目が合うこともある。
瞬間、目があった警備隊員は仲間を引き連れて、また通信して仲間を呼ぶ。一方でレイも人混みの中を巧みに移動する。人の間をぬって、通り抜けて――だが、相手も数はいる。
レイが人を押しのけながら移動していると突然、腕を掴まれる。
「っ――」
咄嗟にその方向に振り向いてみると一人の警備隊員がレイの腕を掴んでいた。その瞬間、レイは一切迷うことなく路地裏で拾ってきたビンの破片を握っていた手の甲に突き刺す。
反射的に握っていた手が離され、横からは痛みに叫ぶ声と共に「見つけた!」や「追え!」などの声が聞こえてきた。
(………)
仕方ない、とレイは拳銃を抜いた。そして空に向かって三発、発砲した。突然の銃声により混雑はしていたものの規則性のあった人の流れが一気に崩れる。逃げ惑う人、その場にしゃがみ込む人、叫ぶ者、そんな人たちが行き交ってぶつかりあって、それで喧嘩に発展して殴り合う。
果たしてこの状況でレイのことを追えるか、そしてこの混乱を収めるのが警備隊の本分ではないのか。レイにあと少しというところまで近づかれた警備隊の面々が一気に距離を離されてレイの場所が分からなくなる。
そしてすぐに、人混み、逃げ惑う群衆という状況下で警備隊はレイのことを見失った。
◆
「はぁ、はぁ、はぁ。ったく」
膝に手をついて息を整えながらレイが呟く。
拳銃を発砲した、混乱に乗じてレイは逃げた。人混みの中をかき分けて走り続けて。
心肺機能には自信がある方ではあったが、それでも焦りと緊張、そしてその状態で走り続けたことでさすがに疲労が溜まった。足は重いし喉は渇いている。いつの間にかすっかり日は落ち切って、辺りは暗くなっていた。それほどまでに全力で走ったのだ。その甲斐あって、目的の場所まではあと少し、やっと希望が見えて始めてきたところだ。
「あと少し」
呟いて、また歩き出す。
しかし。
目の前には遠くから歩いて来る警備隊の姿が見えた。
逃げようと振り向く。
だが後ろからも制服を見に包んだ男達の姿が確認できた。
(なんでだ)
細い裏路地、どこにも抜け道はない。
前方からは7人ほど、後方からは10人ほど。突破するとしたら前だが果たして七人を相手取れるか。時間をかけすぎたら後ろからも挟み撃ちになる。絶体絶命、四面楚歌、どう形容したらいいか分からないが、ただ危機的状況だ。
レイは周りを見渡して、拳銃の残弾を確認しながらあることに気が付く。
(カメラか。路地裏に来たのは失敗だったか)
裏路地だけではない、大通りだって繁華街だって、どこにだって都市が設置したカメラが見ている。依頼を行う際はまずはカメラの位置を把握して、細心の注意を払うのだが、緊張と焦りからか頭が回っていなかった。
大通りだと人混みに紛れて隠れられるが裏路地のような人が少ない場所では丸見えだ。
判断を間違った。
(きついな)
絶体絶命の状況だが、案外、レイは冷静だった。
この人数に挟み撃ちにされていて、持っている武器は拳銃一丁のみ。防護服はないし、当然簡易型強化服は着ていない。この状況から打開する
――だが。
だからどうした。
今までも意地汚く生きてきた。この程度で死を許容することなどレイには到底できない。
最後まで抗って生きる。
レイは決意を固める。
拳銃に残っている弾丸は五発。どれだけ精確に撃ち抜いても殺しきれない。
だが、レイは前方に向かって歩き出す。警備隊の者達はそんなレイの姿を見て拳銃を向けながら勧告する。
「今すぐ武器を捨てて投降しろ」
「分かった」
レイはそう言いながら発砲して敵の額を撃ち抜いた。
「こいつ――!!」
「やりやがった」
前方にいた警備隊の面々がそう叫びながら一斉に射撃を開始する。同時に背後からもレイに向けて弾丸が放たれる。一直線に宙を駆けて飛んでいった弾丸はレイに命中し肉体にめり込む。だがめり込むだけだ。貫通はしない。
「こいつ――人間か?!」
「人体強化手術の経歴はなかったはずだ!」
何十発、何百発という弾丸を食らいながらもレイは立ち、そして弾倉に入っていた4発で目の前の4人を殺す。だがそこで、糸が切れたようにレイが倒れた。
当たり前だ。
本来ならば肉塊になっていてもおかしくはない。まだ人の形を保っているだけ異常である。
「おい、早く死体処理班を呼べ。これは機密事項だ、議会連合に関わる案件だから絶対に、詮索するなよ」
隊長らしき男がレイに近づく。
そして仲間を制止し、あまり近づかないよう自分だけが至近距離で確認する。
街頭に照らされたレイの姿は酷いものだった。全身が血だらけで服は弾丸によって破けている。
少なくとも生きているようには見えないが、万が一ということもある。男はレイに近づいてその生死を確認する。そして顔を近づけてレイの負傷具合を確かめる。
「出血は酷いな、傷の方は…………は?」
体にべったりとついていた血のせいで分からなかった。いや気づかせなかった。
レイの体に切り傷、ましてや弾痕などなく傷一つなかった。
男がその事実に気が付いた瞬間、レイが目を開けた。
「――こいつ生きて」
男は咄嗟に身を
警備隊の面々はさすがに、隊長を人質に取られて迅速な行動ができるはずもなく少し戸惑う。そしてそれはレイも同じだった。
(熱い……痛てぇ)
体は燃えているように熱かった。意識は朦朧としていた。全身にハンマーを振り下ろされているような鈍痛があった。そしてこれらの症状は昨日と今日に渡って寝ていた時に起きていた現象と全く同じだった。
(……どうなった。俺は今、人質……?なんだ)
やっと回り始めた頭で状況を確認する。どうやらラーリの時、警備隊との戦闘の時のようなことがまた起きたらしい。無意識化での行動。レイに意識はなかった。
明らかにおかしい、が今そんなことを気にしていられる状況ではない。
(こいつを壁に……いや挟まれてる。武器はこいつが持ってる奴を拾えばいい。どうする)
男で斜線を切りながら武器を拾う。
そこまでを考えて、他の案を考える時間はなかったのでレイは実行に移す。
まずは男を横に蹴とばして一方の射線を切ると横に飛んで突撃銃を拾ろ――。
「――は」
大きく、レイが横に飛んだ瞬間。地面が
一瞬でこの高さまで飛び上がれる脚力。
「はは……。どうしちまったんだ俺の体」
明らかに、今起きていることは異常だ。
その原因。思い当たるとしたら、あの強化薬しかない。あの強化薬は警備隊を動かせるだけの権力を持った人が関わっていたのだ。ただの強化薬であるはずがなかった。よく考えて使っておくべきだったと、考えるのと同時にあの時にはそれしか選択肢がなかったと同時に思う。
レイは下を見て、さっきまでいた路地裏を確認する。同時に右手を見てそこに握られた肉片を一瞥する。路地裏には隊長の死体があった。レオが掴んでいた首の辺りの肉が取れて。
「嘘だろ」
この脚力も、そしてこの力も人のものではない。
だが。
だがしかし。
今はただこの力に感謝する他なかった。
レイはビルの側面を地面のように使い方角を変えて外を目指す。ビルの上を飛んで動きながら息も切らさず移動する。
飛んで走って滑って、レイはその強化された身体能力を遺憾なく発揮しやっと――外が見えた。
「ああ」
レイは思わず声を漏らす。
マザーシティは円形の都市であり、周りを壁が覆っている。それは外敵を防ぐためであったり、弱者が入ってくるのを防止するためであったりなどだ。そしてマザーシティが抱える人口を都市内部だけで留めるのにはは不可能があった。権力闘争に敗れた者達は段々と中心部から遠ざかっていき、壁の傍まで落ちて行く。だがそこでさえ弾き出された者達は――壁外にある大規模スラムへと転落する。
レイが今、空中で自由落下しながら見ているのはその大規模スラムだった。マザーシティの壁を取り囲むようにしてあり、いたずらなほど大きい。そのさらに奥、地平線の先には荒野が続いており二日間ほど移動すると他の都市が見えてくる。
広く、汚く、暗く、醜い、大規模スラムはそんな場所だ。錆び切った鉄板を組み合わせただけのバラック小屋が広がり、小屋と小屋の間には
学もなくただ毎日を死んだように生きるだけ。明日の食事など考える暇はなく、今日を生きるので精いっぱい。餓死で死ぬか病気で死ぬか争いで死ぬか。少なくとも満足のいく死に方はできない、そんな場所。
そんな場所で、レイは育った。
レイは壁内にあるまだマシなスラムで生まれ育ったのではない。まだ衛生環境は良く、探せば食べ物がある都市内部のスラムで生きてきたのではない。レイは物心がついた時からこの大規模スラムの一員だった。
朝になれば食べ物を探し、夜になれば寝る。そして光り輝く都市の中心部を見て生きてきた。だから誰よりも執着があった、成り上がるということに。
そしてそのためにはなんでもしてきた。
ジープと知り合って、依頼を遂行して信頼を稼ぎ、その金で勉強し、アカデミーに通った。思えば長かった。この肥溜めから出てここに至るまで。結局は元の場所に戻ってきてしまった、とレイは自虐する。
「笑えるな」
目的の場所はここにある。
ここならば広く、そしてカメラもない。スラムの住民による反発で警備隊が突入するのも難しい。少しの猶予が出来た。
「はっはっは」
レイは笑いながら、バラック小屋に落下した。
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