第14話 講題
リリテック・アカデミーは選択授業制で誰が、どんな講義を受けてもいい。クラスなども設定されているが、あくまでも自由に際限なく授業を受けていい。
そうすると教授が休みの際には授業自体が無くなったりすることがあり、その時間がまるまる暇になる。そうした場合、近くの繁華街やアカデミー内の食堂、休憩室で時間を潰すことがほとんで、レイとニコも暇になった時間、少人数用の休憩室で話しながら休んでいた。
「それでさ。あの野郎、自分が悪いのに授業勝手に延長してさ、大変だったよ」
丸いテーブルの半分の面積を覆いつくすほど、ニコはテーブルにべったりと張り付くように上半身を乗せながら、心底面倒そうに言った。
「あの人、こだわり強いからな」
レイは携帯食料を齧りながら返答する。
「ほんとだよ。勘弁して欲しいよ」
「はは」
それまで自らの腕に顎を乗せて、斜め下の辺りを見ていたニコがレイの方に視線を向ける。
「そういえば、なんで今日遅れたの?」
「あ……ああ。疲れすぎてベットの上でごろごろしてたらいつの間にか遅刻してた」
今日、レイは午後から来た。それは単なる寝坊でも、ニコに言ったようなサボりが理由でも本当はなかった。
レイは今日、というより昨日――強化薬に関する依頼を終えて家に帰ってから体が動かなかった。文字通り、シャワーを浴びてベットの上で休んでから体が動かなくなった。金縛りのように、いや金縛り以上に視線すらも動かせず意識も曖昧だった。加えて燃えるように体が熱くなり、文字通り燃やされると錯覚するほどだった。
その症状は単なる疲労から来るものではなく、負傷から来るものとも思えなかった。だがただ一つだけ思い当たる節があった。それは強化薬。レイが戦闘中に仕方なく使ったあの強化薬が最も怪しいものだった。強化薬を使った際に起こる副作用やその後の症状など、レイはあまり深くは知らないが、どこのものかも分からないような物を体に撃ち込んだのだからあのぐらいの症状が起きても不思議ではなく、あのような金縛りに近い状態になったのはレイの責任だ。
結局、昨日の夜は寝られず、そして今日の午前中10時あたりまで体が動くことはなかった。
「じゃあそれ朝ごはん?」
「ああ」
だから朝、昼と食べる時間はなく今こうして遅めの朝、昼ごはんを食べている。
「もー。少しぐらい休んだら?」
「まあもう少しで休めそうだからあと少し頑張ればって感じだな」
レイが食べ終わった携帯食料の梱包袋をゴミ箱に投げ捨てる。
昨日のように体が軽快に動くということはなく、特段、いつもと比べて力にも変りはない。金縛りが解けたあと、体が完璧に動くようになった頃にはもう元どうりになっていた。どうやら、あの強化薬の持続時間は長くて10時間、短くて6時間ほどらしい。
「ほんと?じゃあ休みが出来たら僕が美味しいお店に連れて行ってあげよう」
「俺が払えるぐらいにしてくれよ?」
「ふふ。大丈夫、僕が奢るよ。だってもうすぐ誕生日でしょ、お祝いぐらいさせてよ」
「誕生日?……ああ、確かにな」
レイに誕生日はない。物心がつく頃からすでにスラムにいた。舗装されていないむき出しの土の地面、バラック小屋が立ち並び人が死んでいる。当然、親なんて知らないし誕生日に関しても知る由もなかった。リリテックアカデミーに入学する少し前、フィクサー、ジープに依頼報酬として身分証や戸籍の登録をしてもらうまでレイには戸籍がなかった。
誕生日はその時に決めた――適当につけたものだ。だから実際のところ、レイは今、自分が何歳なのか精確に把握していない。もしかしたらニコよりも年上なのかもしれないし年下なのかもしれない、それか同年代か。
ともかく。
誕生日が無かったレイにとって『誕生日を祝われる』という経験は初めてのものだった。
「はは。じゃあ期待して待ってるよ」
「ふふ。期待して待ってて」
静かに流れる、落ち着いた空間。昨日の出来事もいつもの仕事のことを忘れてしまいそうなほど緩やかに流れていく。
「ああそういえば」
「ん?なに」
「なんかあ……電話だ」
レイの持っていた通信端末が震えた。かけてきた相手を見るとミナミだった。昨日のことだろうかと、レイは考えながらニコに一言告げて席を立つ。
「ごめん、ちょっとだけ」
「ん、分かった」
レイは誰もいない、休憩室から出た廊下で壁に寄りかかると――通話に出た。
「なんだミナミ、しご――」
レイの言葉が言い終わるよりも早く、上から被せるようにミナミが用件を一方的に述べる。
「レイさん。今すぐ逃げてください」
「は?」
何を言っているのか分からずレイは口を開いたまま呆けて呟く。だがそんな呟きにミナミは耳を貸さず、続けた。
「詳しいことを話す時間はありません。昨日の案件で嵌められました。これは私達の失態です」
「は、おいちょっと待てよ」
「今、レイさんのところに警備隊が向かっています。捕らえられたら……分かってますよね。だから今すぐ逃げてください。私達も今、マザーシティから逃げる手筈を整えています。恐らくここもバレている。私達からあなたに、せめてでもとあそこに必要なものを置いてきました。それを使って逃げてください。さもないと――死にます」
「おい、ふざけんな。そんなの聞いてねぇぞ。おい、おい」
「では、次にお会いする時まで。レイさん、幸運を祈ります」
「は、なんだいきなり。おい――」
いつものように一方的に通話を切られる。だがいつものとは少し異なって今後にミナミから電話がかかってくることはない。
「一体何が起きてんだよ」
レイは呟きながらミナミに言われたことを整理する。
昨日の案件――つまり強化薬のあの依頼で、「警備隊が来る」ということは都市を怒らせたという認識であっているだろう。フィクサーでもドジを踏む時がある。それは大小さまざまだが、今回は特大の役ネタを踏んでしまったらしい――いや、「嵌められた」ということは役ネタを掴まされたのだろう。
そしてそれにレイも巻き込まれる形になった――ということなのだろう。
強化薬を奪うあの依頼。最初から最後まで、何やら危険な匂いがしていた。言いようのない不安感、それをずっと感じていた。
ミナミがこんな嘘を吐くような人間ではないことはレイが良く知っているし、似たような案件で今回のような結末を辿ってしまった人も知っている。対岸の火事ではないのだ、自分にも起こり得ること。それがたまたま、レイに降りかかってしまっただけ。
だが――。
度重なる挫折の結果がこれだ。
「なんでだよ」
レイはそう呟いてしまった口を咄嗟的に閉じて、そして顔面を自分で叩く。
もしミナミの話が本当ならばもう残された時間は少ない。こんなところで後悔する時間も憂鬱になることも、黄昏ることも許されない。ただ今はやるべきことをやるだけだ。
後悔ならいつでもできる。死んだ後でも。今回もまた、いつものように挫折しただけだ。
「……くそ」
レイはそれだけ呟くと心を入れ替えて休憩室の中に入る。
「どうしたの?」
そしてテーブルの上に置いてあったバックパックを手に取るとニコに背を向けて、また扉に向かって歩き出した。
「え、レイ。どうしたの?なにかあったの?大丈夫?!」
ニコの声を背中で浴びて、レイは足を止める。そして名残惜しそうに、半身だけでニコの方を向いて一言残した。
「ちょっと用事ができた。じゃあな」
「――え。あ、うん。えっとじゃあ、ね?」
レイはそれだけ言い残すとすぐに扉を開けてどこかに行ってしまった。ニコはそんなレイの背中に無意識の内に手を伸ばして、そして姿が見えなくなると拳を作って力なくテーブルを叩いた。
ちょっと用事ができた。ではあそこまで急ぐことも悲しむような顔をすることはない。きっと何かがあったのだ。
そんなことに勘付いていながら、ニコは呼び止めることができなかった。その不甲斐なさ、そして何も言ってくれないで勝手にどこかへと行ってしまうレイに苛立って、だけど自分自身も不甲斐なくて、ニコはただテーブルを見て一言、呟くことしかできなかった。
「返答……やっぱり嘘ついてたんだ」
きっと今ここでニコが何を言ってもレイが止まらないことは感覚的に、直感的に知っていた。だから、妨げにならないよう、ニコは追わないし何も言わない。もしかしたら拒絶されるのが怖くて、真実を見てしまうのが怖くて、そんなふうに自分を納得させているのかもしれない。
「やっぱり、なんであの時、もっと強く……ごめん」
ニコは顔を覆い、そして悔やみながら呟いた。
◆
レイがアカデミー内を歩いていた。
ミナミの話が本当ならば一刻も早くマザーシティから抜け出さなけらばならない。都市がどのくらいまで情報を掴んでいて、どのくらいまで近づいて来ているのか分からないが、ミナミのあの慌て具合、どこから足がついたのか。レイかそれともミナミか。
恐らく後者だろう。
もし前者ならばすでにレイは殺されている。そしてその後にミナミを殺すはず。そして「嵌められた」と言っていたことからも、恐らく後者だ。
そしてフィクサーと関係があり、直接手を下したレイに繋がるまでそう時間はかからないだろう。もう残された時間は少ない。レイは小走りでアカデミーの正面入り口まで急ぐ。
アカデミーを出た後は家には帰れないだろう。そんな時間はないし、待ち伏せをされていたら危ない。そして銀行口座も凍結されていて操作できないだろう。だとしたら、ミナミが言っていた「あの場所」に行くしかない。あそこのことはレイが誰よりも知っている。そして警備隊も中々入れない場所。
今後のことを考えながら、レイが小走りで走り続け正面入り口についた時。自動扉の前にはたまたま外から帰ってきたラーリの姿があった。
「おい、レイ。おま――」
「急いでるから」
ラーリはいつものようにレイに声をかけるが、レイはそれだけ言ってラーリの脇を通り過ぎる。今はそれどころではないのだ。時間が惜しい。
だが、ラーリはわざとレイの進行方向に立ちふさがってにやけ面を浮かべる。
「おいどうした?そんなに急いで、惨めになったのか?この学校で――おい僕を無視するなよ!」
ラーリの体を押して強引に通り抜けようとしたレイの肩をラーリが掴む。
「おい。離せよ」
「は?」
肩を掴んだ手をレイに叩かれてラーリが後ずさる。いつもとは違う、そんな空気を感じ取ったラーリは苦笑いを浮かべながらレイの背中に言う。
「おい、なんだ。退学にでもなったのか?大変だな貧乏人は、惨めだな!」
だがレイは聞く耳などもたず、去っていく。
「――ッッ。ふざけんな!僕を無視するんじゃない!」
感情に身を任せ、ラーリの体が勝手に動いた。懐に携えていた拳銃を握り、そして引き抜く。
「止ま……」
拳銃を構えた時、レイは立ち止まってラーリの方を向いていた。
「
今まで
「人を殺すってことだぞ」
拳銃を向けられていながら毅然とした対応を崩さないレイにラーリは怒りが溜まる。
ただ脅すだけ、こいつの余裕ぶった態度がうざいから、こいつのせい、アカデミー内での発砲はさすがに謹慎処分になるかもしれないけど親がなんとかしてくれる、すべてはこいつが悪い、足の辺りを撃てばいい。
「うるさい」
カチッ
っとラーリが引き金を引いた。その瞬間、レイが視界から消えていつのまにかラーリの真下にいた。
そして流れるようにラーリの
「…………?」
そして何故か、レイは困惑の表情を浮かべていた。
ラーリに対して行ったその格闘術、一瞬で距離を詰めたその脚力、技術も身体能力も人のものではなかった。そしてラーリを気絶させた格闘術に関してレイも知らないものだった。気が付いたら体が動いていて、気が付いたらラーリが気絶していた。そして気が付いたら拳銃を握って立っていた。
完全に無意識で体が動いていた。
だから理解が追い付かずにレイは困惑の表情をしていた。
「……あ」
五秒ほどの僅かな時間だが立ち止まっていたレイが小走りでまた走り出す。時間がないのだ。こんなところでゆっくりとしていられない。
「じゃあな」
何かあった時のために拳銃を懐に入れて、気絶したラーリにそう言い残して。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます