第10話 急下
「じゃあまたね。お大事に」
「ああ」
アカデミーに入る門から少し離れた場所でレイとニコの二人は別れを告げる。なぜ門から少し離れた場所なのか理由は明白だ。アカデミーに通っているのは当然ながら金持ちの息子、娘だ。そしてアカデミーから一歩出るとそこはマザーシティ。治安最悪な空間が広がっている。アカデミー周辺はまだ治安がいいが、とても愛娘、息子を一人で帰宅させるほどではない。
皆が防弾仕様の高級車で送り迎えをして貰っている。ニコも例外ではない。
アカデミーに併設された駐車場にきっと車が止まっているはずだ。乗っているであろうニコの関係者にレイと親しくしているのが見つかると色々と良くない――かもしれない。
確信はないがニコが何か言われると思い、レイから提案してこのように少し離れた場所で分かれている。
「ミナミ、なんだ」
電話が来たため、レイが出る。相手は分かっている、ミナミだ。
「はい。お久しぶりです。怪我の方はどうでしょうか」
「高い金払ったからな。もうほとんど治ってる」
「そうですか、それは良かった」
ミナミはそう言って、一息してから続ける。
「もう報酬は振り込みましたので後で確認を、すでに治療費の分を引かれているので考慮お願いします」
「ああ。分かった。……それだけか?」
「一応、次の依頼について話したいと思っていたのですが……どうでしょうか」
レイは路地裏に入って、壁に寄りかかる。
「金もあるし少しゆっくりしようと思ってる。まあそもそも、この怪我じゃすぐには動けない」
「アカデミーの学費ですか」
「ああ。あと三年。今まで自転車操業みたいに生きてたけど、今回の依頼でやっと、ほんの少しだけ金に余裕が出来て休めるよ」
「それは……まあ、私個人の立場からすると嬉しい限りですが、私《《たち》の立場からすると信頼できる傭兵が一人減りますから、悲しいことですよ」
「……すまない」
「いいんですよ。では、二週間ほどしたらまた連絡させていただきます。あの報酬ではまだ足りないでしょう? こちらが抱えている依頼はまだたくさんあります。また、よろしくお願いしますね」
「はは。そうだな。ありがとう」
「こちらこそ。それでは」
いつものようにミナミの方から通話が切られる。
するとレイは、通信端末を懐に入れてまた歩き出す。
心なしか、その足取りはいつもよりも軽いように見えた。怪我をしていても、だ。表情は柔らかく、下ばかり向いているいつもの違って正面を向いている。ポケットの中に入れていた手を外に出しているし音楽も聞いていない。
その変化の原因は明らかだった。
レイはいつも、学費や生活費のために金が必要で、しかもそれは莫大だった。家の家賃、食費などを節約しても残ったほとんどが学費で消えて行く。加えて仕事で失敗した時には新しく突撃銃を買わなければいけないこともあったし、今回のように病院に行かなければいけない場合もある。
金を稼ぎに出たはずが赤字で、それも満身創痍で帰ってくるのだ。ハイリスク、ハイリターンの仕事なのだからその辺については仕方ないところもある、しかし稼いでも稼いでも意味がなかったかのように金は消えて行く。
レイは毎日、時間に追われているような圧迫感と焦燥感を常に背中に感じていた。
だが今はない。
少なくとも眠れないほどの焦燥感と食事を喉に詰まらせてしまうほどの圧迫感を今は感じていない。
それもすべて、今回の依頼の報酬があったためだ。
治療費でかなり取られてしまったとはいえ、生活に余裕が出るぐらいにはある。今までのように仕事を続ける必要はあるが、少しだけ切羽詰まった状況から脱することが出来た。
これは第一歩だ。
レイがもく――――
「――は」
少し遠回りして、治安の良い場所を歩いていたせいなのかもしれない。少し上機嫌になって、浮かれていたからなのかもしれない。
分からない。
ただそれは本当に偶然で、突発的で、最悪だった。
「よけ――」
レイに何ら一つの不備も粗もなかった。ただそれは理不尽だった。
リムジンのような高級車が道を外れて、歩いていたレイを轢いた。
体は宙を舞って、二回ほど回転する。背中から落ちて体を強打し、治りかけていた傷のいくつかが開き、血が流れ出す。
立ち上がることなど出来なかった。いきなりのことであったし、単純に体が動かなかった。
「おい車が傷ついちまったじゃねぇか!何してんだ!」
「す、すみません!制御機能が暴走して」
「んなことありえるわけねぇだろ!」
空を見上げることしかできないレイに聞こえてきたのはそんな言い合いだ。恐らく、乗っていた車から推測するに高級車のドライバーとその雇用主との会話だ。まるでレイのことなんてどうでもいいかのように二人の会話は進む。
「この凹みどうしてくれんだ!ああ?どうしてくれんだ!」
「弁償します!だから――」
「弁償ぅ???てめぇに出来るはずがねぇだろ!こいつにどのくらいの金がかかってんのか知らねぇのか。ああ?てめぇのな、やっすい給料で弁償できるような車じゃねぇんだよ。分かるか?」
「す、すみま――」
「謝ったらなんか変わんのか?すみませんじゃねぇだろ。ああ!これから仕事だって言うのによ。議会連合との会合だぞ!服も汚れったじゃねぇか!相手は俺ら都市の幹部が全力でもてなさねきゃいけねぇ相手なんだよ!分かってんのか?!」
「すみま――」
「だからよぉ!聞き飽きたっつってんだよお前の謝罪は!俺は解答が欲しいんだよ、この問題に対しての。分かってんのか」
「――払います」
「…………分かった。さっさとしろ、次の車の手配だ。あいつらを待たすことは出来ない。俺の立場であろうとな。だから早くしろ」
「分かりました――!」
すぐに新しいい車が自動運転によってやってくる。
二人はそれに乗り込み、目的の場所へと急ぐ。
だが一方で倒れたままのレイは虚ろな意識の中で二人の会話を聞いていた。そして首を振って、二人の姿を確認して、そして去っていく車の背中を見ながら小さく呟いた。
「……んな、理不尽だろ」
今まで多くの理不尽を味わってきた。しかしこれほどまでに唐突で希望を打ち砕いて、不愉快なものはなかった。
やっとこれから、という時に叩き潰される絶望感、虚無感。
神からの試練だとか、そんなことを思ってしまうぐらいには必然のような偶然だった。いや、訓練、だなんて生易しい言葉では形容できないほど、たった今、五分そこらに起きたこの出来事は今までのレイを否定するような最悪のものだった。
「ふざけんなよ……」
人が集まってくる。レイを助けるためか、それとも嘲笑うためか。
「なんで、俺なんだよ。いつも……」
今までのスカしたような態度もクールぶった対応もすべて、ただ気丈に振る舞っていただけだ。
だがレイは尚も、片方の膝を地面に着きながら立ち上がる。
「ふざけんなよ。こんなクソみたい人生で終われるかよ」
レイには確固たる信念があった。それは虚像に塗り固められたものではなく、レイ自身が生きてきた中で培ったすべての結晶だった。
「こんなんで死ねるかよ。まだだ、まだやれる」
レイは自身をそう鼓舞して、今までの
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