EP1ー7 迷い

 鼻を刺すような独特な香りがして、俺は目が覚ました。

 重い瞼をゆっくり開くと、真っ白い天井が広がっていた。

 知らない天井だ、と言いそうになる気持ちをグッと堪えながら、上半身だけ起こす。

 見渡すと、周りには俺を覆うようにカーテンが引かれ、小学校の保健室を思い出させる。


 どうして俺はこんなところにいる?


 頭を抑え考えると、意識を失う前の記憶がだんだん思い出していく。


 そうだ。俺はレイダーバトルに参加して、そして────対戦相手を殺した。

 俺は、腹の奥にあるものを吐き出しそうになるのを堪える。


 ぐしゃ、と操縦桿越しから伝わってくる感触。

 クソオーナーの死体を踏みつけた時よりも、数倍の嫌悪感が襲いかかる。

 そしてそれ以上に殺し合いを楽しでいる自分に、反吐が出た。

 自分のはずなのに、自分ではなくなるような感覚に恐怖した。


 するとしゃらしゃらとカーテンが開かれる音がして、一人の白衣を着た青年が中に入ってきた。

 見た目は整えられた少しくすんだ茶色の髪に、黒縁の眼鏡とこれぞ医者といった感じだ。


「おや、目が覚めたみたいだね」

 

 医者は、隣の台車の上に置いてあるトレーから注射針を手に取り包装を解いた。


「安心して、ただの栄養剤だから。ここは日光がないからね。定期的にビタミンDを摂取しないといけないからね」 


 声色からして、嘘はついていない。

 どうやら俺ことを、本当に治療したいだけのようだ。

 俺は右腕を差し出し、医者は迷いなく注射を差し込み薬剤を投与する。

 不思議と痛くはなかった。


「アンタは……」

「僕はセンセイ、そう呼ばれいる。免許は持っていないけど、医者をやらしてもらってるよ」

「免許を持ってない……ってそれヤブ医者ってことじゃねえか!」


 なんでそんな奴のところに、連れてこられているんだよ。

 そんな俺のツッコミに対し、医者はアハハと笑う。


「これは手厳しい。だけど僕はマフィアやギャング達の治療もしてるから、こっちのほうが都合がいいんだよね。その中には君のような違法賭博であるレイダーバトルの選手も含まれているのさ。それで今日はカゲロウさんから頼まれて、君を治療したのさ。と言っても、過度のストレスと【超過同調】による気絶だったから、大したことはなかったよ」

「超過同調?」


 聞き慣れない単語に、俺は疑問を投げかける。


「レイダー乗りにまれに見られる症状さ。別名メンタル・バースト。機体と接続している状態で、過度な集中やパニックを引き起こすと、パイロットを一時的だけどその場に適応させる状態にさせる。症状が進行すると、廃人になったりに感情がなくなったりするけど、そんなの滅多なことが起きない限り起きないから安心して」


 いや、安心できねぇよ。とんだクソシステムじゃねぇか。

 だがこれで、あの異常なほどの高揚感に合点がいった。

 つまり俺は、それのせいで暴走したと言うわけか。

 メンタル・バースト、とにかくそれをどうにかしないとまた同じことを繰り返す羽目になる。

 俺は無闇に殺したい訳じゃない。

 ましてや、殺しが快楽になるなんて真っ平御免だ。


「対処法はあるのか?」

「うーん、一番は試合の前とかに鎮静剤を飲むとかかな? でも君の場合、すこし事情が違うみたいなんだよね」


 そう言って、センセイはポケットから古びたレコーダーを取り出し起動させる。


《あは……たの、しい……な……お前も……なんだろ?》


 ノイズまみれで聞き取り辛いが、間違いなく俺の声だ。

 これがメンタル・バースト中の俺か、なんかキャラが違いすぎるな。

 完全にハイになって、目がイッているのが目に見える。

 でも誰と話しているんだ?

 あの時のことは、朧げながら覚えているが一切の通信は入らないようにしていたはずだ。


「あのセンセイ、これは……?」

「君の独り言、にしては楽しそうだよね。そう、君は誰かと会話しているんだ。それもいないはずの誰かと」


 そんな馬鹿な、と言ってやりたかったが心当たりがあり俺は口をつぐんだ。

 俺の反応を見て、センセイはにんまりと笑った。

 肩を掴み、ずずいと顔を近づける。


「話によると、バトルの後に機体がダメになったそうだよ。面白いよね。君はメンタル・バーストを起こしながらも、機体の限界値以上のポテンシャルを発揮している。これほど興味深いことはないよ! 何者なんだい、君は!?」


 あ、やばい人だ。

 なぜなら目も顔もキラキラしているのに、まとわりついている空気というか雰囲気というか、そう言ったものがドス黒い。

 一歩間違えれば、クローン研究とかしてるよこの人。

 完全に関わっちゃいけないタイプの人間だった。


「分かりませんよ、そんなこと!」


 センセイを無理やり引き剥がすと、俺は部屋を出ようとする。


「あー! 待って待って!」

「次はなんです!?」


 振り返ると何かを投げられ、咄嗟に受け取ってしまう。

 手の中に見てみると、何かの錠剤がぎっしり詰まったケースだった。


「それ、カゲロウさんに渡しておいて。そろそろ切れると思うから」

「どこか具合が悪いのか?」

「あの人も年だしねぇ……大事にしてあげなよ」

「なんで俺が……」


 カゲロウとは出会ってまだ一週間しか経っていない上に、人物像を未だに掴めきれていない。

 滅多に自分のことを話さないことも相まって、どう接すればわからない。


「君はどう思ってるかは知らないけど、あの人結構君のことを気にしてるみたいだよ?」

「俺にはそう見えないが」

「君が気づいてないだけさ。ま、これからもちょくちょく会うと思うから、よろしく頼むよ」


 絶対に嫌だ、とは言えなかったので軽く会釈だけして医務室を出た。

 出来るだけ怪我には注意しよう。

 そう、心の中で誓った。


 ◇


 外に出ると、一周間前と変わらないサイバーパンクな街が待ち構えていた。

 大通りには、何千はいるだろう人々が右へ左へと歩いていた。

 そこで俺はあることに気づいた。


「帰り方がわからない……」


 俺はこの街の土地勘なんてないし、下手に動いてトラブルに巻き込まれても困る。

 連絡しようにも、スマホなんて便利なものはない。

 どうしたものかと悩んでいると。


「あら、坊や。こんなところで会うなんて奇遇ね」


 と世界一聞きたくなかった声が聞こえた。

 恐る恐る振り向くと、そこには予想通り雪花がいた。


 今日はいつものタンクトップとカーゴパンツではなく、白いTシャツにデニムを着用している。

 そんな普通の服でも、隠しきれない強者の風格があるのだからすごい。

 そして何故か娼婦っぽい女性の肩に手を回していた。


「雪花……さん」

「もう、さん付けはいらないっていつも言ってるでしょう?」


 いや、なんか本能的にさん付けをしてしまうんです。

 生物的に勝てない気がして。


「それにしてもこんなところで一人で……もしかして迷子になっちゃった?」

「まぁ、そうだけど」

「全く仕方ないわねえ。お姉さんが連れてってあげるわ」

「え、でも」


 俺が隣の女性に目を向けると、雪花はハッとした表情を浮かべる。

 そして耳元で何かを囁くと、思いっきり口と口を重ねた。

 それはあまりにも情熱的で、あまりにも艶かしくて、あまりにも普通のことであるかのようにいとも容易く行われた。

 数秒後、雪花と女性は口を離し細い銀線が伝い、女性は蕩けた目で夜の街へと消えていった。


「え、ええと……その、雪花さん。今のは……」

「ふふ、坊やには刺激が強かったかしら?」


 あんなもん、大人でも刺激は強いわボケ!

 そんな俺の心中知らない雪花は、「ささ、早く行きましょ」と言って背中を押されるのであった。


 ◇


「じゃあ、私はここまでね。また特訓の日に」


 満面の笑みで手を振りながら去っていく雪花を、苦笑で見届けたあと俺は路地裏に入り、エレベータで地下に降りる。

 降っている最中、俺はエレベーターの壁に身を預け考える。


 メンタル・バーストのこと、カゲロウのこと、そしてこれからのこと。

 この世界に転生してから、どんどん平穏な暮らしから遠ざかって人ではなくなっていくように感じる。

 そもそも環境が違うのだから当然だと言われればそれまでだ。


 この世界では平気で殺しが起きる。

 だから最低限自分を守れるように力を求めたはずだ。

 でもブロークン・アップルのパイロット、ガルムを殺してからそれも何か違うと気づいた。


 ────じゃあ、俺は何の為に戦えばいいんだ?


 わからない。どうすればいいのか、わからない。


 結局答えは出ず、エレベーターは最下層に到着してしまった。

 エレベーターの扉が開き、俺は格納庫に向かうが誰もいなかった。

 この時間ならまだイワンコフが機体の整備をしているはずだが、どうやら留守のようだ。


 するとかつかつと杖が鳴る音がして、向こう側からカゲロウが姿を現す。


「戻ってきたか」


 開口一番にしては、随分と淡白としたものだ。

 センセイの言っていた事が、本当かどうか疑わしくなる。


「ああ……今回はマジで死ぬかと思ったけどな」

「ふん、敵をミンチよりひどい状態にさせておいてよく言う」

「その話はやめてくれ!」


 つい、語気が強くなってしまった。

 カゲロウは目を見開き、驚いた表情をするがすぐに元の仏頂面に戻る。


「……迷っているのか」

「そんなこと……いや、ウソをついた。大分迷ってる」


 迷っていないわけがない。

 だが今更、レイダーから降りてどうする。

 また弱いガキに戻れとでも言うのか。

 なんと言えばいいか、悩んでいるとカゲロウが口を開いた。


「一つ、いいか」

「なんだよ」

「お前は何者だ」


 あまりにも脈絡がなくアホかと言いたくなる問い。

 それでも、何を聞いているのかは理解できた。

 言おうか言わないか散々悩んだ挙句、俺は告げた。


「俺は異世界の記憶を持った転生者だ」


「そうか」


 返ってきた答えはそれだけだった。

 別にびっくり仰天みたいな反応が欲しかったわけではないが、あまりにも反応が薄い。

 一応、これでも衝撃の事実と言ったつもりなんだけどな。

 それとも、狂った妄想とでも捉えてられたかと思い、カゲロウを見るが、片目を眼帯で覆い隠した隻眼はどこまでもまっすぐだった。


「あんまり、驚かなかいんだな」

「別に、前例がいたからな」

「前例?」

「俺の、遠い昔の友人がそうだったんだ」


 友人、まさかこの男からそんな言葉が出るとは思わなかった。

 カゲロウは近くに腰を下ろし、話を続けた。


「ソイツは日本……俺と同じ世界の住人だったのか?」

「……そうだと言っていたな。最初は」


 どうりで日本刀とか陽炎とか、度々この世界にはないはずの日本語が出てきたわけだ。

 少し考えれば分かりそうなものなのに、本当に俺は間抜けだなと思う。

 それにしても俺以外にも転生者がいたことには驚きだ。


「仲、良かったのか」

「ああ……いつも剽軽で、ギャグが寒く、気まぐれで、無鉄砲で突拍子のない行動する奴だった」


 めっちゃ悪口言うじゃん。

 本当に仲良かったのかと疑いたくなるレベルだ。

 でもそれぐらいの愚痴を言えるぐらいには、仲が良かったと言うことなのだろうか。

 それにしてもアニメの主人公みたいな性格だなソイツ。

 顔がイケメンだったら、なんやかんやモテてそうだな。


「ただ友人はお前と違って、人を殺しても大して気にしてなかった。アイツには人殺しの才能があったんだ」


 人殺しの才能。日本ではともかく、この世界で生きていくのなら、ある意味最適なのかもしれない。

 でも、それって……


「なんか、悲しいな」

「ああ、悲しい才能さ。だが奴はその才能を遺憾なく発揮し、数々の依頼をこなして行った。時にはナイフで、銃で、レイダーで、まるで機械がやるようにいとも容易く引き金を引いたよ。一緒に仕事をしていた俺が恐怖するほどにな」


 そう語るカゲロウの声は、心なしか震えているように感じた。

 それだけでその友人がどれほどの実力があるか、容易に想像できる。

 何も感じずに、簡単に人を殺すことができれば少しは楽になるのだろうか。


「俺も、そうなれれば良かったんだがな」

「まだ話は終わってないぞ」


 俺の呟きに対し、カゲロウの声音が冷たくなった。


「それでもアイツは確かにすり減らし、感情と呼べるものが消失していった」


 感情の喪失。それを聞いた時、俺はセンセイが言っていたことを思い出した。


「メンタル・バースト……」


 そう、メンタル・バーストが重症化した際に起きる現状だ。

 俺の発言に、カゲロウは重々しく頷く。


「俺は気づけなかった、アイツが気づかせなかった」


 顔を抑え、懺悔するように独白する。


「そしてすり減らし続けたアイツは限界を迎え、ある日大量虐殺を引き起こした」

「なっ……!?」


 あまりにも衝撃的な話に、俺は息を呑んだ。


「だが奴は強すぎた。懸賞金が掛けられありとあらゆる者が奴を殺そうとしたが、その力でねじ伏せた。戦って、戦って、戦い続けたその果てに────最後は笑いながら死んでいった」


 呆気なかったよ、と杖を強く握りしめながら言った。

 でも、この男にとってとはきっと本来の意味以上に重要なことだろう。


「アンタ、悔しかったんだな」

「そうなのかもしれない。アイツが機械になっていくのを、止めることはおろか見るだけしか出来なかった自分自身が悔しかった。だからお前には、友人のようになってほしくない」


 俺は答えなかった。答えられるはずがなかった。 

 戦うことが怖くなったわけじゃないが、俺は分からなくなってしまった。


「別に戦うなとは言っていない。俺はお前には人らしく生きてほしいんだ。別に今すぐ答えは出さなくていい。迷いながらでもいい、考えろ。お前が何のために力を振るうのか、考え続けろ。そして前に進め」


 人らしく、迷いながらでも考え続けながら前に進む。

 なんだか矛盾しているようにも感じるが、ほんの少しだけ見えた気がした。


「もう一度問うぞ」

「なんだよ」

「お前は何者だ?」


 問われ、俺は口角を上げながら答えた。


「俺はソラ。ただのソラだ」

「上出来だ」


 この時、奇妙な絆ができた。

 だけど俺は、いや俺達はその名前をまだ知らない。








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