第4話 友達になろう②

「よしっ」

 朝食を終えて部屋を出る。振り返ると、部屋の中でベッキーが力強く頷いてくれた。

 昨日は惨敗したが、何も得られなかったわけではない。

 ヨハンはここで寝泊まりしている。つまり、入口で待っていれば、再び会うことができるのだ。

 ヨハンに話すシュミレーションをするたびに、昨日のことが脳裏をよぎる。

 自分の運命を変えるために、会って話をしなければいけないのは分かっていても、またあの拒絶を受けるかもしれないという可能性が足取りを重くさせた。

 憂鬱な気持ちを切り替えるために息を深く吸い込んだ。ふと視線の端に黒髪の人物が映った。ちょうど宿から出るところだった。

「あっ」

 反射的に追いかけたはいいものの、足はまだ重いままで追いつきそうな距離を詰められない。結果的に彼女をつけるような図になってしまった。

 大通りから少し外れた道に入ると、彼女は立ち止まりクルリと振り返った。

「あぁ、昨日のあなた」

 驚くわけでもなく、冷静な彼女に対して自分がガチガチに緊張しているのがわかる。

「あの、私やっぱりあなたと仲良くなりたくて…」

 口を開くたびに心臓が飛び出してしまうのではと思うほど、激しく脈打つのがわかった。

「私の何を知ってそう思ったの?」

 痛いところを突く質問に、頭が真っ白になる。この返答次第ではまた振られるかもしれないというプレッシャーが見栄を被せようとした。

「実はあなたのこと同じ公爵令嬢っていうこと以外、何も知らないの。でも、自分の運命を変えるためにはあなたが必要なの」

 覆い被さってくる見栄を剥がし、まっさらな心内を彼女に伝える。

 もしこれでもダメなら、諦めて別の方法を考えよう。そう振り切ると少し楽になれた。

 ヨハンは少し口元に手を当て、首を傾げた。視線は私の顔を見たまま離れない。私の覚悟が伝わってほしくて、視線で訴えかける。

 彼女は肩をくすめると、口元から手を話して目を逸らす。

「あなたの恐れている運命っていうのがどういうものかわかないけど、私が必要なんでしょ?」

 思いがけない返答に、一瞬時が止まる。

「…そう!そうなの!あなたが必要なのよ!ありがとう!ヨハン」

 嬉しさのあまり、再び彼女を呼び捨ててしまう。ベッキーから釘を刺されていたのに、考える間もなく呼んでしまった。

「あなたは私の名前を知っているようだけど、私はなんて呼べばいいのかしら?」

 彼女は私の呼び捨てに気にした様子はなく、私の名前を尋ねてきた。貴族にとって相手の名前を聞くことは、あなたには興味がありませんと言うようなもので大変失礼なことなのだが、それも気にした様子はない。

「エレナと呼んでくれると嬉しいわ。もちろん呼び捨てで…私も何回か呼んでしまったのだけど、ヨハンと呼んでいいかしら?」

 再び歩き出した彼女の横で話を続ける。

「もちろん。よろしくエレナ」

 少し口角を上げて、ヨハンが私を呼んだ。これまでのヨハンに対する憂鬱さが消し飛んで、クールと言う印象が上書きされる。

「仲良くって、具体的にしたいこととかあるの?」

「まずはヨハンのこともっと知りたい!」

 具体的という問いに対してこの上なく抽象的な返事をした私に、こいつマジかと言う表情をするヨハン。

「何も考えずに話しかけてきたってこと?」

 戸惑いを隠しきれないヨハンを見ながら、意外と表情のバリエーションがある彼女を観察する。

 この国では珍しい黒く艶やかな髪や瞳、顔立ちもどことなく東洋の面影がある。体型も東洋寄りなのだろう、チャイナ服をモチーフにしたような服装がよく似合っていた。

「じゃあ、私の狩りを見に来る?」

 ヨハンが顎で指し示した先には、森の頭があった。

「いつの間にかこんなはずれに来てたのね」

 話している内に、街の出口まで来ていた。思わず、足を止める。

 ここから、30分ほど歩いた先に森の入り口がある。

 街を出ると、野生の獣もいるし、森に近づくと魔物に遭遇する可能性だってある。少しの不安と、新しい世界の一歩に胸が高鳴るのを感じた。

「どうする?」

 問いながらも、ヨハンは足を止めない。

「もちろん、行く!」

 私も、数歩遅れて歩を進める。

「ヨハンはいつから魔法を使えるようになったの?」

 天才はいつから天才になるのか、前世からの疑問だった。

「うーん、気づいた時には使ってたから3歳くらいかしら?」

 天から授かったんだろうな、凡人の私はそう思うことしかできなかった。

 森の入り口にある木々がはっきり見えたところで、ヨハンが立ち止まる。

「魔物だわ」

 私には全然見えなかったが、彼女の視線はしっかり獲物を捉えているようだった。彼女から醸し出されているのだろうか、空気が張り詰められたような緊迫感が生まれる。

「…魔法使ってみる?」

 ヨハンが突然こちらに視線を移す。瞬間に、魔物が森から飛び出してきた。

「えっ!え!」

 狼狽え、パニックになる私の隣で、ヨハンは先が鋭く尖った氷を形成し魔物に放つ。命中した魔物は、吹っ飛んだきり動かない。

「先を尖らせるように意識して、スピードを出して放てば大体当たるよ」

 参考にならないアドバイスを聞き流し、体内から集まる魔力に集中する。

 練習として魔法を使ったことはあるものの、実践は初めてでうまくまとまらない。

「そろそろ撃たないと魔物きちゃうよ!」

 対処できるのに、なぜか焦らせてくる彼女の声で集まりかけていた魔力が揺らぐ。

「焦らせないで!」

 そもそも上手くいかずに、イライラしている私は感情をそのまま彼女にぶつける。

「早く!」

 なおも急かすようなことを言う彼女に、プツンとキレる。

「もう黙って!」

 怒りに身を任せて怒鳴った私からとんでもない量の魔力が暴発した。

 無差別に飛び散り、私に向かっていた魔物を木っ端微塵にした。

 あまりの無残さに、一瞬で我にかえる。

「ヨハン!?」

 あたりを見渡しても彼女の姿はない。頭がぼんやりして視界が白くなる。

「私は大丈夫だから、これ飲んで」

 どこからともなく現れたヨハンが、フラつく私を後ろから支えて、小瓶に入った何かを飲ませる。前世の小さい頃に飲んだ、シロップのような味を感じながら、私の意識は途切れた。

 暗闇の中で突然、魔物が木っ端微塵になる映像が流れて、飛び起きる。

「わああっ!!」

 叫びながら起きると目の前に、不服そうな顔をしたヨハンがいた。

「おはよ」

 倒れた友人が目覚めた割には、淡白な挨拶だなと思っていると隣からため息が聞こえる。

「ヨハン、他にもっと言うことがあるだろう」

 ヨハンの隣に座る男性、まだ青年と言った方がいいだろうか、少しヨハンの面影が残るイケメンが呆れた顔をしていた。

「エレナ嬢体調はいかがですか?」

 彼の視線が私に向けられた時、私の心臓は一瞬止まった。

「エレナ嬢?」

 彼が私の名前を呼ぶたびに、私の命が脅かされる。彼の一挙手一投足が尊かった。

 前世の推しであり、ヨハンの兄であるケインが私の目の前にいた。

「大…丈、夫です…」

 掠れた声で答える私に、戸惑った顔をする。戸惑った顔はヨハンと同じだった。

「ここは?」

 ケインの顔を直視できなくて視線を移して初めて、ここが馬車の中であることに気づく。

「うちの馬車。屋敷に戻っているところよ。宿の荷物や従者とは屋敷で合流できるわ」

 ヨハンが答える。ようやく彼女が不貞腐れている理由がわかった。彼女のボーナスタイムが終わりを迎えたのだ。

 きっと彼女にとって公爵家は、狭苦しい鳥籠でしかないのだろう。もしかすると、人間社会というもの自体が彼女にとっては窮屈な足枷なのかもしれない。

 作中の彼女は、感情がなくて機械のような印象だった。大きな力を持ちながら表舞台には立たない脇役。

 彼女には裏表がない分、初めて会った時は露骨な態度に傷ついたが、心を許した人間にしか見せない表情の数々を見せてくれる今は、達成感さえ覚えている。

 諦めずに声をかけてよかった。私は心の底から思った。

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