第3話 友達になろう①

 魔人化の運命を変えるべく、私はヨハンと友達になるための作戦を開始した。

 作戦内容は、至ってシンプルだ。私とヨハンの家は国の両端に位置しているため、会いに行くのは時間がかかる。そこで、魔法ですぐ届く手紙を使って文通から始めようという作戦だ。

 私は早速、ヨハンに手紙を書いた。来年、学園に入学するというのに知り合いがいなくて不安だということ、腹を割って話せる友達を作りたいこと、赤裸々に自分の思いを綴る。噂ではヨハンは才能はあるものの、人付き合いは苦手なようで貴族の社交場にも顔を出していないようだった。

 人付き合いが苦手とは言え、同じ立場の令嬢から正直な心のうちを打ち明かされて無視する人間はそうそういないだろう。前向きな気持ちはなくとも、返事はくれるはずだ。

 そう思って1ヶ月が過ぎた。文通とはいえ、魔法を使っているのだから送ったその日には届いているはずだ。確認漏れだろうか?私の赤裸々な思いを既読スルーしたのか?

 痺れを切らした私は、ついにヨハンの家に行くことを決意した。

「お父様、ご相談があります」

 侍女に荷物の準備を命じて、父親の元に向かう。

「なんだ」

 書類に目を通していた父親が私の方に目線を向ける。私を見定めるような視線に、頭の中で描いていたシナリオが分解されていく。校長先生に直談判しているような気分だ。

「庶民の暮らしを体験したいのです。来年は学園にも行きますし。私が守る人々がどのような日常を送っているのか知りたいのです」

 文法はめちゃくちゃだが、伝えたいことは言えたと思う。2回目の人生だというのに、口下手な自分が嫌になった。

「ふむ…。お前からそんな相談を聞けるとは」

 両肘を着いた状態で手を組み、目を細める。口元が隠れて、表情は読めないが何かを見つめるような瞳をしている。

「いいだろう。学んできなさい」

 そう言って、彼は再び書類に目を通し始めた。

 早速私は、準備してもらった荷物を引っ提げて家を出発した。

 屋敷がざわざわしているが、気にしている暇はない。色々と決められてしまう前に、行っちゃうしかない。慌てる侍女長たちの様子に尻込みする侍女を引っ張り、私は馬車に乗った。

 国の両端という道のりはかなり長いものだった。共に過ごす時間が長く、同室で過ごすこともあったため、最初はおどおどしていた侍女ともも少し距離が縮まった。

 後2日ほどでヨハンの領地に着くというところで、今日が終わった。

 チェックインを終え、今日の夕食について侍女と話しながら個室のフロアに続く階段を登ろうとした時、あり得ないものを目の当たりにした。

 この国では珍しい黒い髪、その髪を左右でお団子にした中華スタイルの髪型、間違いなくヨハンだった。

「ヨハン?!」

 私は思わず、階段を駆け上がりヨハンの手を掴む。

「え?…」

 ヨハンの動揺した声が聞こえるが、驚きとゲームの登場人物に会えた興奮で衝動を止めることができなかった。

「私、あなたに会いたくてここまで来たの!あと二日はかかると思ってたから、ここで会えるなんて嬉しいわ!」

「お、お嬢様…」

 侍女の声にハッとして、我に返る。ヨハンの顔を見ると、警戒心と嫌悪の表情をしていた。

「あ、あのね。私あなたとお友達になりにきたの」

 ヨハンは怯んで力の抜けた私の手から手を抜き、握られた手をジッと見つめる。

「…なんで私の名前知ってるの?」

 そんなに嫌だったのだろうか、手から目を離さない。

「そ、それは、私と同じ公爵令嬢で同い年だから…」

 しどろもどろになりながら答える私に視線を移し、確かめるようにジッと見つめる。

「同じ公爵令嬢で助け合えることもあると思うのっ」

 無言に耐えられなくて、勢いのまま言葉を出す。

 ヨハンはそれでも無言のままで、私の瞳をジッと見ている。瞳の奥、私の上部だけの言葉を見透かされているようで、頭の中が痺れるような感覚になる。

「あたなに私を助けられるような力があるの?」

 ヨハンの目に力が宿る。元々あった迫力がさらに増す。

「あるわよっ!」

「例えば?」

 逃げることを許さない、ヨハンの詰めに頭が真っ白になる。頭の中に靄がかかり、浮かぶ言葉が滲んで使い物にならない。

「それ、は…」

「じゃ、いいわ」

 一切の猶予もなく、締め切られてしまった問答に心臓が普段とは違う動きをする。

 心って心らへんにあるんだろうな、なんて考えながら通り過ぎて行くヨハンを引き止めるという選択肢に目を瞑る。

「お、お嬢様…」

 ヨハンが見えなくなった後、侍女が心配そうに声をかけてくる。

 主人が詰め寄られ、敗北するところを見せられさぞ気まずかったことだろう。そして、今の私に声をかけるのはすごく勇気がいることだ。

 だが、彼女に優しく返す余裕はなかった。

「見て分からない?一人にさせて」

 そう言い残し、私は部屋に向かった。

 胸の奥からドロドロとした情動が溢れては、私を陰に引きずっていく。

 何も考えたくなくて、ベットに突っ伏す。ヨハンによって放たれた言葉が頭の中で反芻する。小さな箱にスーパーボールを投げ入れたように、頭の中で言葉が暴れて前向きな思想を打ち砕いていく。

 まともに指示を受けず家を出て来てしまった手前、何の成果もなく帰ることはできない。少なくとも、一回の失敗だけで帰るなんてできない。

 でも、今の状態でヨハンの元へ行っても結果は同じだろう。勢いで何とかなるんじゃないかとか思ってたけど、甘かった。

 何も解決策が出ないまま、私はいつの間にか眠りについていた。


 遠くで、足音と心地の良い食器の音が聞こえる。

 うっすら目を開ける。窓から差し込む朝日が部屋を優しく照らし、影を作る。

 意識がはっきりしてくると、甘い香りが鼻をくすぐる。

「おはようございます」

 侍女がいつも通り、朝の準備をしていた。ベットの隣には顔を洗う水も準備してある。顔を洗いながら、昨日のことが頭をよぎる。胸がチクッとするが、昨日ほどではない。

 顔を拭いて、朝食が準備されている机の前に座る。

「市場で人気の商品みたいなので買って来ました!」

 甘い香りを出しているパンを見つめていると、嬉しそうに話かけてくる。

「ねえ、あなたの分はあるの?」

 普段は気づかないことだったのに、今日は不思議と不自然に映った。

「えっと、一応ありますが…」

 同室だったこともあったのに、一度も思いつかなかった提案が頭に浮かぶ。

「なら、一緒に食べましょうよ。一人で食べるのは寂しいわ」

「はい!」

 彼女は驚きと喜びの混ざった顔をして返事をすると、自分の分の準備を始める。

 彼女の準備を待つ間、外の景色を眺める。朝日に合わせて、人もちらほら増えていく。賑やかな街の一部となっている人々を見ながら、前世の自分を思い出す。

 前世の私は一人暮らしだった。家族とも疎遠で、恋人や仲の良い友人もいなくて、自分のことは自分でやらなければいけない日々だった。

 仕事で嫌なことがあっても、切り替えるきっかけもなくて暗い気持ちのまま朝を迎えて、暗い気持ちを引きづりながら仕事をしていた。

 でも、今日は違った。起きた時、嫌だなぁと思うよりも先に、「美味しそうな匂い」と思えたのだ。そう思えたのは、私が公爵令嬢に転生したからではなく、彼女がいつも通りの朝を準備してくれたからだ。

 嫌な出来事を、きちんと過去のことだと整理させてくれたのは彼女のおかげだ。

「ありがとう」

 自然と口からこぼれた。

 準備を終えて、向かいに座ろうとしていた中腰のまま彼女が固まる。

「え…と、はい!」

 少し、動揺しながらも真っ直ぐに受け止めてくれた。

 不思議と彼女の顔がはっきり見える。こんな顔立ちだったかと、今更ながら気づく。

「普段、同僚からなんて呼ばれてるの?」

 自然と彼女への興味が出てくる。侍女としてではなく、一人の人間としての彼女を知りたいと思った。

「えっと、ベッキー…です」

 彼女から緊張が伝わってくる。

「良いわね。私も呼んで良いかしら?」

「も、もちろん!」

 なぜだか、次の言葉が次々と浮かんだ。疑問に思ったことも、自分の感想も、迷うことなく言葉を交わすことができた。

「へえ、あなたって意外とガッツあるのね」

「いやいや、そんな」

 彼女は、皇后の侍女として働いている母親に憧れて自ら私の侍女になると立候補したらしい。

 彼女が立候補した時の私は、我が儘全盛期。決して良い選択肢ではなかっただろう。まんざらでも無さそうな彼女の顔が、当時の苦労を物語っていた。

 彼女の目標の関門はきっと私だった。今は、その大きな壁を乗り越えて私と朝食を取っている。きっと、すごく耐えて、踏ん張って、粘り強く関わってくれたから「今」がある。

 なら私も、彼女の主としてふさわしい器の人間になりたい。

 そのための、壁が今目の前にある。

 臨むところだ。

 ベッキーと目が合う。照れ臭そうに笑う顔は、朝日に照らされて眩しかった。

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