第40話

「くそ、どこに居やがる」

「ここから出てないのは確かだ。ゆっくり探せばいいさ」


 女性の姿になり縛めを無理矢理解いたレイオは、彼女を捜そうと縦横に駆け巡る誘拐犯の目から逃れ、どうにか見つかりにくい機械とベルトコンベアの隙間に伏せて隠れていた。時折彼女の目と鼻の先をブーツや革靴が駆け抜けていくのが見える。


「……さっきから外のやつらの反応が無い。誰かここを嗅ぎ付けてるのかもしれん。連邦警察だったりしたら厄介だぞ」

 レイオが声で判別したところ、どうやらここに居るのは今喋っていたリーダー格一人と、他に三人。いずれも酒で焼けたような汚い声をした男だった。そのうち一人は先程レイオが手を掴んだ相手である。


 男達は縦横に走り回った挙げ句にレイオを見つけられなかったため、今度はしらみつぶしにそれぞれの機械の下を覗き込んでいるようだった。

 このままじっとしていても、いつかは必ず見つかってしまう。レイオは祈るような気持ちで彼らの隙を伺っていた。


 そのとき、どこか遠くから、破裂するような鋭い音が立て続けに聞こえてきた。

「!?」

 レイオだけでなく、そこに居た全員が驚いて足を止める。

「今のは……」

 音に心当たりのあるらしきリーダー格の男が、緊張した声で部下に命じる。

「おい、グレンとトッドで見てこい」

「了解」

 直後、二人分の足音が遠ざかっていった。


 残るは二人。レイオは慎重にそこを抜け出す機会を伺った。

「お前はそっちから探せ。俺はあっちだ」

 そんな声の後、足音が不意に止んだ。数秒待っても、新たな音は聞こえてこない。きっと、遠くへ探しに行ったのだろう。

 レイオは意を決してベルトコンベアの下から這い出し、身をかがめながら開いている出入り口を探して左右を見渡した。


「やっぱり、ケイトだ」

「!!」

 突然の背後からの声に、レイオは戦慄する。振り向きもせずに真っ直ぐ逃げようするが、その前に腕を掴まれて引き寄せられてしまった。


「きゃ、」

 思ったよりもずっと近くに居たその人物は、レイオが寝かされていた部屋に来た男だった。レイオの二の腕をしっかりと掴んでいる。未だにレイオのことをケイトという親しい人間だと思っているらしい、ぽっかりと開いた黒い目で、至近距離からレイオを見つめてきた。


「お前、どうしてこんなところに……」

 二の腕をしっかりと捕まれているため、どれだけもがいても逃れられそうになかった。男の息が頬にかかり、レイオは嫌悪感に耐え切れず身を捩る。今の姿はレイオ以上に細く、大の男に抗う力など出せそうに無い。


「な、なぁ、ケイト。わざわざここまで来てくれたってことは……」

 男はレイオの拒絶になどお構い無しに、頬ずりせんばかりの勢いでレイオに擦り寄ってくる。

「また俺とやり直してくれるんだよなぁ……?」

「い、いやっ……」

「おい、見つけたのか!」

「――!!」

 声を荒げたせいで、もう一人の男にまで聞きつけられてしまった。見ると痩せぎすの男が遠くから駆け寄ってくる。


「ああ、ケイトがいたよ……わざわざ来てくれたんだ……」

 男の恍惚とした声は、呆れたようなリーダー格の男の言葉で掻き消された。

「おいジュノ、まだ立ち直ってなかったのか。お前の大事なケイトは先月死んだだろうがよ。ラリったお前の車でなァ」

「そ、そんなはずはない! 実際ここにケイトが……!」

 駆け寄ってきたリーダー格の男に、ジュノと呼ばれたその狂気を現し始めた男は、レイオの髪を掴んで顔を上向かせ、無理やり示す。


「!」

 リーダー格の男が驚いて立ち止まる。近くで見てみると、蟷螂を思い起こさせるような細身の男だった。死んだというジュノの恋人ケイト――に変容しているレイオの顔を見て、信じられないという風に目を丸くする。


「お前、その顔本当に……いや、その服は……っ」

「!」

 レイオは思わず表情を変える。今レイオが着ているのは、アルフレッドの服なのだ。それが余計にその男の推論を引き出したようだった。

 男は少しの間顎に手を当てて思案した後ニィと笑う。


「なあ、もしかしてお前は」

 ジュノに拘束されているレイオに、品定めするかのような視線を投げかけながら、男は一歩一歩近づいてきた。

 人ではなく物を、突き詰めて言えば金を見る目になったその男の手が涙ぐんだレイオの頬に触れようとした瞬間、レイオはぎゅっと目を瞑り、そして


「えいッ」

 細い膝を跳ね上げた。男の股間に向かって。


 ザギ直伝の暴漢撃退法だった。いけ好かない奴がいれば、鼻っ柱を思い切り殴りつけるか、男ならば股間を蹴り上げろと常日頃から教え込まれていたのだ。

「がっ――」

 一瞬目を白黒させた後、壮絶な表情で男は身を屈める。レイオはその機に呆気に取られているジュノの手も振り払い、一目散に走った。


「ケイト……!」

 背に投げかけられたすがるような声を、レイオは断腸の思いで振り切る。

 今のレイオは、ジュノというこのチンピラが心の底から必要としている人物なのだ。このような状況でなければ気が済むまで手を握ってやるところだった。


 半開きになっている出入り口を見つけ、レイオは機械の群れをぬってそちらに向かって駆け出す。だが、程なくしてそれは鼓膜を貫くような激しい金属音によって阻まれた。

 目の前で火花が散り、レイオは思わず足を止める。


「てめェ……」

 振り返ると、リーダー格の男が不自然な角度で立っていた。手には、銃口からゆらりと硝煙の立ち上る拳銃がある。

 男はレイオの目の前の機械を撃ったのだ。そして今、その照準は間違いなくレイオに向けられている。足が竦み、レイオは動けなくなる。


「ジュノ、そいつぁケイトなんかじゃねえ。ミラージュっていう化け物だ」

「で、でも……」

「いいから、捕まえろ!」

 ジュノはうろたえながらも、レイオの方にそろりそろりと歩いてきた。

「なぁ、ケイト……」

 常に眉毛が八の字をしているような、弱気そうな男だった。無理やり引き寄せれば、弾除けにして逃げることもできるかもしれない。それでも、どんな姿であれ自分を痛いほど必要としている人間を無碍に扱うことは、レイオにはできなかった。


 自分を必要としてくれた人、自分に帰る場所を与えてくれた人――レイオは沢山の相手に心の中で詫びながら、ジュノの手が自分を捕まえるのを許した。その手つきは優しく、レイオはそんなちっぽけなことで泣きそうになる。


「連れてこい。ラムゼイの王子の身代金よりも安全に、それ以上の大金が手に入るぞ……!」

 レイオが人から物に逆戻りする覚悟を決めた、そのときだった。

 乾いた工場に、二発の銃声が立て続けに響き、ジュノが、次いで男が、ゆっくりと倒れた。それぞれの肩口から血が滲み出してくる。


 何が起こったか理解できずに立ち尽くすレイオの後ろから、声がした。

「連邦警察だ」

「――!」

 それは、嫌と言うほど聞き覚えのある声だった。レイオは嫌な予感を胸に抱きながら振り返り、背後に居た人物を確認する。

 その姿を目にしたレイオは、これ以上は無いというほど、絶望した。

「…………うそ……」


 呆然とするレイオに対峙したその人物は、『レイオ』の姿をしていた。

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