第38話

 扉に耳を当ててじっとしていたレイオは、近付いてくる足音に気付き身構えた。


 外の状況はあまり分からないが、少なくとも近くに複数の人間が居る気配は無い。出るならこの機会しか無いと判断し、息を潜めて扉が開く瞬間を待った。

 足音は部屋の前で止み、鍵を開ける音がした。扉越しではなく直接聞こえてくるその音に思わず身震いするが、自分の使命を思い起こし、恐怖心を押し殺す。


 そして、扉がきしみながら開いた。レイオは極限まで集中し、ドアノブを握っている手が見えた瞬間、縛られた両手を突き出し、その手を握りしめた。

「なっ……」

 ドアを開けたのは中年に差し掛かった男だった。掌を通じてその男の心が流れ込んでくる。すぐに振り払うように手を離されたが、それだけで十分だった。


 変容する間も、レイオは極力意識を保つよう試みた。そして変容が済むと、顔を上げて男を真っ直ぐに見つめる。自ら姿を確認することはできないが長い髪をした女のようだった。

 黒い髪を無理に金色に染め上げているその男は、変容したレイオの顔を見て動揺する。心の中で一番必要としている人物の姿を取るのだから当たり前といえば当たり前だった。


「ケイト……? 何で、お前がここに……?」

 男が完全に我を忘れたその瞬間、レイオは肘でドアを開けながら、全力で男に体当たりする。

「うわ、」

 そして転倒した相手が体勢を立て直す前に、レイオは全速力で逃げ出す。


 扉を抜けると、短い廊下の先に何かの工場があった。アームをいくつも生やしたような大型の機械がいくつも並んでいる。真っすぐ走っているだけでは間違いなく追いつかれるので、レイオはそこに一目散に走り込んだ。


「おい、ケイト!?」

 未だにレイオの正体に気付かない男の声が工場に響く。するとレイオの側から別の人間の声がそれに応じた。

「どうした。何があった。クライアントが電話寄越して返事を待ってんだぞ、早くしろ」


 レイオは戦慄する。ほんの数メートル先に、別の人物が居たのだ。逃げ込んだ瞬間に見つからなかったのは幸運としか言いようがない。レイオは咄嗟に側にあった機械の陰に身を隠す。

「あの部屋の中に居たのは、ケイトだった……」

「……ああ、ケイトってお前の女か。それがあの中に居ただって? お前クスリは事故って以来やめたんじゃなかったのか」

 小馬鹿にするような声がレイオの至近距離から発せられる。レイオは息を止め、縮こまってその声の主が通り過ぎるのを待った。


「いや、本当にケイトが居た。俺が見間違えるはずがないだろ。クスリだってやってない」

「……で、そのケイトさんはどうしたんだ」

「そっちに走っていった」

「何だとっ」

 すかさず怒号が飛ぶ。

「お前があれを誰に見立てようが構わんがな、あれは大事な金づるなんだぞ」


 乱暴な足音が遠ざかっていく。レイオはその隙に、より隠れやすそうな隣の機械の陰に移る。変容しても平気ないつもの服と違い、アルフ用の男物の服を着ているため、両手を縛られた上で女性に変容すると動きにくくて仕方がない。


 だが、アルフよりも腕が細くなったため、縛っているバンドにも少しの余裕ができている。レイオは機械の出っ張った部分にそれを引っかけ、外しにかかる。

「おい、金づるが逃げた。外にはまだ出ていないはずだ。閉め切って探せ!」

 怒鳴るようなその言葉に、応じる声がさらに複数あった。


 レイオは恐怖で泣き出しそうになるのを懸命にこらえる。四方から殺気だった声が飛び交う中、レイオは縛めを外そうと躍起になっていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「着いたぞ」

 ジリアンの示した座標のすぐ近くまで辿り着いたザギは、罪のない男性から徴収した車を乗り捨て、機関銃を背負い、端末の通信を繋ぐ。


『繋がった端末はそこから50メートル東の工場の中だね』

「おう」

 そこはテムズ河の河口近くの広大な土地だった。かつては自動車工場が建ち並び、何千という新車が並んだはずのその場所に、今はいくつかの廃車とザギの乗り捨てた車くらいしか存在しない。


 身を隠す物が無いのが不安ではあったが、ザギはジリアンに言われた通り眼前にそびえ立つ工場跡に歩み寄る。

 ある程度近付いたところで、工場の正面にある閉ざされた出入り口の側に、見張りらしき二人のチンピラ風の男が立っているのが見えた。


 ザギは端末相手に毒づく。

「おい、一人の誘拐で何人使ってるんだラムゼイの補佐様はよ」

『そこら辺で通信用の電波出してるのは…………6人かな。出してないのも居るとしたら結構な額だろうねえ。いくら払ってるんだか』

 ジリアンの返事にザギは嘆息し、そして気を取り直して足を運ぶ。


「とりあえず、迷子の場所が分かるまでどうしようもないな」

 相手もザギに気付いたらしい。銃こそ向けてこないものの、あからさまに警戒の態度を取っている。ザギは背に隠した短機関銃の存在にばれないぎりぎりの距離まで歩み寄り、チンピラ達が口を開く前に先制する。

「よう、ちょっとお伺いしたいんですが」

「何だ、お前」

 片方の男が詰め寄ってくる。


 ザギはそれを見計らったかのように手を伸ばし、襟首を掴んでその男を引き寄せ、鳩尾に拳を叩き込む。

「うちの子がこちらでお世話になってませんかねェ」

「――――――――ッ!!」

 手前の男が声にならない悲鳴を上げ、不自然な格好で倒れ込む。もう一人の男が慌てて銃を取り出そうとするが、ザギがサブマシンガンを向ける方が早かった。


 拳銃ではなく機関銃だったのが利いたのだろう、チンピラは愕然としながらも両手を上げて素直にザギに従った。

 ザギは男を壁に押しつけ、腕で押さえつけるようにして首を絞めながら問いかける。

「ここにラムゼイの王子様が居るだろ」

「あ、ああ……」

 男は必死に頷く。機関銃の銃口がよほど怖いらしい。

「ありがとよ」 

 それだけ聞ければ十分だった。ザギは男を解放し、咳き込む彼の顔面を正面から思い切り殴り、昏倒させる。


 そしてザギはチンピラ二人を扉の脇に引きずってから、作業機械も出入りできる巨大な扉に張り付き、中の様子をうかがった。

 中では幾人かの男の怒鳴り声がしている。どうやら何らかの騒ぎになっているようだった。ザギはその隙に忍び込むべく、他の出入り口を探そうと身を起こした、そのとき。


「動くな」

 

 冷たい声と同時に、固い感触がザギの背中にあたる。確実に心臓の位置を押さえているそれは、直に見ずとも銃であることが容易に知れた。

「――!」

 完全に不覚を取ったザギは、反撃策を考えつつ、サブマシンガンを落として両手をあげる。


「俺ぁ迷子を捜しにきただけだぜ」

 茶化して言うザギに、しかし背後の人物は応じようとはしなかった。銃を押しつけたままで、再び冷たい声がザギの耳朶を打つ。

「お手を拝借願えますか」

 ザギは悔し紛れに陽気な声を出す。これが、ジリアンの言及していたノイズの主であることは分かっていた。


「やなこった。手錠でかぶれるたちなんでね」

 そんな負け惜しみなどお構いなしに、ザギの手は背後の人物に掴まれた。

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