第36話

 かん、かん、という小さな金属音でレイオは目を覚ました。

「……っ」

 とっさに起き上がろうとして、そしてバランスを崩し失敗する。


 まぶたが酷く重いうえ、目の焦点が中々合わない。

 両手をまとめるように縛られて、どこかの床に寝かされていること以外は分からなかった。起き上がることもできずに床に頬をつけたまま状況を把握すべくじっとしていると、先ほどの金属音がまだ続いているのが聞こえてくる。


 中々見えない目で必死に周囲を見回したところ、まだ日が高い位置にあるらしくどこか上の方からまばゆい光が漏れている。先程から続いている音は、おそらくは日光で僅かに膨張した建物が軋む音なのだろう。

 そこはコンクリートの壁に囲まれた小さな部屋だった。物置部屋のようだったが、何も置かれてはいない。前方に金属製の厚そうな扉が一つあるが、内側にはノブが無い。


 レイオは埃っぽい空気の中で深呼吸を繰り返し、脳に酸素を送り込む。

 アイリーンの名刺入れを手にして外に出たことまでははっきりと覚えているが、目当てのエレベータにつく直前に、レイオの記憶は途絶えてしまった。

 そして、気付けば腕を縛られて寝かされていた。


 アイリーンに言い含められていたにも関わらず迂闊にも外に出たせいで何者かにここまで連れて来られた――結局分かるのはそれだけだった。

 誰にやられたか、ここがどこかという以前に、自分がどんな姿をしているかすら分からない。

 アルフの姿でやらなければいけないことがあるというのに、このまま監禁されていては自分を庇ってくれたアイリーンの立場まで悪くなってしまう。


 レイオは言うことを聞かない四肢を叱咤しながら、ゆっくりと身を起こした。薬でも飲まされたのだろう、脈打つごとに頭を鈍痛が走っていく。

「ここから……出なきゃ」

 ようやく喉から出てきた声に、レイオは少なからず安堵する。この三日間ずっと聞いてきた自分の――アルフレッドの声だった。


 未だに姿を変えられていないということは、つまり自分が幻色人種であるとは知れていないはずだ。レイオにも少なからず勝算はありそうだった。

 レイオは扉の側に寄り、じっと息を潜めてそのときを待った。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「さて、もう時間だ。アルフレッドは帰って来なかったね」


 時刻は14時30分。審問会を予定していた時刻から既に30分が超過している。

 マクシミリアンの皮肉じみた言葉に、隣に座っていたアイリーンは改めて彼を睨み付けた。

「……お兄ちゃんをどこにやったの」


 ラムゼイ本社の第六会議室。そこは会議室という名の模擬法廷だった。使用する機会はさほど多くはないが、日頃はそこで裁判での話し方などを研究・練習する。本物にも劣らない素材で作られているそこは、外を見さえしなければ本物と見まごうほどの威圧感があった。

 そんな場所に、今はラムゼイの重要人物が勢ぞろいしている。


 日頃は本社以外で活躍している直系ではない親族や、現役を退いた世代の元重役なども、今ここに居ない人物を見るためにわざわざ傍聴席の硬い椅子に腰を下ろしている。

 だが刻一刻と、彼らが自分に向ける視線が険しくなっていくのを、アイリーンは肌で感じていた。無論14時に現れるはずのアルフレッドが未だに姿を見せないためだ。14時を過ぎた時点で席を立った者も数人居る。彼らが今後アルフレッドと、そして彼を保護していたアイリーンに向ける感情は決して良いものではないだろう。


 本当は自ら探しに行きたいところだったが、周りの目とお飾りではあるが総帥という立場がそれを阻んでいた。

「私がやったと思いこむのが一番腑に落ちるのだろうけど、残念ながら何もその推論を証拠づけるものは何も無いよ」

「……」

 傍から見れば不安がる婚約者をなだめる好男子なのだろう。それが余計にアイリーンの神経を逆撫でする。


「こんにちは。アイリーンさん」

 不意に後ろからかけられた女性の声に、アイリーンははっとして振り向く。

「あなたは、連邦警察の……」

 そこに居たのは大人しそうな連邦警察の女性捜査官だった。


「マイア・ミューラーです。アルフレッドさんの件は連邦犯罪捜査局が全力で捜索にあたっております」

 マイアはそう言うと、隣席のマクシミリアンにも軽く会釈をした。

「……相棒の方は?」

 アイリーンの問いに、マイアはにっこりと笑った。ハーフリムの眼鏡の奥で、吊り上がった目尻が下がる。


「所用で外しております。この件は私が担当ですので問題無いですよ」

「あなたが……?」

「ええ。トリス捜査官は、正確にはこの件に付随する別件の担当です」

 にっこりと笑ったまま頷くマイア捜査官。これまでは常にトリスの補佐的な立ち回りばかりしていたのを見ているため、アイリーンが小さな疑問を持ったそのとき。


 軽やかなベル音が模擬法廷に響き渡った。その場に居た誰もが一瞬驚き、自らの携帯端末を確認する。

「……失礼」

 そう言って懐から端末を取り出したのはマイアだった。周囲からの白い視線に詫びながらも、マイアはその場で通話を開始する。


「私だ」

 目の前に立っている大人しそうな捜査官のものだとは思えない突然の険しい声にぎょっとするアイリーン。一瞬その声の主が誰か分からなかったほどだった。

「……そうか。そちらは頼んだぞ」

 短い会話の後、マイアは女性が持つにしては無骨な端末をしまい、そして顔を上げた。


 その瞬間、まるで子猫が脱皮でもして突然肉食獣になったような奇妙な印象をアイリーンは受けた。そしてそれが勘違いでないことを直後に思い知る。マイアは一同の目がちらちらと集まる中、まるでそれを跳ね返すような強い目をして言ったのだ。


「丁度トリス捜査官から連絡がありました。捜索中のアルフレッドさんですが、現在13号道路で姿が確認されました」

「!!」

「バイクでスピード違反したところをカメラが捉えました。方角的に現在こちらに向かっている模様です」


 朗々と響くその声に、驚かない者は居なかった。背筋を伸ばし、捜査官というよりは軍人のように毅然と立つマイアは、もはや先日までの穏やかな面影は無かった。

 アイリーンも例に漏れず驚いていたが、すぐに自らの感情を押し込み、隣の人物の様子を伺った。自分が情報に左右されている場合ではなかった。


 マクシミリアンの横顔は、驚いていなかった。だが、無理に平静を装うとしているようにも見え、アイリーンはさらに横目で、模擬法廷の後方にいる彼の秘書ウォリックを見やった。


 予想的中だった。小柄で見るからに神経質なウォリックは目に見えて動揺している。取り乱しているわけではないが、前方のマクシミリアンに対し必死とも言えるほどの眼差しを送っている。指示を仰ぎたいのだろう。


 ふと視線を感じてその方向を見ると、アイリーンと同じことに気付いていたらしいマイアと目が合った。宇宙規模の犯罪を取り締まる捜査官の眼差しの強さを、アイリーンは初めて思い知った。そして力強い笑みを浮かべたマイアは再び口を開く。


「さて、審問会はこのまま決行ですか?」

 その溌剌とした声に異論を唱える――否、唱えられる者は居なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る