第32話

 レイオがラムゼイ本社から忽然と姿を消してから約三時間後。時刻は12時過ぎ、既にロンドンのラムゼイ本社で予定されている審問会まで二時間を切っていた。


 鴨が葱を背負う――東洋のことわざを体現するかのような出で立ちで、デイビッドはムーンベースに降り立った。

 金目のものが詰まっています、奪ってくださいと言わんばかりの上等なブリーフケースを大事そうに抱えた気の弱そうな小太りの男。自由都市もとい無法都市の住人達は皆、奇異の眼差しをすれ違うデイビッドに投げかけてきた。


 思わずデイビッドの口から泣き言めいた呻きが漏れる。

「うぅ……」

 公的な交通手段を使わなかったのが余計にまずかった。がらの悪い男に囲まれて密航船で大変肩身の狭い思いをしてどうにか到着した挙げ句、月に到着してからもがらの悪い人間が多数行き交っている発着場を歩く羽目になったのだ。


 デイビッドはレイオの言っていた密航船を利用して密かに月に来ていた。

 レイオの失踪についてマクシミリアンがやけに手際よく連邦警察を呼んでしまったため、彼らの目を盗んで本社から抜け出し、リーズ空港から密航船を見つけて交渉し、そして乗せてもらうまでは困難を極めた。また、ある程度客が集まるまでは発進しないという船主の手に、ブリーフケースから出したいろいろなものを握らせて必死に急かして船を出してもらうまでもまた苦労があった。

 渡航の目的は二つ。ムーンベースに潜伏しているであろうアルフレッドとコンタクトを取り彼を地球に導くことと、以前からレイオが必要としていた擬似皮膜の入手である。

 前者が最大の目的だった。

 ロイヤルオペラハウスでの一件の後、姿を消してしまったアルフレッド本人は、地球上で見つからないのならばムーンベースに戻っているかもしれないとレイオが語っていた。実際、指名手配された今でもアルフレッドは発見されていないので、連邦警察の目の届きにくいこのムーンベースに居るという公算は高くなる。


 突然レイオが居なくなってしまった今、どうにかして審問会に『アルフレッドの姿をした人間』を出さないと、マクシミリアンらの策によってアルフレッドのことが悪し様に言われてしまうのは目に見えているからだ。言われるだけならまだ良いが、それによって今後姿を現すかもしれない本物彼を偽物と決めつけ、ラムゼイの血族と認めないなどという話に持って行かれるわけにはいかない。


 周囲の視線に怯えながら早足で歩き、デイビッドは出立の直前のことを思い出す。

 ラムゼイの本社で連邦警察の捜査官に囲まれ、目配せだけでデイビッドを見送ったアイリーンは、随分と焦燥しつつも気丈に振舞っていた。今はセキュリティシステムや監視カメラの行き届いているはずのラムゼイ本社ビルから忽然と姿を消したレイオのことを、個人的なつても使いながら捜索しているところだろう。


 たとえこちらが成功してアルフが順当にラムゼイに復権できたとしても、それだけで解決という問題ではなくなってしまったのだ。

 マクシミリアンがアルフレッドの姿をしたレイオのことを幻色人種であると気付いているかどうかは定かではない。ただ単にアルフレッドを排除すべくどこかに連れ去ったという可能性もある。


 公では完全に、アルフレッドが自ら姿を消したことにされている。マクシミリアンや彼の秘書ウォリックが手を回したのだろう、マスコミにまで情報が漏れており、アルフレッドはロンドンどころか地球ではすっかりお尋ね者扱いとなってしまった。

 『柄の悪い人ゾーン』をどうにか抜け、デイビッドは比較的一般人らしき人の比率の高くなった空港の往来に辿りついた。


 正式に就航している公の交通機関の乗り場もあるそこは、先ほどまで歩いていたところとは打って変わって明るく、観葉植物などもそこかしこに設置されており、普通の宇宙港と変わらない雰囲気だった。


 自分と同じスーツ姿の人物なども見受けられるようになったため、デイビッドはすっかり安心して、抱えていたブリーフケースを下ろし、手に提げた。

 目当ての41番ドックまではもうすぐだった。

 


 個人所有ドックエリアのDブロック。乗客のために用意された空間ではないそこは、いささか不親切なつくりになっていた。案内板などほとんど無く、ただひたすら長く大きいトンネルの脇にある扉に、それぞれのドックの番号が刻印されている。


 周回トロリー停留所から41番ドックへは数十メートル程度のはずだった。商船エリアとはまた異なる人々がたむろしている中を、デイビッドはお世辞にも長いとは言えない足を一生懸命回転させ、可能な限りのスピードで向かっていた。

 40番ドックを抜け、やがて左前方の扉に41という数字がはっきりと見えるようになってきたその時、デイビッドはその手前に一人の人物が佇んでいることに気付いた。


 育ちの良さそうな金髪の少年だった。この三日間のほとんどを共に過ごし、今朝方姿を消した人物と瓜二つだった。デイビッドは思わずその名を呼ぶ。

「レイオさん……ではないですよね」

「! あんた、今レイオって……」

 少年が訝しげな顔をしてデイビッドの方を向く。


「あ、僕はデイビッドと言います。アルフレッドさんですね、実は今日の午後二時――」

 そこまで言ったところで、突然、背後からたくましい腕で首を抱えられた。

「あひゃっ」

 逃れようのない見事なヘッドロックを極められたデイビッドは足だけでじたばたと暴れる。


 デイビッドの首を絞めている腕の主――黒ずくめでサングラスの男は、低い声を発する。体が接しているためか、デイビッドの肺まで震えるような声だった。男は人相が良いとはけして言えない精悍な顔に、今はさらに険しい表情を浮かべている。


「さっき俺の連れの名前が聞こえた気がしたんだが、気のせいかね」

「い、いえ、僕はその」

 デイビッドがしっかり説明するよりも早く、サングラスの男はヘッドロックをかましたままでデイビッドを奥――ドックの中へと引きずりはじめた。


「奥でゆっくり訊かせてもらおうか」

 ずるずると引きずられ続けるデイビッドは、少年――デイビッドがはるばる月まで探しに来た張本人であるアルフレッドに必死の声をかける。

「ひぃ……アルフレッドさん、たしゅけて……」


 だが、アルフレッドはまるでそうするのが当たり前という風に、サングラスの男(と引きずられるデイビッド)に付き従って歩き始めた。

「……俺も話が聞きたい。今アイリーンとレイオはどうなってるんだ」

「うわーん……」

 結局デイビッドはそのまま奥の船に乗せられるまでサングラスの男に引きずられることとなった。短い首が少し伸びた気がした。

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