第31話
マクシミリアンの私室に乗りこんだアイリーンは、わざとらしい仕草で自分を迎え入れた部屋の主と対峙していた。
「何のつもりなの」
「何の、とは?」
アイリーンの険しい声など意に介さずに、ゆったりと歩み寄ってくるマクシミリアン。冷めた顔をすることの多い彼にしてはいささか珍しいほどの笑顔を湛えている。
アイリーンはそっと身構えた。
「審問会のことよ。『審問』なんて名前からしておかしいわ」
手の届く距離まで来たマクシミリアンは、癇癪を起こした子供をあやすかのように、婚約者であるアイリーンの髪に触れた。結い上げた金髪をくすぐるように撫でられ、アイリーンの身が固くなる。
「連邦警察やマスコミにも注目されてるというのに、君がずっとアルフレッドをプライベートフロアから出そうとしないからだよ。このままでは君の立場まで悪くなってしまうからね。せめてラムゼイの中だけでもアルフレッドのことをしっかりと知ってもらわないと」
マクシミリアンの指が僅かに首筋に触れ、アイリーンは身じろぎする。振り払うことまではしないものの、表情と様子で彼の接触を明らかに拒んでいる。だが、拒まれた方のマクシミリアンがそれに気付き、そして配慮する気配は無い。
「それにしても第六会議室でやる必要は無いはずよ」
「悪意があるわけでは無いさ。ただ、どうやら彼が別人のなりすましではないかと疑う声まで出てきてしまっているのでね。彼がアルフレッド本人だとああいった場ではっきりと示さないといけない」
「――っ」
指先でうなじをなぞられたアイリーンはついに手を上げ、マクシミリアンの頬を張ろうとする。が、その腕を掴まれて逆に彼の胸元まで引き寄せられてしまった。
長身のマクシミリアンが身を屈めて頬を寄せるようにして囁きかけてくる。
「後ろ暗いところがないのなら、模擬法廷でも別に平気だろう?」
腕を掴まれたまま、アイリーンはマクシミリアンにすっぽりと抱きすくめられる。耳元で低く囁かれ、背筋に痺れるような震えが走る。
完全にマクシミリアンの術中にはまっていることを、アイリーン自身も痛感していた。審問会に対する怒りが彼の行いに対するものに摩り替えられつつあるのだ。
「離して」
何度か強くもがくものの、マクシミリアンの腕から逃れられない。
「この歳になってもまだ婚前交渉どころか身体的接触もいけませんか」
「!」
マクシミリアンの手がするすると腰まで下りてきたとき、アイリーンは渾身の力をこめてマクシミリアンを突き飛ばした。
「……当たり前よ。元々私達の間にそういった気持ちは無いでしょう」
全力で突き飛ばしたというのに、マクシミリアンは後ろによろめいた程度だった。だが腕から抜け出すことはできたため、アイリーンは後ずさりして彼から距離を取る。
マクシミリアンが態勢を立て直して苦笑するのとほぼ同時に、アイリーンの携帯端末の呼び出し音が鳴りはじめた。
「――っ」
アイリーンは警戒を緩めないようにマクシミリアンを睨んだまま端末を取りだし、低いトーンで応答する。
「……デイビッド?」
『あ、もしもし? 準備できましたけど』
それは彼女の第一秘書からの呼び出しだった。アイリーンは気の抜けるようなデイビッドの声に、今回ばかりはきつく、ただし眼前の人物に用件を悟られぬよう言い返す。
「その件については私の確認を通さずに進めて良いと言ったでしょう」
『色々下調べしてたんですよう……ところで、――さんは?』
そのとき、今度はマクシミリアンの部屋にある内線電話が鳴り始めた。マクシミリアンはアイリーンに向かって小さく詫びるような仕草をしてから、その電話を受ける。
「……今、なんて」
内線電話の呼び出し音で掻き消されたデイビッドの声を、反芻するアイリーン。足下からじわじわと嫌な冷たさが這い上がってきていた。
「どうした」
眼前では、マクシミリアンが低い声で内線電話に応じている。
『少しお話を伺おうと思ってたんですが、レイオ――じゃなかった、アルフレッドさんはどちらにいらっしゃるんでしょう。今どちらかでご一緒ですか?』
レイオさんはどちらにいらっしゃるんでしょう。
困り声のデイビッドの言葉が、アイリーンの脳裏に何度も反響する。
「そうか。ご苦労だった。そのまま予定通りに頼む」
通話を終えたマクシミリアンが薄く笑いながら電話機を戻すのと、アイリーンが端末を取り落とすのは、ほぼ同時だった。
「……………………」
返答が無いためか、スピーカからデイビッドの声が何度もアイリーンを呼んでいる。だが、アイリーンは返事をすることができなかった。
部屋から出るなと言っておいたはずのレイオが居ない。そして、全く同時にマクシミリアンがしている謎の会話。二つの事柄を結びつけるのはとても簡単だった。
確信のこもった糾弾の眼差しを突きつけるアイリーンに向かって、マクシミリアンは肩を竦めてみせた。
「さっきのことは謝るから、そんな目で見ないでくれるか」
「――ッ」
わざとらしい反応のマクシミリアンを捨て置き、アイリーンは踵を返し、彼の部屋を退出した。そして早足で、いつしか駆け足で自身のフロアに向かう。
髪が乱れるのもお構いなしに、アイリーンは必死の形相で走った。先ほどよりアイリーンに纏わりついていた嫌な冷たさは、ついに全身を覆うまでになっていた。
ついに自身のプライベートフロアに辿りつき、乱暴に扉を開けた先には、ふくよかな男性秘書が一人でおろおろと立っていた。
アイリーンは左右を見渡す。そしてもう一つのドアも開け、その先も。さらに仮眠用の寝室にも踏み入って、バスルームにも身を乗り出すが。
それでも、レイオは――アルフレッドの姿をした幻色人種は居なかった。
「僕も探したんですけど、どこにも……てっきりご一緒かと……」
後ろからついてきていたデイビッドが狼狽しきった声で言った。
「どうやら逃げてしまったようだね。彼は審問会に出たくなかったのかもしれないな」
「!!」
突然の低い声に、アイリーンとデイビッドが振り向くと、そこにはいつの間にか彼女の婚約者が悠々と、薄い笑みを浮かべて立っていた。
「マクシミリアン、あなたって人は……」
婚約者でもあり有能な補佐でもあるマクシミリアンだが、アイリーンはレイオの失踪に彼が絡んでいると確信して、睨みつける。だが、マクシミリアンはアイリーンの声を受けても動じる様子はない。
「そんな顔で私を見ていても彼は帰って来ませんよ、総帥」
よほど頭に血が昇って酷い顔をしているのだろう。デイビッドの心配そうな眼差しがアイリーンとマクシミリアンを忙しなく往復している。
アイリーンはゴウゴウという血流の音の裏で、親族が姿を消したことに対して全く動揺していないマクシミリアンが警察へ淡々と連絡する声をかすかに聞いた。
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