第30話
「それじゃ、とりあえずこれに目を通しておいて。別に癖なんて誰も覚えてないとは思うけど一応ね。私はちょっと出るから」
「はい。お仕事ですか?」
三日目にしてようやく高級ソファに座り慣れてきたレイオは、眼前で手早く身支度を整えているアイリーンを仰いだ。
テーブルには中型の端末が置かれている。デイビッドが何やら大冒険のごとく準備をしている間、アイリーンがかつてのアルフレッドが映っている映像記録を持ってきて、端末で観られるようセットしてくれたのだ。
レイオはアルフレッド本人とも数日間ともに過ごしたこともあるため、ポケットに手をやったり目を泳がせたりといった程度のちょっとした行動のクセなどはすぐに覚えられそうだった。そもそも容姿が完璧に再現出来ていると、よほどおかしな行動をしない限り大抵の人間は騙されれてくれるのだ。むしろ後でやる予定の親族達の名前の暗記の方が随分と難しそうだった。
「これを作った人に抗議してくるわ」
緊張と怒りの交じり合ったような表情でレイオの問いかけにそう返事して、アイリーンはテーブルの上にあった審問会の予定を印刷した紙を目線で指した。
「内側から鍵をかけておいてね。私やデイビッド以外の誰かから連絡があっても応じないでいいから。できるだけ早く戻るわ」
「いってらっしゃい」
そしてアイリーンは金髪を翻しながら部屋を出て行った。レイオには笑顔を見せていたものの、外を向いたときに垣間見えた彼女の顔はいささか険しく、そして握った拳は僅かに震えているように見えた。
アイリーンを見送った後、レイオはソファに戻り、端末のスイッチを入れる。
出生からハイスクールまで。たどたどしく歩き始めた幼子が、やがて一人の人間として歩み始めるまで。そこには一人の少年と一人の少女が共に成長していく様が記録されていた。
彼らがたいへん愛され、大事にされて育っているのが、ただ見ているだけのレイオにもよく分かった。画面の中の幼いアイリーンとアルフレッドは、成長の記憶どころか自己の本当の年齢すら知らないレイオの目には酷く眩しく映った。
本来の目的である癖の観察など忘れて、レイオはしばし彼らの記録に見入っていた。
暫くしてふと、レイオはいつの間にか鳴り始めていた内線電話の音で我に帰った。見れば、奥にあるアイリーンの机の上で電話機が軽やかなベルを鳴らしながらランプを点滅させていた。
「……」
数秒の間躊躇うが、結局レイオは立ち上がり、それを受けた。そっと耳に押し当てた受話器から、レイオのよく知る女性の声が聞こえてきて、レイオは安堵で小さく息を漏らす。
『ごめんなさい、忘れ物をしたの。デイビッドは居る?』
「いえ……」
電話越しのためかいささか音質が良くないが、間違いなくアイリーンの声だった。レイオは先程のこともあるので一応左右を見渡して彼の姿を探すが、今はどちらの扉も開いてはおらず、室内にはレイオ一人しか居なかった。
『そう……悪いんだけどちょっと机の上の名刺入れを持ってきてくれる? 外のエレベータの前にいるから』
レイオが机の上に目を走らせると、ぎりぎり手の届く距離に名刺入れと思しき褐色のケースが置いてあった。だが、外に出るということに抵抗があったため返答が遅れると、アイリーンがそれを察したのか、優しい声で続けてきた。
『今なら大丈夫よ。私がついてるから』
「……分かりました」
アイリーンの声に後押しされるように、レイオは電話にも関わらず頷いて見せた。
そして机の上にあった、いまどき珍しい紙媒体の名刺が入っている小さな革のケースを取る。普通の勤め人ならば旧時代にあった名刺交換の風習など最早無く、身分証を互いの携帯端末に読み込ませるだけで十分なところだが、やはり総帥ともなるとそういったものも必要になるのだろう。
レイオはそれを手に、そろそろと扉の前に向かう。
「……いってきます」
そして一時停止された画面の中で笑っている二人の幼子に微笑みかけてから、レイオはそっと扉を押し開けた。
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