第29話
「……審問会、ですって?」
静かな怒りを湛えたアイリーンのその声に、デイビッドは怒りの矛先が自分に向いていないにも関わらず、身を逸らして弁明する。
「さっきスケジュールの確認をすると入っていたんですよう……各所に連絡済みで、いかなる場合にも決行だそうです……」
そして手にしていた一枚の紙をアイリーンにおずおずと差し出す。それをひったくり、印字された内容を読んだアイリーンの顔がどんどん険しくなっていくのを見て、向かいに立っていたデイビッドは思わず後ずさりし、そして彼女の隣に座っていたレイオは心配そうにアイリーンを見つめる。
アルフレッド・J・ラムゼイの姿になっているレイオがラムゼイ本社のプライベートフロアに寝泊まりするようになって、三日目。朝一番に三人で応接間に集まった際、デイビッドから告げられた思いも寄らない予定に、アイリーンは血相を変えていた。
レイオが横から盗み見たところによると、その紙にはどうやらアルフレッドに対する審問会の予定が記されているようだった。
参加者はラムゼイの重役や親族、そして日時は今日の14時、場所は――
「地下の第六会議室って……訴訟対策の模擬法廷じゃない」
アイリーンが理解できないという風にかぶりを振る。
「あんなところで審問会って、レイオさんを被告席に立たせるつもりですかね……」
デイビッドの言葉に、ついに怒りのメーターが振りきれたらしいアイリーンが立ち上がる。そしてそのまま肩をいからせ、審問会を組んだ人間に抗議をしに行こうとドアまで行って、
「……………………」
デイビッドとレイオが固唾を呑んで見守るなか、いったん戻ってきた。
幾度かの深呼吸の後、すとんと元の場所に座るアイリーン。たおやかな指で額を支え、溜息をつく。
「ここまで根回しが早いとは思わなかったわ……隠居のおじさま達まで呼び寄せるなんて。社内もどこまで息がかかってるか分かったもんじゃないわね」
「アルフレッドさんのことは皆さん注目してますからねぇ……会える機会があったら皆さん会いたがるでしょう。って、そういえば、誰がこんな予定立てたのかって訊かないんですね」
デイビッドの何気ない言葉に、アイリーンはゆっくりと顔を上げる。そして溜息ついでに返事を吐き出した。
「訊かなくても分かるわよ。あの有能な補佐様でしょ」
「正確にはマクシミリアン補佐と秘書のウォリックさんですね。ウォリックさんもやり手だからなぁ」
「どこかの秘書と違ってね」
デイビッドを冷ややかな目で睨みながらそう言うと、アイリーンは再び立ち上がった。気を取り直したらしく、既にその顔に狼狽の表情は無い。
「怒ったりしてる場合じゃないわ。あと六時間で出来る事を考えましょ」
「……はい」
アイリーンの強い視線を向けられたレイオが頷くのと、デイビッドがまるで優等生のごとく挙手しながら発言するのはほぼ同時だった。
「レイオさんの仰ってたとおり、リーズ空港からだと二時間で月に着くみたいですね」
「……?」
「……どうして君はいつもそうやって過程と結論を飛ばして余談から話し始めるの」
唐突に話を振られてきょとんとするレイオと、本日何度目か分からない溜息をつくアイリーン。デイビッドは慌てて指を折りながら自己の論理の逆算をして、改めて口を開く。
「ええとですね……まず残された時間が五時間強ですね。で、審問会の対策としてはとりあえず基本的には『覚えていない』で通すにしても、予備知識として親族の方々の情報を頭に入れておいた方がいいですね。あとアルフレッドさん本人の癖なども映像資料で確認だけしておいたほうがいいでしょう。でも一番良いのはアルフレッドさん本人が審問会に出られることですが、アルフレッドさんはレイオさんの仰る通りなら今はムーンベースにいらっしゃるだろうということなので、しかもこちらからの連絡は傍受される可能性が高いので直接コンタクトを取るのが一番かと思うんですが、そうなると多分行かされるのは僕ですからね。それで、公の交通機関で行くと搭乗記録が残っちゃいますし、レイオさんの仰ってた船で行ったほうがよさそうだなーと」
立て板に水のごとく話し終えたデイビッドに向かって、アイリーンはぼそりと呟く。
「……口さえうまければ十分有能な秘書なんだけどね」
「あ、ありがとうございます!」
「……」
アイリーンの言葉の前半部分を完全に無視して、デイビッドは照れて頬を赤くしている。
アイリーンはすました顔で続けた。
「あなたみたいな人を無法都市に行かせるのは心苦しかったんだけど、まぁ本人が自覚してるのなら話は早いわ。頼んだわよ」
すると途端にデイビッドの顔が青くなる。アイリーンが無法都市と言ったところで自分の置かれた事態の深刻さに気付いたらしい。ころころとよく変化する顔色だった。
「そ、そういえばムーンベースって治安良くないですよね……」
「表通りを歩く限りはそんなに危なくはないと思いますけど――」
「で、でもでも、僕が適任というか僕しかいないんですよね」
レイオが言い終えないうちに、デイビッドは自己完結した挙げ句に拳を握り締めて鼻息を荒くしている。
「こんなこともあろうかと、実はもう秘書室の方に通常の業務については任せてあるんです。じゃあ僕準備してきますねッ」
そしてデイビッドは、傍で見ている者にはけして理解できないような自己完結の末、単身で月に乗りこむべく、応接テーブルに広げていた自分の荷物を整理し始めた。
レイオと共に呆気に取られつつその様子を見ていたアイリーンが、ぽつりとこぼす。
「ちょっと見直したわ。気をつけてね」
「はいっ」
荷物を全て鞄に詰め込んだ後、元気良く返事して、デイビッドは荷物を抱えて部屋を飛び出していった。彼が出て行った勢いそのままに素早く閉まったドアを見ながら、レイオはアイリーンを見上げておずおずと声を発した。
「えと……まだ詳しいことを話してないけど大丈夫でしょうか」
するとアイリーンはふっと笑った。彼の消えた扉を眺めるその横顔には信頼の念が満ちているように見えた。
「頭の回転は速い方だから平気よ。変だけど、頼りになる人よ」
「信頼なさってるんですね」
レイオがそう言うと、アイリーンは頷き、ほんの少しだけ優しい笑みを浮かべる。
「そうね……あの人が変なおかげで私が正気で居られるのかもね。当主って結構疲れるから」
世相に疎いレイオにも、たった一人、若い娘の身で総帥を任されているアイリーンが日頃どれだけの重責を背負っているかは理解できた。一言一言、一挙手一投足が一般人に比べて遥かに重みと影響力を持つ中で、ばかげたやり取りをできる相手というのは貴重なのだろう。
そうやって二人で少しの間、デイビッドに想いを馳せていると。
「星間パスポートっていらないですよね」
『!?』
ここに居ないはずの人物の声に、レイオとアイリーンは同時にびくりとして振り向く。
すると、目の前の扉から出ていったはずのデイビッドが今度は反対側にある別の扉から顔を覗かせていた。扉を開けた音がしなかったので、いつからそこに居たのかは分からない。
闖入者の姿を確認したアイリーンは胸を撫で下ろした後、沈痛な表情で何度目になるか分からない嘆息をつく。
「……早く行きなさい」
「は……はひっ」
怒りの臨界点が近いのか、はたまた照れ隠しか、やけに低く静かな声のアイリーンに脅されるようにしてデイビッドは慌てて再び姿を消した。レイオはその扉に向かって一応声をかける。
「あの、パスポートならいらないですよー……」
その声が届いたかどうかは定かではなかった。
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