第26話

 Dブロックに入り、問題のドックの手前まで来たところで、ザギは思わず顔をしかめた。


 そこには小さな地獄が出来上がっていた。40番ドックにまで影響が及んでいないことを一応確認した後、ザギは地獄に踏み入る。

 41番ドックの外の通路に、一人の作業員が横たわっていた。一目見ただけでは生死の判別がつかないほどの酷い火傷を負っており、まるで怨嗟のようなうめき声を漏らしている。手遅れという言葉がザギの脳裏をよぎる。


 おそらくその作業員はドックの中から引きずり出されたのだろう。何かを引きずった赤黒い痕が閉ざされた扉の向こうまで続いていた。

 血まみれの作業員の側に、男が佇んでいた。他でもない親方だった。彼のつなぎも血まみれにはなっていたが、それが彼自身の物ではないこともすぐに分かった。彼が作業員をドックから引きずり出したらしい。


 真っ先に駆けてきたザギよりも到着が早かったのは、ザギの居た40番ドックだけではなく他のドックも巡っていたためなのだろう。作業員の様子を確認しながら無線で救援を急かしていたが、ザギの来訪に気付き顔を上げる。


「……お前か」

「オーバーヒートか」

 ザギの言葉に親方が渋い顔で頷く。


「うちじゃ禁止してるんだがな……何のために見回りしてたんだか分かりゃしねえ。こいつは、こっち側に飛ばされたから何とか引っ張り出せたが、反対側に吹っ飛んだ奴らはもう駄目だ。天井に穴が開いて完全閉鎖だ」


 ドックはそのまま発着できる仕様になっているため、壁を隔てた向こう側は当然ながら、『外』である。ムーンベースのドーム付近には内部の気圧調整のために漏れ出す空気がわずかに存在してはいるものの、けして人間が呼吸できるほどの濃度ではない。ドックの扉を閉ざしたのも、おそらくは親方なのだろう。緊急時における的確な判断ではあったとはいえ、その表情には苦渋の色が滲んでいる。


 近年は小惑星帯などでよく行われている宇宙船による賭けレースのため、エンジンを無理に改造する行為が流行っていた。この爆発はその改造に失敗した結果なのだろう。


 ザギは親方に従って作業員の側に屈み、彼の様子を見た。もはやどこを手当てすればいいのかも分からないほど全身が焼け爛れており、ザギはただ彼等の冥福を祈ることしかできなかった。

 そのとき、軽い足音が聞こえてきて、ザギははっとして振り向く。その主に心当たりがあったからだ。

「――!!」

 息を切らして走ってきたその足音の主は、せっかく駆け寄ってきたというのに惨状を見て思わず後ずさりする。


「レイオ……待ってろっつったのに」

「お嬢ちゃん、あっち行ってな」

 二人の男に険しい声を投げかけられたレイオは一瞬怯むが、きゅっと眉を寄せ、それからゆっくりとザギの側に来た。そしてポケットから小さな黒い機械を取り出す。

「! おいっ」

 だが彼女のやらんとするこを察したザギが止める間もなく、レイオは機械を手首に押し当てていた。すぐに擬似皮膜が剥がれ落ち、レイオの手が露わになる。


 レイオは静かな決意を秘めた顔で、機械をザギに手渡した。

「持ってて」

「何する気だ、お嬢ちゃん」

 レイオはもはや表情を変えず、先ほどから声にならないうめきを上げ続けている作業員の側にしゃがみこんだ。そして、ザギと親方が息を飲んで見守る中、血と浸潤液でどろどろになった彼の手をそっと握ってやる。


 そしてレイオは変貌した。黒髪の少女から、ふくよかな赤毛の女性へ。


 幻色人種が『変わる』瞬間はいつ見ても、よく分からない。気付けば既に違う人間の姿になっている。

「なっ――」

 親方が仰天していることなとお構い無しに、レイオは作業員の焼け爛れた頬に手を添える。


「あ、ああ……」

 もはや目もあまり見えてないであろう作業員が、それでも変貌したレイオを見て、震えながら、嬉しそうに声を発した。

「ナナ、ナナぁ……」 

「大丈夫だよ……大丈夫。ダイちゃん。すぐに、お医者さんが来てくれるからね」

「なな……」

 レイオは、血色の良いその顔で精一杯の笑顔を彼に見せてやった。

 ダイちゃんと呼ばれた作業員はろくに動かない身体で、どうにかレイオにしがみつく。血で汚れるのも構わず、レイオはその背に手を添えてやる。


「ナナ……ごめん、ごめん、なぁ……」

「――!」

 かすれる声で、肺の空気を搾り出すようにそう言ったきり、作業員はまるで風船が萎むかのようにくたりと崩れ、動かなくなった。レイオは慌てて彼に何度も呼びかける。

「ダイちゃん、ダイちゃん……!」

 それでももはや彼が呼びかけに応じる気配は全くなかった。ザギはレイオの肩に、そっと手を置く。

「……レイオ、もう」

「……」

 悟ってはいたのだろう。レイオはザギの言葉で俯き、沈痛そうに作業員の顔を見つめる。

 その頬を、一筋の涙が伝っていった。

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