第25話

 ムーンベースは鋼のドームに覆われているため、当然ながら外を眺めることはできない。展望用のデッキもいくつはあるにはあるが、ここではその必要性が全く無い。

 それでもザギは、まっすぐに立って上を見上げていた。鈍色の天蓋にはいくつかのつぎはぎがあり、まるでキルトのようだった。

 ジリアンは買出しに行っているため、ここに居るのは現在ザギと、そして外装の点検を終えたローレライ号のみ。


 ムーンベース個人所有船41番ドック。


 現在はザギの船「ヴァーミリオンローレライ」の専有ドックとなっているこの空間では、かつてひとつの事故があった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夜半、ムーンベースのとあるドックで、二人の男が向かい合い、そして声を戦わせていた。


「粋がるな、若造」

 ドン、と胸を押されザギは後ろによろけるが、ただちに体勢を立て直して再び眼前の人物に食いかかる。


「だから別に踏み倒すつもりでこんなことしてる訳じゃねえっつのッ」

 しかし、どんな剣幕で迫ろうとも、相手がひるむ様子は無かった。体格的にはザギが勝っているはずなのに、実際に圧されているのはザギの方だった。


 相手は、船商人の男だった。ムーンベースで有象無象の船乗りを相手にしてきたその風格は、チンピラにしか見えないザギよりもずっと威圧的で、毅然としていた。


「基本の契約すら守れない人間にうちの船をやるわけにはいかん」

「だから、あと一日でいいから待ってくれって頼んでんだよ、それでこっちに金が入るから頭金は足りるんだ!」

「どんな事情があろうとも、今日の24時までに頭金の支払いを済ませることが譲渡の条件だったはずだ。それは何度も前に確認したはずだが?」

「くっ……」


 単純な正論で完璧に言い返され、ザギは言葉に詰まる。

 二人の奥では、優美な造形の宇宙船が静かに佇み、初めての主人を待っていた。最新とまでは言えないものの、個人が持てる可能な限りの高性能な設備を詰め込んだ船である。


 ザギは、船商人からこの船を譲り受けるという契約をしていた。だが、仕事相手の報酬の入金が滞っており期日までに頭金を支払うことができなくなっているのだ。期日の延長に、商人は応じてくれなかった。元々不相応な小金を持ち込んで無理やり契約しようとしたザギに好意的でなかったのもその一因だった。


 実際の経験や人脈がモノをいう船乗りの世界で、その両方ともをあまり持ち合わせていないというのに、どこでせしめたか分からないような金をちらつかせて船を買おうとする若造に対し、船商人どころかこのムーンベースの人間すらあまりいい感情を持っていないようだった。


「おいおい、どうした声張り上げて。ここで刃傷沙汰は勘弁してくれよ」

 突然の太い声。

 ザギが振り向くと、ドックの人間用出入り口から一人の男が顔を覗かせていた。オイルですすけたツナギを纏い、白髪混じりの頭を刈り上げ、泣く子を黙らせるほどの人相をした壮年の男だった。


 船商人がほうと息をついて、居住まいを正す。

「大頭領」

「親方って呼べって言ってるだろうがよ。で、どうした。外まで聞こえてんぞ。お嬢ちゃんが怖がってるじゃねえか」

 大頭領――もとい、親方の名はザギでも知っていた。ムーンベースの技師達の長であり、そして地球や太陽系連邦相手にも一歩も引かない強い政治家でもあると。


 そして、親方はドックの入り口の脇に向かって手招きをした。そしておずおずと姿を見せた人物に、今度はザギが息を呑む。

「レイオ!」

「ご、ごめんなさい」

 その名を呼ばれた黒髪の少女が、俯きがちに言った。


 そこに居たのは、宿で待っていろと言いつけておいたはずのレイオだった。先ほどのやり取りもきっと聞かれていたのだろう。泣きそうな顔でザギの方を見ていた。

「どうしたんだ、お前らしくもない」

 レイオをその場に残し、親方はドックに入ってきた。船商人以上に威圧感のあるその様相に、ザギも思わず背筋を伸ばす。


 ただ年月を重ねてきただけでは決してないことを思わせる精悍な顔立ちをした男だった。船商人ではなくこの男に「粋がるな、若造」と凄まれれば間違いなく萎縮するだろうともザギは思った。

「どうもこうも、ただの頭金不足ですよ。明日には次の候補と契約します」

「……っ」

 船商人と、抗議しようにも文句の出てこないザギの様子を見て親方は状況を察したのだろう。腕の時計をちらりと確認し、そして奥にある船を見上げてから、ぽんとザギの肩を叩いた。


「期限は今日か。あと二時間、せいぜい頑張りな。それにな、無理だったらまた金を貯めてからやり直しゃいいだけだ」

 親方はまるでザギを諭すようにそう言った後、入ってきたときと同じように悠々とドックから出て行った。

 船商人も一応24時までは待つと言ったものの、明らかに入金を期待してはいないようすで帰宅していった。ザギは追い出されるようにしてドックから出て、そして困り顔のまま突っ立っていたレイオと合流した。



 気まずい沈黙にまとわりつかれたまま、二人はとぼとぼとドック間の通路を歩き続けた。この時間になるとドックを巡るトロリーは運行しておらず、タクシーを呼ぶしかなかったが、ザギが無言で先を歩いているせいで、レイオもおろおろとその後ろをついていくしかなかった。

 ドックの出口まで歩けない距離ではないが、金の工面ができる時間は間違いなく大幅に削れてしまう。


「あのさ、ザギ」

 そんなとき、背後からかけられたためらいがちな声に、ザギは足を止め、振り向かないままで返事をする。

「……何だ」

「……お金、足りないんだよね」

「……」


 そこで一歩、レイオが前に進む気配がした。すぅと息を吸って、言った。


「わたしを売れば、お金――」

 ダンッ

 だが、最後までは言わせなかった。ザギが、拳で側の壁を思い切り殴りつけたのだ。

 怯えて萎縮してしまったレイオに、初めてザギは向き直る。

「今度ンなこと言ったら顔を殴る」


 かつてザギが保護したこの少女は、伝説の幻色人種だった。最初は言葉すらろくに話せなかったものの、世話をしていくうちにあっという間に普通の娘と変わらないまでになったのだが、自分の存在意義を軽んじ、商品として見る癖だけは中々抜けなかった。


「……ごめんなさい」

 しょんぼりと俯くレイオ。

 ザギのためを思っての発言だったのだろうが、彼女をどこかの好事家に売った金で船を買ったところで何の意味も無いのだ。


 すっかりしょげてしまったレイオに、さすがにやりすぎたかと思いザギがフォローのために口を開こうとした瞬間――壁の奥から鈍い爆発音が聞こえてきた。

「!?」

 ザギは慌てて壁を殴った手を引っ込め、おろおろと左右を見渡す。だが鳴動が続き、どうやら自分の拳のせいで壁の向こうのものが倒れたとかそういうレベルの事態ではないことを悟り、真面目な表情に戻ってレイオを引き寄せる。


『Dブロック41番ドックにて事故発生。Dブロック41番ドックにて事故発生。安全のためブロックを閉鎖しますので近辺の方はただちに避難してください』


 数秒後、電子音声によるアナウンスが通路に響き、ザギは血相を変えた。

「41だと!?」

 そして、居ても立ってもいられず、駆け出す。

「ザギ!」

「そこにいろ!」


 背後のレイオに向かって怒鳴りながら、ザギは一心不乱に先ほどまで居たドックに戻るべく走った。

 ザギが購入するつもりだったあの優美な船は、事故の発生したドックの隣――40番ドックに格納されていたからだ。

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