第20話
連邦捜査官の眼差しを受けて背筋に走った嫌な寒気を忘れようと、アルフレッドの姿をしたレイオはかたく目を閉じて首を左右に振る。
「……大丈夫?」
気付けば、戻ってきたアイリーンが心配そうな眼差しでレイオを覗きこんでいた。
女王のごとき風格の彼女だったが、アルフの顔をしているレイオの方を向くときだけは、まるで少女のように表情が幼くなる。
「はい。何でもない、です」
するとアイリーンが苦笑する。
「分かってるのに、慣れないわね。お兄ちゃんがそんな言葉遣いするなんて」
「えと……ごめんなさい」
恐縮するレイオの横に、アイリーンがそっと腰を下ろした。彼女の纏っている柔らかい匂いがレイオの鼻に届く。男ならきっとこれだけでイチコロだろうな、とレイオはふと思う。
「ヤードも連邦警察も……それにラムゼイの人間も追い払って、これでやっとゆっくり話ができるわね」
そしてアイリーンはレイオの方に向く。
「あの、私のせいでややこしいことになって、ごめんなさい。アルフ……アルフ君もあの場に居たんですけど、多分姿を出すともっとややこしいことになるから隠れたんだと思います」
「ええ……お兄ちゃんはそういう人だから。まずは生きてるって分かっただけで、十分」
そしてアイリーンはレイオの手をそっと両手で取り、包み込む。
「全部あなたのおかげ。私達はね、ずっと前からいつも決まった日にオペラを観に行ってたの。それで、あのエントランスで丁度、『ああ、お兄ちゃんが一緒だったらなぁ』って思ってた。……そこに、あなたの手があった」
「……本当はあのまま隠れて逃げるつもりだったんです」
「だって、この手はお兄ちゃんの手だもの。10年経っても忘れるものですか」
そう言って笑いながら、アイリーンはアルフの形をしたレイオの手をいとおしそうに眺めた。まるで壊れ物のようにそっとレイオの手を包んでいる彼女の手の薬指には、白銀の指輪がはめられている。
「幻色人種と言って驚かなかったのは、アイリーンさんで三人目です」
レイオがそう言うと、アイリーンは小さく首を横に振る。
「死んだはずのお兄ちゃんが、死んだときと同じ顔で現れるんですもの。幻色人種って言われたほうが納得できるわ」
一連の騒動の中、レイオはこれだけはと思い、どうにかアイリーンに自分が幻色人種であることと、本物のアルフレッドも存命なことを告げていた。幻色人種と言った瞬間に落胆しかけた彼女だったが、レイオの次の言葉で気を取り直し、現在に至るまで気丈に振舞っている。
「もう一人はアルフ君です。冷凍睡眠の解除の後で私がアイリーンさんの姿になったときに」
自身で姿を確認する暇は無かったが、後でザギ達に話を聞いたところ、寝こんでいたアルフの手を握ったレイオは事故当時の若きアイリーンの姿になっていたらしい。
アイリーンはどこか嬉しそうに苦笑する。
「お兄ちゃんったら、きっと別の船だった私の心配でもしてたのね。でも、それもカウントにいれちゃいけないわ。状況が状況だもの。残る一人は、どんな人?」
そう言われ、レイオは船で自分を待っているであろう黒髪の男の面影を思い浮かべる。
「……今一緒に旅をしている人です。その人のおかげで、私は幻色人種であることなんか忘れるような暮らしをさせてもらってました」
レイオの声色で何かを悟ったのだろう、アイリーンがぎゅっと手を握ってきた。
「分かった。絶対に、その人のところに帰してあげるからね」
「……はい」
レイオも深く頷く。
そうしてアルフの顔をしたレイオとアイリーンが至近距離で向かい合って手を握り合っていると。
「なんだかすごく……背徳的に見えますね」
いつの間にか部屋に戻ってきたデイビッドが、なぜか頬を上気させてレイオ達を見ていた。
アイリーンが表情を一転させ、冷たさすら感じさせるような青い瞳でデイビッドを睨む。
「今のは辞表代わりの言葉と受けとっていいのかしら」
「ち、違います……っ」
慌ててばたばたと全身で訴えるデイビッド。
「そ、そういえば捜査官って本当に二人一組なんですね。僕、本物を見たのは初めてだったんですよ」
「……私は10年前から何度も何度も本物と会ってるけどね」
「そ、そうですか……」
自己フォローに失敗したデイビッドが落ちこんでいるのを捨て置き、アイリーンは立ち上がり、レイオに向かって元気付けるかのように口角を上げてみせる。
「それじゃ、ようやく邪魔が完全に入らなくなったことだし、あなたの船に連絡しましょ」
「はい。今なら月のドック経由で繋がると思います」
「あ、ぼ、僕がやります」
アイリーンにつられて立ち上がりかけたレイオを制して、デイビッドが勢い良く挙手する。そして奥の机からグレーの小さな端末を持ち出し、ソファの前の応接テーブルに置いた。そしてアイリーンにも着席を促し、自己はその横で床に膝をついて作業をはじめる。
「ええとムーンベースの、個人所有船ドック……の、これですか?」
「はい、Dブロックの41番ドックで、呼び出し名は『レイオ』で分かってくれると思います」
レイオはデイビッドが流れるような操作で表示させた連絡先の中にあったそれを指差す。さすがラムゼイ総帥の秘書だけあって仕事の手際は良い。
「じゃあこれで音声繋いでみますね」
デイビッドはそう言ってスピーカのスイッチを入れた。
順調に繋がったはずの通信だったが、画面右側に流れる通信シークエンスを眺めていたデイビッドは、おもむろに首を真横まで傾げた。その眼前では先程までせわしなく流れていたシークエンスがぴたりと停まっている。
「……?」
きょとんとするレイオとアイリーンの眼前で、今度は逆側にも首を曲げるデイビッド。
「んー……」
そして唸りながら、キーを叩いて何らかの操作を試みる。シークエンスが再び進み、文字がさらさらと流れた。だが、その結果はやはり芳しくないことが彼の反応から窺えた。再び静止してしまったのだ。
「どうしたの、一体」
アイリーンが訊ねると、デイビッドは身を引き、端末の画面を背後の二人に示した。
「通信断絶……?」
シークエンスの最終列に表示された文字を読んだアイリーンに頷いてみせるデイビッド。
「試しに他の地点を経由させたんですけどそれでも駄目ですねぇ。うーん、連邦警察の方ですかね……ちゃんと外までお見送りしたんですが、管理室まで戻ってきたのかなぁ」
「どういうこと?」
一人で話を進めてしまっているデイビッドに、アイリーンが苛立ち気味に詰め寄る。
「ええとですね、どうも特定の場所と通信をしようとするとその時点で回線をシャットアウトされてる感じです」
「! 何ですって……」
「確証は無いんですけど、本社内でブロックの設定をされた感じです。流石に社外のネットワークから不正に侵入されるとラムゼイのシステム自体が弾きますから」
「社内……」
アイリーンの表情がどんどん険しくなっていく。
目の焦点ははっきりしており、ただ恐怖していたり動揺していたりというよりは、その険しい感情をぶつけるべき対象を知っているというような様子だった。
「す、すみません、僕なんだか結構怖いこと言っちゃいましたけど……」
「誰にその設定をされたかまでは分かる?」
「管理者権限でサーバールームに入ればできるとは思います。勤務時間中にいかがわしいページを開けないようにするアレと同じ仕組みですね。管理室に入るのにも権限が要るはずですけど……」
「……つまり、それをした人にはシステム管理の権限があるってことね」
「まあ、普通に考えるとそうなります」
「あ……」
それまで黙っていたレイオが思わず声を漏らすと、デイビッドとアイリーンの視線がレイオに集まる。
「そういえば……うちの船からラムゼイに……多分ここに連絡をしようとしたんですけど、それも、拒まれたんです」
「拒んだ? そんな話聞いてないわ」
顔を見合わせた後訝る表情になった二人に、結局レイオはことの始まりから――ヴィーナストルクでアルフの入った救命ポッドを見つけたところから説明することになった。
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