第19話

「……なるほどね。それでレイオの力を使って妹さんの愛する人を調べたかったってわけね」

「ああ。レイオには、復讐のことは言わずに頼んだけど……」

 アルフの吐露は続いていた。会話を繋いでくれるのは主にジリアンで、ザギはずっと黙って真っ黒なサングラスの奥からアルフを見つめている。


「前から……10年前から、俺達家族は毎月決まった日にオペラを観に行ってたから、今日アイリーンがロイヤルオペラハウスに来るのは分かってたんだ。

 もしアイリーンがあいつのことを愛してるのなら……レイオがあいつの姿になったのなら、復讐なんかしないつもりだった。あいつだってアイリーンにまで酷いことはしないだろうし、わざわざ本当のことを教えて、好きな婚約者まで殺されたら、もうアイリーンに本当に家族が居なくなってしまうから」


 自分のことは、家族に含めなかった。もし自分が復讐でマクシミリアンを殺害したとしたら、それはそれで彼女の家族として暮らすことはできないからだ。また、ここ数日の出来事のせいで自分が諸手を挙げたラムゼイに歓迎されるビジョンが思い浮かばないというのもあった。

「でも、レイオは俺の姿になって……」

「で、妹さんと一緒に来てたマクシミリアンに通報されて連邦警察にレッツゴーと」


「連邦警察!? ヤードじゃないのか?」

 思いも寄らぬことを言われ声を裏返らせたアルフに、ジリアンは事も無げに続ける。

「僕らも最初から見てたわけじゃないけどね。途中からロンドン警視庁から連邦軍犯罪捜査局に移されたよ。ま、ヴィーナスムーン事件の参考人だからね」

「そんな……」

 宇宙時代に入り、国や星のさらに上位に、人類は太陽系連邦という単位を作った。そして実際の組織として地球に本部を置き、惑星間での様々な調停や治安維持などを司っている。連邦が抱える軍の中には宇宙規模での犯罪を取り締まる部門もあり、それが連邦軍犯罪捜査局――通称『連邦警察』だった。

 地面に足がついた事件は所轄の警察へ、足がつかない事件は連邦警察へ。それが簡潔な区分だった。そしてヴィーナスムーン事件などはもちろん、連邦警察の管轄である。


「それじゃあ、サハリンの入港拒否を差し向けたのも、ここからラムゼイへの連絡をできなくしたのも、そのマクシミリアンってやつの仕業と思っていいのかな」

「恐らくは。でも、連邦警察って……」

「その方がヤード管轄より気が楽だ。元々恨みを山ほど買ってるからやりたい放題できるさ」

 ザギが静かに口を挟んできた。ジリアンも悪い笑みを浮かべて頷いている。さすがお尋ね者といったところだろうか。


「ただ心配なのは、レイオが幻色人種だとばれること」

 そしてジリアンが珍しく真面目な声を出した。短期間とはいえこれまでの経験から、彼が真面目に話をするときは本当に深刻なことであるというのはアルフにも分かっていた。

「幻色人種は見た目の姿だけしか模すことができないからね。これは、まだレイオと君自身の生体情報の照合が行われていないことを祈るしかないけど……。ま、ばれてたらばれてたで普通に力技で誘拐すればいいけどね。一応、君とレイオをすり返るのが理想かな。うまく出来たらあとは好きにすれば良い」

「そういうこった。俺らが持ってる最大の武器は、お前なんだ。せいぜい一生懸命働いてもらうぞ」


「分かった。俺のせいでこんなことになって、何から何まで、本当に済まなかっ――」

「バカヤロ」

「!?」

 素直に謝罪しようとした途端に、ザギから険しい声が飛んできた。思わずびくりと痙攣するアルフ。そして理由が分からず狼狽する。

 すると、ジリアンが苦笑しながら助け舟を出してくれた。

「ヒントいる? 君が実際に酷いことしたのは誰だと思う?」

「……あ」

 ようやく悟ったアルフに、ザギはシートから身を起こして語り掛けてきた。


「謝るのは俺にじゃねえ、レイオにだ。殴るのも、その後だ」

「……そうだな。だから、俺にも手伝わせて欲しい。レイオを助けたい」

 アルフは大きく頷いて、そしてザギを真っ直ぐに見つめ返す。怖いと思っていた彼のことが、今はとても頼りがいのあるように見える。

「復讐だの何だのは俺達の知ったこっちゃねえからな。あくまでこっちはレイオを連れ戻すだけだ」

「もちろんだ」

 そして、ザギは再び手を差し出してきた。

「!」

 その意図をすぐに察し、アルフも応じる。

 差し出した手を、痛いほどの強い力で握られるが、アルフも負けじと握り返す。

「よろしく、な」

 握り合ったその手に、アルフは誓いを込めた。


 ◆ 


 滑らかなビロードの絨毯の上に据えられている革張りの黒いソファ。熟練の職人により細心の注意を払い適度な硬さで使用者を疲れさせないようしつらえられているそれの上に、しかしレイオは居心地悪そうに小さく座っていた。

 そこに、嘆息混じりの声が降ってくる。

「『覚えていない』で通すしかないわね……」


 レイオの――16歳の少年アルフレッドの姿になっているレイオの側には、レイオを見下ろすようにして二人の人物が立っている。一人は目が覚めるような金髪の美女、そしてもう一人は丸い体躯をして見るからに気の弱そうな、鼻先にそばかすの残る栗色の巻き毛の青年だった。

「で、でも連邦警察には正直に話したほうが……」

「デイビッド」

「はひっ」

 美女――アルフの実の妹であるアイリーンが、青年を諭すように言った。優雅な声が広い応接間に響く。


「あなたは私の味方よね?」

「も、もちろんですっ、でも……」

「じゃあ黙ってて」

「はいぃ。…………!?」

 返事をしてから、それでは黙っていることにならないと気付いたらしきそのデイビッドという男は、慌てて両手で口を塞ぎ、目を白黒させている。


 そんな様子に、思わずレイオは笑ってしまった。慣れない低い笑い声が口から漏れる。

「あはは」

 しかしそれが、アイリーンを余計に悩ましげな顔にさせる。

「……ごめんなさい」

「いえ、レイオさん……あなたは何も悪くないわ」

 しゅんとしたレイオが詫びると、アイリーンが慌ててかぶりを振る。何をしても彼女の兄の顔なのだから、逆効果だった。レイオはどうしていいか分からなくなり、俯く。


 ここは連邦警察ではなく、ラムゼイ本社ビルの上層にあるプライベートフロアだった。シティの中でも一二を争うほどの高いビルであるため、窓に近付かない限りは町並みの夜景は目に入らない。時折シティ空港で発着する飛行機の識別光が見えるだけだった。


「こんなことならお兄ちゃんの生体情報の廃棄にサインしとくべきだったわ……」

 アイリーンの溜息まじりの呟きに、デイビッドが困り顔で返事をする。

「仕方ないですよ、あのときとは、状況が違いますから……」

 その時、部屋に据え付けられている内線電話のベルが鳴った。皆の視線が集まったそれを、デイビッドが恐る恐るといった様子で取る。


「はい。…………いえ、今日はもう…………え!? いや通さないようにって頼んであったじゃないですか…………そりゃ、そうですけど…………」

 デイビッド側の声しか聞こえないにも関わらず、話が不穏な流れになっているのを察したアイリーンが身を屈め、レイオに囁いてくる。

「もし今から何を聞かれても、覚えてないって答えて」

「……はい」


 デイビッドが受話器相手におろおろと受け答えしているのをよそに、アイリーンは軽く身だしなみを整える。未だドレス姿のまま、深刻な顔で前髪をかきあげる彼女は、そんな表情にも関わらず魅惑的だった。

 そして内線通話を終えたデイビッドが、困り顔でレイオ達を仰いだ。

「連邦警察の人が、すぐそこまでおいでになってるそうです……」

「……仕方ないわね。でも、中には絶対に入れないわよ」

 強い決意のこもった声だった。そして心配そうに見上げているレイオに向かって、アイリーンは微笑んだ。守るべきものを持つ、強い人間の笑みだった。

「大丈夫よ、絶対に引き渡したりしない」

 程なくして部屋のドアがノックされた。レイオにはまるで何かの宣告のような、不気味な音に聞こえた。そして心の準備が出来ていないらしい挙動不審なデイビッドと、凛として立つアイリーンが扉へ向かう。


 デイビッドが恐る恐るといった様子で木製の重厚なドアを開くと、その先には二人のスーツ姿の男女が立っていた。

「連邦軍犯罪捜査局のトリス――」

「お引き取りください。お話はヤードで済ませたでしょう。兄は疲れているんです」

 その片割れ、真面目そうな銀髪の男が口を開いた瞬間、アイリーンが有無を言わせぬ迫力で彼の言葉を押し返した。

「それでしたらまずメディカルチェックも必要でしょうし、やはり捜査局の方においでいただいた方が身柄の安全も――」

「安全ですって?」

 再び男の言葉を遮るアイリーン。


「ヤードからあなた方の捜査局に行くまでに、それに行ってからも、私と兄が何度報道のカメラを向けられたかご存知? もしあの中の一つが銃だったとしたら? ここより安全とはまったくもって思えませんわ」

 ロイヤルオペラハウスでの騒動の後、レイオとアイリーンはヤード――ロンドン警視庁に連れて行かれ、さらに管轄違いということで連邦警察にまで出向く羽目になった。だが、宇宙規模の財閥であるラムゼイの総裁アイリーンが権力をかさに上から圧力をかけさせつつ強く要請したため、身柄はいったん戻されることとなり、今こうやってラムゼイ本社のプライベートフロアに立てこもっているのだ。


 既に時刻は早朝と言っても差し支えないほどの深夜だった。

 アイリーンに強い調子でまくし立てられ、相手は怯んだようだった。アイリーンはさらに言を重ねる。

「今日は遅いですし、ご用件があるのなら明日……明朝以降にお願いしますわ。私も忙しい身ですから、秘書室を通してアポイントを取るのもお忘れなく」

「……」

 ことごとく言い返された男は、側に立っている小柄な女に目配せした後、引き下がることを決めたようだった。背筋を伸ばして威風堂々と立っているアイリーンに向かって静かに告げる。

「分かりました。では今日のところはこれで失礼します。遅くに大変申し訳ありませんでした。また明日伺いますので」

「あ、下までお送りします」

 デイビッドがそそくさと部屋から出る。アイリーンの秘書であるという彼だが、その丸みを帯びた風体もあり、まるで女王の側仕えのようだった。


 そしてソファに座ったまま、外の二人に顔を見せぬようにじっと会話を聞いていたレイオは、ことが済んだと思い顔を上げる。

「!」

 だがその瞬間、アイリーンの肩越しに見えた銀髪の男と、目が合った。丁度身を翻すところだったのだろう、すぐに目は背けられ、そして姿が見えなくなる。

 怜悧な眼差しをした青年だった。一瞬見ただけなのに、まるでレイオの素性を見透かすかのようなその目の強さが印象に残った。

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