第15話
宇宙港と空港が併設されているリーズ・ブラッドフォード空港へ、アルフとレイオは無事に降り立つことが出来た。
とはいえ密航であるのでいったん精密部品として輸送用のコンテナに入って空港の外まで運ばれてから、本当に降り立つことになったのだが。
窓もミニシアターも無いようなところで二時間ただ座っているだけというのは結構な苦痛だった。隣にレイオが居なければ耐えられなかったかもしれない。
さらにそこから鉄道でロンドンまで数時間。
地球の青い空を見上げ、郊外ののどかな景色を見渡し、レイオは無邪気にはしゃいでいた。
アルフは向かいに座り、そんな彼女の横顔を眺めていた。背負っている物の重さを、通ってきた道の暗さを微塵も感じさせない様子の彼女が、どこか眩しく見えた。
◆
そして、ロンドン。
宇宙時代になり太陽系連邦暦が採用されて200年が過ぎても、その都市としての機能は衰えてはおらず、地球の経済・金融の中枢を担っていた。シティを中心として天を突くような高層ビルが無数に立ち並び、世界でも指折りの企業が名を連ねている。ただし、その多くは宇宙関連の産業の物へと移ろってはいたが。
その一方で伝統や芸術方面への、『嗜み』という名のこだわりも未だに捨ててはいない。王立歌劇場――ロイヤルオペラハウスはその一翼だった。
幾度となく補修・改修工事を行い、既に地球時代の面影は残ってはいないが、庶民からノーブルまで幅広く受け入れるその間口の広さは変わらない。日夜伝統的な歌劇や新しい形の演劇を上演し、ロンドン市民の心を潤している。
その豪奢なつくりのエントランス周辺は、今夜は特に騒がしかった。レッドカーペットこそ無いものの、正面には臙脂色のパーテーションロープが張られ、人だかりがその左右にできている。
文字通りの『ロイヤル』が来ているのならばこうはならない。厳重かつ粛然とした警備の末、専用のエントランスから入場するからだ。
今夜の主賓は一人の女優だった。美しくたおやかなその女性は、数々の映画に出演し高い評価を受けているが、スクリーンを通さずして人目に触れることは全くと言って良いほど無い。だが、そんな彼女が今夜上演されるオペラを観劇しに来るという情報が流れた。そのため、ファンやマスコミがこのような形で殺到してしまったのだ。
その人だかりを、少し離れたところから眺めている一組の男女が居た。人だかりを作っている女優のファン達とは全く異なる目的を抱きながら。
◆
「そろそろ、かな」
エントランスの方を緊張した面持ちで見ながらそう言ったレイオは、鞄の中から小さな黒い機械を取りだした。そしてペンを二本連ねたようなその機械の先端を、右手の内側の小さな黒子に押しつける。
すると数秒の後、まるでは虫類の脱皮のように、レイオの掌から薄い皮膚が浮き上がり剥がれ落ちる。
「ちょっと、不気味でしょ」
向かい合って立っているアルフに向かって笑いかけるレイオ。続けて左手でも同様の操作をする。
「これで、『変われる』よ」
その言葉が自嘲のように聞こえたのは、アルフの気のせいだろうか。
相手の手に直に触れると変貌してしまうという幻色人種の弱点とも言える手を保護するための疑似皮膜を取り去ったレイオは、誤ってアルフの手に触れないようにと拳を固く握った。何せ、一度『変わって』しまうとムーンベースのザギに触れてもらうまでは『レイオ』の姿に戻れないのだ。
レイオはフード付きのコートを羽織っていた。ここに来る途中でアルフのためにと買った服だったが、目的を遂げるために今は彼女がそれを纏っている。
「……頼む」
アルフはそれ以上何も言えなかった。口八丁で彼女を無理矢理ここまで連れてきたというのに、肝心なときに口が動かない。
女優がお忍びで訪れるという情報を事前に流したのは、他でもないアルフだった。地球に来るまでの数日間の間にロンドンの情勢を調べ上げ、そしてもっとも効果的だと思われる偽の情報を放ったのだ。
効果はてきめんで、来ない人物を待つためにロイヤルオペラハウスのエントランスには誰が紛れ込んでもバレないほどの人だかりができた。
表情すら硬いアルフを励ますように、レイオは微笑む。
「これ、持ってて」
そしてレイオはアルフの手に触れないように鞄を渡し、フードを目深に被る。
「行ってくるね。ここで、待ってて」
そう言って、レイオは身を翻した。
ポケットに手を突っ込み、人混みの中に分け入っていく彼女の細い背を、アルフは祈るように見つめていることしかできなかった。
◆
少年と少女が歌劇場の前である人物を待ち構えていたのと同じ頃、朱色の人魚という名の中型船にて。
親方という名の、ムーンベースの大頭領との経費請求を巡るけんか腰の折衝を終えて船に戻ってきたザギは、操縦室のシートにどっかと腰を下ろした。そしてコンソールの下に潜り込んで演算系の入れ替え作業を行っているジリアンの尻に声をかける。
「……レイオはまだ帰ってねえのか」
「まだだねぇ」
潜ったままのジリアンから、くぐもった声で返事が返ってくる。ザギは大きな舌打ちとともに足を上げ、黒いブーツをコンソールの上に載せる。
「そこは替えたばっかりだから蹴らないで。あと30センチ左なら好きにしていいよ」
「……」
それには従わず、ザギはコンソールに足を載せたままシートを後ろに倒す。
「心配?」
もそもそと後ろ向きに這い出してきたジリアンがニヤニヤしているのを見て、ザギはポケットから取り出した封筒をジリアンに投げつけた。顔にぴしゃりと命中するが、ジリアンは大して動じた様子もなく床に落ちたそれを取り上げる。
「これが0の数で吃驚するっていう請求書?」
中から引き出した紙切れを見たジリアンが一つ二つとケタを数えている。ザギはいささか気まずそうに呟いた。
「あのオッサン、ここぞとばかりにふっかけてきやがった。どうやら身柄引き渡しの要請も拒んでくれてるらしいが……これでも頑張って交渉した結果だぞ」
「僕に任せてくれればもう一桁は減らせたのに」
数字を確認したジリアンが事も無げに言うが、ザギはすぐさまその案を却下する。
「何する気か知らんが、ムーンベースにすら二度と寄れなくなるぞ」
「まだケレスがあるよ。あそこなら僕無名だし」
「一人で行ってろ。そうなったら船から追い出すからな」
あははと呑気に笑うジリアンは、請求書を封筒に収めてザギに返した後、再びコンソールの下に潜る。
数秒の無言の後、ザギはぽつりと呟いた。
「……あの坊や、何か企んでる顔だったからな」
「やっぱり心配なわけね」
途端、ブーツで尻を蹴られるジリアン。そのはずみで奥に頭をぶつけたらしきゴツンという音が鈍く響く。
「まあ、大それたことをやれるような顔でも無かったけどな。腹が減ったら帰ってくるだろ。それより、連邦軍からの身柄引き渡し要請に俺らだけじゃなくレイオまで入ってるらしいのが気に入らねェ。あいつが何したってんだ」
「『腹が減ったら帰ってくる』って、食事を用意してくれるのはレイオなんだからその表現は何かおかしいよ。むしろ腹が減ったら帰ってきて欲しくなるのは僕たちなわけで――」
「うるせえ」
赤くなった額をさすりながら出てきたジリアンに向かって、ザギは手にしていた封筒を再び投げつけた。
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