第14話

 イギリスのリーズ・ブラッドフォード空港行きの船があったのは僥倖だった。

 ただしそれは、密航船だった。アルフもレイオも身分の証明が必要な正規の船には乗れそうにないためだ。


 アルフ達は精密部品という名目で、ローレライ号よりも一回り小さい小型船に乗り込むこととなった。幸いローレライ号のドックとは反対側にある埠頭からの発進だったため、偶然でもザギやジリアンに見つかる心配も無かった。

「シティ空港行きがあったらもっと良かったんだけどな」

「『空港』と名のつくところに降りれるだけでも感謝しろよ」

 レイオに向けた言葉を聞きつけた船員がぎろりと睨んできたので、アルフは軽く両手を上げて降参の意を示す。


 客室という名の格納庫には、本物の貨物の隙間に粗末な椅子がいくつか据えられているだけだった。これについても何か言うと船員に睨まれそうなので、アルフは黙ってレイオと共にそれに腰掛ける。

 船員には、若いカップルが地球まで足を伸ばしてデートするとでも思われているらしかった。


 ちなみに運賃は、レイオに支払ってもらっている。利用しているアルフですら心配になるほどの『心優しさ』だった。身一つで月に放り出されることになるアルフを余程心配していたのだろう、レイオは運賃以外にもあれやこれやと世話を焼いてくれた。

 密航船の相場は既に調べてあったし、その往復の運賃を支払っても余りある金額をレイオが持っていることは、買い物に出かける前に確認済みである。


「地球に行くの、久しぶりだな」

 レイオがいささか緊張した面持ちで呟いた。復讐という肝心な部分は省いたものの、アルフの目的を告げてあるためか、手をぎゅっと握りしめ、眼差しもどこか遠くを泳いでいる。

「俺も、久しぶりかな」

「……会えるといいね」

「ああ」


 アルフはこれから、ロンドンのコヴェントガーデンにあるロイヤルオペラハウスへ向かう予定だった。

 リーズからは鉄道でロンドンまで向かうとして、時間も丁度良いはずだ。

 乗客はアルフとレイオの他には、3人ほど。密航という言葉とは裏腹に、皆ちょっとした遠出といった程度でこの船に乗っているようだった。皆携帯端末を眺めたりうつむいて眠ったりしているので、二人に気を払っている様子は無い。


「そろそろ出るぞ。航行は2時間程度だ」

 格納庫ならぬ客室に残っていた船員がそう言って出て行った。程なくして、推進装置が起動したのであろう低い音が床から響いてきた。

 月から地球まで、最新のアストラムエンジンを使うならばほんの7分程度で到達する距離である。ただし減速や燃料、それに肝心のアストラムエンジンの搭載にかかる費用などを考えると、従来の推進装置で数時間かけたほうがマシという判断をしている船が圧倒的に多い。


 アルフは隣のレイオにそっと囁いた。

「そういえば、幻色人種は『本当の姿』を探してるって聞いたことがある」

「! よく知ってるね」

 レイオが感心したように目を丸くした。

「実は、俺の爺ちゃ……祖父が幻色人種に会ったことがあったらしくてさ。そのときの話を聞かせてもらったんだ」

「おじいさんってことは、ラムゼイの……」

「そう、前の総帥のアルバート・J・ラムゼイ。もう死んじゃったらしいけどな」

 余計なことまで言ってしまったと気付いたのは、レイオの表情が曇ってからだった。


「おじいさんも……亡くなってるんだね」

「ああ、気にしないでいいよ。爺ちゃんは事故とは関係無いから。それより、本当の姿のこと、もっと教えてくれないか」

 どうにか明るく取り繕ったアルフがそう言うと、レイオは宙を見上げた。

「私もミラージュのことを知ってる人に聞いたことがあるだけだけど……」

 その前置きの後、レイオはまるでおとぎ話の――つまりは他人事のように幻色人種について語り始めた。


 『本当の姿』とは、他人に触れると変化してしまうという幻色人種が理想とする自分の姿なのだという。

 幻色人種は物心がついたころから他者の心を読んで変容を始める。はじめは体格などが不完全なために不自然な恰好にしかなることができないが、第二次性徴期あたりから完全な変容をすることができるようになり、そしてそれ以降は死ぬまで誰かの理想の姿になって生きる。


 だが、ある程度の『仕組み』は分かっていても、まだ謎は多い。

 たとえば、背中に傷痕のある男が居るとする。傷痕のことを知らないが、彼を理想だと考えている女も居るとする。もし幻色人種が女の手を握ってその男に変容したとしたら、その背には女の知るはずのない傷痕もしっかりと再現される。

 幻色人種は変容する際に相手の心を読んではいるが、その記憶から姿を再現しているわけではないのだ。


 どうやって変容するためのイメージを拾得しているのか――それが、最大の謎だった。

 必然的にアカシックレコードだの記憶集合体だのとオカルト寄りの領域の話になり、論理的ではっきりとした結論をつけることがこの宇宙時代になってすらできないでいる。

 先日アルフの手を握ったレイオが、実質上『10年前』のアイリーンの姿になったことも謎を深める要因の一つとなり得るだろう。

 10年間の経過の認識の無いアルフが自分と同い年の双子の妹を切望していたのだから理屈自体は通るが、そのときに26歳のアイリーンの姿になったとしてもおかしくはなかったのだ。


 そして、自分だけの姿――『誰にでもなれるが誰でもない』幻色人種が、求め続けるもの。

 生まれ出でて以来一度たりとも他者の手に触れずに育てばそうなることができるとも言われてはいるが、実際にそうして自分の本当の姿を得た者が居るかどうかは、定かではない。


「……レイオもそれを探してるのか?」

 話の流れでそのままアルフが尋ねると、レイオは不意に膝に置いてある、幻色人種の象徴である自身の手に視線を落とした。

「どうだろう。分からない」

「難しいんだな」

「……今のこの姿が、本当の姿だったらいいのにって思うことは、ある」

 願うような呟きだった。

「そういえば――ちょっと失礼な質問になるから答えたくなかったらそう言ってくれれば構わないんだが……その顔は、ザギの望んだ姿なのか?」

 するとレイオは俯く。まるで自分の胸の中にある何かを覗き込むかのように。

「それも、分からない。私、ザギと一緒に旅をする前のことは、ほとんど覚えてないの。でも、きっと……この姿も借り物」

「そう、か……さっきから答えづらいことばっかり聞いてごめんな」

 踏み込んでは行けないところまで踏み込んでしまった。あまりに野暮な質問だった。アルフは慌ててその話題を切り上げる。


 幻色人種である彼女が生まれてから今までずっと、恵まれた環境で平穏に幸せに生きてきたなんて確率は無にも等しいはずなのだ。アルフは自分の過去にだけ拘るあまり、他者の後ろにあるものへの配慮が随分と疎かになってしまっていることに今更気付く。

「ううん、楽しいよ。ザギとジリアン以外の人とおしゃべりすること、あんまり無いから」

 酷い質問に気を悪くすることなくそう言ったレイオの微笑みは、しかしどこか寂しげだった。

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