第8話

 そしてアルフがおとなしく部屋へ引っ込み、レイオから借りっぱなしの端末を適当に眺めながら五時間弱が過ぎた頃。


 不意に、嫌な警報音が壁越しに聞こえてきたので、アルフはいてもたってもいられなくなり、部屋を出て操縦室へ向かった。

 操縦室の扉が開いただけで、警報音の大音響がアルフの全身を打った。風圧のように侵入者を拒むそれをどうにか押し返しながら中に入ると、狂ったような音の乱舞の中、ザギとジリアンが慌ただしくコンソール上で作業をしていた。レイオもザギのシートの後ろに掴まって成り行きを心配そうに見つめている。

 まるで、怪物の断末魔の声のようだった。


 モニタにはいくつもの表示が重なり合っており、それらはどれも警告画面だ。軍による停船命令がどんどん上書きされており、グレーで統一されている操縦室がこのときだけは鮮やかな画面で華やいで見えるほどだった。

「毛布にくるまってろって言ったろッ」

 ザギがアルフの方を向かないまま、警報音に負けないくらいの声を張り上げたが、アルフを無理矢理追い返すようなことはしなかった。

「まったく、無粋で煩くてしつこいねえ」

 熱狂とも言っていいほどの表情をしたジリアンが接触感応のコンソールを乱暴に撫でる。


 絶え間なく鳴り続ける警告音と相まって、室内は切羽詰まった雰囲気に包まれていた。何もしていないのに息苦しくなり、アルフは思わず息を飲む。

 ただ通信で拒否と記されていただけの事項が、ついに現実となったのだ。ローレライ号が地球へ近付きすぎたので連邦軍が捕縛の体制に入ったのだろう。


「おい、減速まで考えると間に合わんぞ。ポイント到着まで8分、あいつらが飛ばしてくると7分で間に合っちまう。1分もあったらシールド展開されて詰む」

 ザギが怒鳴る。

「大丈夫、虎の子のボムを使った。本当にすっごく虎の子なんだよ。何重にも偽装して、何年かけて連邦軍の回路に忍ばせたか――」

「結論から言えッ」

「極度の負荷を掛けて出動準備してた艦の通信ラインを焼き切った。代わりが出るまで2分は遅延するはず」

「そろそろお前の懸賞金と罰金で国が作れるんじゃねェか」

 ザギとジリアンの二人は、まるで合奏のように息のあった作業をしている。互いの工程を確かめることなく次々と操作を進めていた。


「……連邦軍が、来たのか?」

 取り込み中の二人ではなく、アルフは手持ち無沙汰らしきレイオにこっそり訊いてみたのだが、なぜかジリアンが耳ざとくそれを聞きつけ、左手を挙げて返事をしてきた。

「よくぞ聞いてくれました! こちらをご覧あれ」

 ジリアンはそう言うと器用に左手だけで何かのグラフを表示させる。右手はというとそちらはそちらで別の作業をしているようだ。

 その鮮やかに色分けされた棒グラフでは、どれもほぼ同じ数値を示している中で、青い色のものだけが少し他よりも高い。


「この青色がキリバスの連邦軍基地の電力消費。連邦軍はアストラムエンジンの点火に電力を使うからね。発電所からの送電量を監視してたら丸見えってわけ。船乗りの常識だよ?」

「ラムゼイの王子様相手に船乗りの常識を説いてる場合じゃねェだろ」

 ついに口だけでなく拳が出た。警報音の中でも聞こえるほどのゴツンという制裁を左のこめかみに受けたジリアンは、しばらくの間ふらふらと頭を揺らしながらも抗弁する。

「余裕の無い男は嫌われるよ?」

「無理に余裕ぶってる男よりゃマシだ」

 そうこうしている間にも、目標ポイントまでの距離と時間のカウントダウンはどんどんと進んでいる。


「月までの遅延が1秒切った。繋ぐよ」

「頼む」

 どれだけふざけていても、やることはしっかりやっている――アルフは二人の動作を眺めながら、彼らが具体的に何をしているかは分からないまでもそう思った。きっとこれが船乗りのプロ意識なのだろうとも。

 ジリアンの操作により、月への通信画面が開かれる。

 双方向の音声会話が可能になったという表示の後、まず相手が第一声を発してきた。


『うるせえよ!』


 ……警告音もかくやという怒号だった。よほど予想外だったのか、ザギまでもがびくりと痙攣していた。レイオに至ってはまるで驚いた猫のように毛を逆立てている。

「ごめんごめん今この音の波長切るから」

 ジリアンが慌てて、通信音声から警告音をカットする措置をとる。

『で、何の用だ』

 怒号でなくとも不機嫌で怖いと思わせる、話し手の人相すら伺えるような低い男の声だった。


「一昨日から連絡してあるじゃねえか。着陸させろっての」

 ザギが身を乗り出し、スピーカに向かって言い聞かせるように声を張り上げる。

『またか。今度はどんなおいたをしたんだ』

「いわれのない罪で追われてるのさ」

『潔白だったら正直に相手に話してみろよ』

「ちょっと前科がありすぎてな。具体的に言うと隣のハッキング小僧の」

「僕一人の責任にしないで欲しいなァ」

 横から口を挟んだジリアンだったが、会話中の二人には完全に無視されている。

『ふん……レイオちゃんが手ずからお酌してくれるならタダにしてやらなくもないぞ』

 その言葉にレイオがきょとんとするが、ザギは後ろを確認することなく即答する。

「あんたの嫁さんも同席するなら構わんぜ」


『よーし交渉決裂だ。あとで請求書送るからな。0の数で驚くなよ』

「0だけなら好きなだけ書いてくれ」


 まるで掛け合いのようにして通信は終了した。ザギが溜息のように息を吐き出しながら背もたれに戻るのを見て、レイオは少し思い詰めた顔をして、ザギに話しかけた。

「あのさ……私がお酌したらタダになるのならみゅっ――」「ンなこと気にするな。ありゃただのオッサンのセクハラだ」

 レイオが何か言おうとしたところに、すかさずザギの手が伸び、彼女の唇を上下から挟んだ。アヒルのような口にさせられたレイオはそれ以上抵抗せず、小さく何度も頷きながら目線でザギに解放の要請をする。


「ポイントまで3分。腕が鳴るねぇ」

 ジリアンが準備運動のように手をわきわきさせながら言った。すると唇を解放されたレイオが何かに気付いたように口を開いた。

「あれ……そういえば、月なの?」

「言ってなかったっけ。月だよ~タッチダウンだよ~」

「そんなぁ!」

 ジリアンのさも当たり前という返事で、それまでザギのシートの後ろで大人しくしていたレイオが突然表情を激変させ、叫んだ。


 あまりに唐突だったため、その場に居る全員が手を止めて彼女の方を向いた。皆の視線が集まったレイオはこの世の終わりのような表情をしている。

「どうしたの? トルクに忘れ物でもしたかい?」

「キッチンの片付けが終わってない! 油を冷ましたままだったのっ」

 切羽詰まった声で言うやいなや、レイオは黒髪を翻して操縦室を飛び出していった。扉が閉まりきる前にザギがその背に呼びかける。

「もう2分でタッチダウンだぞ。間に合わなそうだったら諦めろ」

「昼にコロッケが食べたいなんてワガママ言ったのは誰だったかな」

「うるせえ」

 ジリアンの茶々などお構いなしに、ザギは操船に戻る。実際目標ポイントまでのカウントダウンは既に2分を切っており、連邦軍の船も迫っているため悠長にしている場合ではなかった。

「90秒後に減速」

 ジリアンも口調を変え、真面目にコンソールに向き直る。


「アルフ君、悪いけどレイオの手伝いをしてやってくれるかな。キッチンに居るから」

「わ、分かった」

 その場に居て画面を睨んでいても何かできるわけでも無いので、アルフはジリアンに言われた通りキッチンへ向かうことにした。

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