第6話

 それからおよそ二日の間、『ヴァーミリオンローレライ』という名のこの船は、地球に向かって航行を続けた。


 ただ拾い物としてこの船に乗せて貰っているアルフは、レイオの端末で10年分の情報を仕入れながら過ごした。心はともかく、身体の不調は時を経るごとに快復し、今ではほとんど不自由せずに動くことができる。

 グリニッジ時刻にあわせてレイオが用意した三食の食事が出されるときは、キッチンでまるで一家団欒のようにそろってそれを摂った。アルフもその席に加えてもらい、とりとめのない話をしたりした。


 皆アルフに対し気を遣っているのか、事故についての話は全くしなかった。

 ザギはキャベツ入りのコロッケが好きだとか、食事中でも黒いサングラスを外さないだとか、ジリアンが風呂嫌いで不潔だとか、レイオの料理はなかなかうまいだとか、下らなくて温かい話がアルフの空虚な心に少しずつ貯まっていった。

 クルー達の呑気さが薄れ始めたのは、地球まであと数時間という距離にまで迫ったときだった。


 ◆


「そろそろ地球だねぇ」

 アルフが目覚めてから五度目の食事――ザギの強い希望によりキャベツ入りのコロッケが出た昼食のときだった。食事を終えたジリアンが立ち上がりざまに、明日の天気でも告げるかのようにそう言ったのだ。

「あと5時間もすりゃ愛しの青い大気圏だ」

 ザギの返事に、ジリアンは肩を竦めた。

「別に愛しくないよね」

 するとレイオが首を傾げる。

「え、わたしは好きだよ、地球」

「むしろお前は地球生まれのくせして何でそんなに地球嫌いなんだよ」

 誰からも同意を得られなかったジリアンは軽く溜息をつく。

「どうせあんなとこ殆ど行かないからいいけどさ。入港許可が出てるか確認してくるね」

 そして薄い背を丸めてキッチンを去っていった。ザギも一服するとかでいそいそと自室に戻り、キッチンにはアルフとレイオだけが残される。


 キッチンはダイニングも兼ねた小さな部屋だった。その中に四人がけのテーブルとシンク、収納棚、貯蔵庫、コンロが据えられており、いささか窮屈な空間となっていた。レイオはそんな中をすいすいと歩き、慣れた手つきで片付けをし始める。

 そして未だにアルフの皿に残っている料理に目を止め、レイオは心配そうに言った。

「嫌いな物、あった? それとも、食欲無い?」

「ああ、済まない、少し考え事をしてただけだ。すぐに食べるよ」


 見た目は同年代なものの、彼女が幻色人種であるという先入観のせいで、アルフはレイオに対し馴れ馴れしくすることができずにいた。幻色人種は老若男女どんな姿にでも化けられるというからだ。

 クルーの会話を聞く限り、どうやらレイオの実年齢もさほど見た目と相違は無いらしいが、それでもザギやジリアンのように一人の人間として彼女に接することはできなかった。

「無理はしないでいいからね」

「分かってる。……そういえば」

 アルフはあらかじめ用意していた質問を口にする。そうしないと、何気なく喋っているうちにいつか、腹の底に抱えている冷たい決意がこぼれてしまいそうだったからだ。


「ザギは、どうしていつもサングラスを?」

 するとレイオがくすりと笑った。目尻が下がり、人懐っこい表情が垣間見える。

「あれはね、ただの照れなの」

「……照れ?」

「そう。別にサングラスが必要な何かがあるわけじゃなくて、ただの照れ」

 話が長くなりそうだったので、アルフはジリアンから借りている服を汚さないように気をつけながら、残っていた食事を口に入れる。キャベツ入りのコロッケなど初めてだったが、冷めてもなお、ザギが熱烈に好んでいるというのも頷ける味だった。

 レイオは眼差しに憧れのような色を混ぜ、宙を見上げた。


「ザギの目は、凄く綺麗だよ。晴れた日の高い空の色。……でも、ザギは目のことを褒められたり見られたりするのが嫌だから、ああやっていつも隠してる」

「へぇ……」

「でも女の人を口説くときとかは外してるらしいよ。近くから青い目で見つめるとイチコロなんだってさ」

「……?」

「うん?」

 それまでふんふんと頷きながらコロッケを咀嚼していたアルフが突然手を止めて首を傾げたため、レイオまでつられてきょとんとする。

 アルフは口の中の物を飲み込んでから、弁解した。

「いや……女の人を口説くって言ってたから」

「……ああ」

 アルフの言葉が意図するところを理解した瞬間、ふっとレイオの人懐っこい表情が消え、そして先日――アルフが彼女の手を取るのを躊躇ったときにも見せた、少し悲しそうな笑みが代わりに現れる。


「そういうのじゃ、無いから」

 二度目にしてようやく、アルフは彼女の表情が意味している感情をはっきりと理解できた。それは、諦観だった。


「私はミラージュだけど、誰かの愛人とかじゃなくて、ただの船員としてこの船に乗ってるんだよ。お料理と船外活動が私の仕事」


「……」

 アルフはレイオの言葉に息を呑む。

 そして、幻色人種という存在は全て愛玩の対象として権力者などに囲われているという認識でしかなかったことを、アルフは今になって密かに恥じる。レイオが美しい少女の姿をしているせいもあったが、たとえそれまで彼女が船外活動をしていると言ったり他のクルーに食事を出したりしていても、それが彼女の役目であるとまで考えが至らず、そしておそらくはザギが彼女を『飼っている』のだろうとまで思っていたのだ。


 彼女が幻色人種であることを知っている人間はどれくらいいるのだろうか。きっとそのほとんどが、はじめはアルフと同じような反応をしたのだろう。幻色人種であるという先入観からくる偏見を何度も何度も同じように否定する――レイオの表情にはその疲れのようなものが滲み出ていた。

「……悪かった」

「ううん、仕方ないよ」


 嫌悪や怒りのような感情はけして見せなかったものの、それっきりレイオは黙ってしまった。

 シンクでカトラリーが重なりぶつかるかちゃかちゃという音だけがキッチンに響く。それ以上かける言葉も思いつかず、アルフは急いで残りの料理を平らげ、キッチンを後にした。

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