第4話
アルフは思わず天を仰ぐ。天井の白い光が目を通して体中に刺さる気がした。
現実を受け入れられずに大声で喚く気力は、もはや無かった。
生きていることがこんなに嬉しくないなんて思いもしなかった。父も死んだ。母も死んだ。あの場に居た皆が死んだ。自分だけ生き残った。そして、10年が過ぎていた。
もう、手始めにどこから嘆けばいいのかも分からなかった。
「俺は……」
「ヴィーナスムーンがどうなったか、見るか?」
現実味が薄れていく。サングラスの男の声が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
「……頼む」
アルフはどうにか声を振り絞る。
男はコンソールに手を伸ばした。そしていくつかの操作の末、恐らくは船の外部モニタの映像を投影する。
「――――」
映し出されたそれを見た瞬間、身体の中の物がすべて、がらんがらんと音を立てて奈落に落ちていった気がした。
それは、金星だった。象牙色の美しい肌をした、女神の名を冠した太陽系第二惑星だった。
だが、アルフの記憶に無いものが、金星の周囲を靄のようにぼんやりと覆っていた。
アルフの記憶の中の金星は、美しい肌を靄で隠すことなくそのまま観測者に示していた。そして、その暁の女神に付き従うかのように一つのステーション型人工天体があったはずなのだ。
だから、その靄が何であるか、アルフは言われずとも分かってしまった。そして聞かされたことが全て真実であったと悟る。
「通称『女神の首飾り』ヴィーナストルク。全て、ヴィーナスムーンの破片だ」
サングラスの男がその言葉を発したときには、今までどうにか保っていた気力が尽き、アルフは床にくずおれていた。
◆
古来よりのたゆまぬ研鑽の末、人間はついに星の環境を変えてゆく術を手に入れた。そして、長く親しんできた地球の大地を蹴り、宇宙へその足を伸ばし始めた。まず衛星である月へ、次いで兄弟星の一つ、火星へ。
火星への植民を無事に成功させた後、環境変化の容易な星を探すことになった。候補になったのはケレス、イオ、カリストなど。いずれも距離と時間の問題以外は比較的簡単にテラフォーミングをすることができた。
もう一つの兄弟星――女神の名を冠された金星には、長らく目を向ける者は居なかった。大きさこそ地球と近似であるものの、気圧、気流、大気など、既存の環境が絶望的に惑星改造に向いていなかったのだ。
だが、あるとき一つの総合財閥が先導し、衛星を持たぬ金星に、テラフォーミングの橋頭堡として人類が一つの衛星を作るという計画が始まった。
他の惑星改造計画と異なり、公的な組織ではなく一つの企業がこれを執り行ったのには理由がある。環境の問題から惑星改造の失敗の可能性が少なからずあったため、公的組織が責任をもってやるほどの前向きさを示さなかったのだ。
そして、その予想は的中し、計画は失敗に終わった。
惑星改造ではなく、そのさらに前――衛星の建造段階で。
完成を目前にしたある日、巨大人工天体ヴィーナスムーンは爆発事故を起こし、粉々に砕け散った。
ヴィーナスムーンは周囲の宙域に膨大な数の破片を撒き散らし、崩れ去った。
四方八方へ散っていった破片は時間をかけて広がり、互いに衝突を繰り返し、やがて金星の上空を覆っていった。それらは女神が身に着けた装身具になぞらえ、いつしかヴィーナストルクと呼ばれるようになった。
人類の宇宙開発における、忘れ去る、消し去ることの出来ない深い傷跡だった。
◆
「僕らが君を見つけたのは偶然だったんだ。……まあ内容はともかく、ヴィーナストルクに潜る用事があってね。そこで見つけた残骸の中に、君が居た。シュトロテックの救命ポッドによる冷凍睡眠を施されて。さすがに10年モノを解かしたのは初めてだったけど、うまくいってくれてよかったよ。耐用年数はとっくに過ぎてるしね。最初はミイラにでもなってるかと思った」
立つ力すら無くなってしまったアルフを片方のシートに座らせ、ジリアンと名乗った眼鏡の男が過去の報道なども示しながら詳しい説明を始めた。他の二人――サングラスの男と幻色人種の少女はいつの間にか操縦室から居なくなっていた。
ジリアンの説明によると、アルフがあの日滞在していた人工天体ヴィーナスムーンは、特定の日付において微少な確率で起こるとされていたシステムの不具合による一瞬のシステムダウンにより、タイミング悪くドックへ入港しようとしていた資材船が誘導不備となって外壁へ衝突してしまい、そこから爆発・崩壊し、今の姿のように粉々になってしまったそうだ。
システムとてその「数百万分の一の微少な確率」を見越して二重三重の対策がなされていたのだろうが、工期の関係で大質量の資材船が入港し、しかもその資材船のシステムもダウンしていたことが重なってしまい、結果として崩壊に繋がってしまったと。
金星の周囲を覆ってしまうほどに拡散してしまった破片については、ラムゼイが全責任を負って百年単位での計画で回収もしくは破棄を予定しているらしいが、10年経った現在でも、進捗は芳しくない。上部からの回収よりも金星の大気圏へ落下して空力加熱で燃え尽きる残骸の方が多いくらいだとか。
「シュトロテック……」
ジリアンによる一通りのメディカルチェックを終えたアルフは、いったん部屋へ戻って休むことを薦められたものの、今は休むよりも事件についての情報が欲しかったためにそれを断っていた。
一度思い切りショートしたせいか、気分はそれほど悪くなかった。感覚や体調の不良も、おそらくは冷凍睡眠からの復帰によるものなので、時が経てばやがて解消されるとのことだった。
あとは心が今の状況に追いつくのを待つだけだった。むろん、それがもっとも難しいことではあったが。
今アルフが落ち着いていられるのは、未だにここが10年後の世界で、両親は既に居ないということの確固とした実感が無いからというだけであった。
「そう。ネジどころか水分子の一つに至るまでラムゼイ製だったはずのヴィーナスムーンに、他系列のシュトロ社のポッド。救難信号も弱かったし、最初は君がどこかの星間マフィア相手に『おいた』をして宇宙に捨てられた子かと思ったよ。まさか本当に事故の被害者だったとはね」
「……多分、両親が用意していたんだと思う」
「それが幸いしたんだね。ラムゼイのシステムダウンに巻き込まれずに済んだわけだから」
「俺の入っていた物の他にはその……救命ポッドは無かったのか?」
アルフは一縷の望みをかけて問うが、ジリアンは首を縦には振らなかった。
「僕が実際に見たわけではないけどね。詳しくはレイオに……そう、君がミラージュって呼んだ子に聞いてくれるかな。彼女がトルクに潜って君を見つけたから。君の寝ていたポッドなら、後ろの格納庫に置いてあるよ」
「……そうか」
アルフの脳裏に意識を失う直前のことが蘇る。
脱出ができないと知らされ、アルフと両親は火災時などのために作ってあるシェルターまで逃げ延び、そこにあった救命ポッドに入ったのだ。当たり前のように一番奥に自分を押し込めた両親の愛にもちろん感謝したいところだが、生の実感すらまだ湧かない。
「それと、悪いけど君の身に着けていた物から身元の確認をさせてもらったよ。ラムゼイの王子様」
「ああ」
ジリアンが懐から取り出し示したカードを見て、アルフは特に驚きもせず、ただ小さく頷いた。そこにはアルフの顔写真とともに氏名が記されていた。
アルフレッド・J・ラムゼイ。それがアルフの本名だった。
そして『ラムゼイプラネット』とすら呼ばれたヴィーナスムーンの建設において全てを取り仕切っていたラムゼイ財閥の、さらにその頂点に君臨する総裁の直系の縁者でもあった。確かに王子様といっても過言ではない身分ではある。
「とりあえず、ラムゼイに連絡を取るかい?」
「そう……だな」
連絡を取ったとして、果たして10年越しの自分の生存をラムゼイは喜んでくれるのだろうか。ふとそんなことを思ってしまい、語尾が鈍る。だが、アルフにとってはラムゼイが唯一の拠り所であることも確かだった。たとえ家族が居なくとも戻らなければならない場所のはずだった。
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