第3話
幻色人種ミラージュ。それは、「今はもう居ない」という意味で、伝説に等しい存在だった。
人類が宇宙へ進出するよりもずっと前に、滅びたとされているのだ。
『誰にでもなれるが、誰でもない』と表現されるように、彼らは自らの姿を変化させることができたのだという。
ただし、変幻自在というわけでは無い。彼らは、相手の望む姿にのみ変化するそうだ。それは多くの場合、愛する者や、美しい者だった。
たとえば、王の後宮で。たとえば、長い航海の船で。
穏やかで心優しい気性の彼らは、他者にいいように利用され、そして死んでいった。
人間は賢い。持ちうるものは最大限に利用する――その賢さが、幻色人種という種族の血を絶えさせた。
しかし、今でも幻色人種がどこかで生きているという噂も、ひそやかに囁かれてはいた。「とあるものが存在しないこと」の証明は難しい。何せ、姿は人間と変わらないのだから、もし街で幻色人種とすれ違っても、それを判別する術が無いからだ。
絶滅危惧種の動物と同じように、連邦政府が『聖域』と呼ばれる場所に生き残っている幻色人種達を一所に集めて庇護しているのだという噂すらあった。
だが、それら全ては与太話の域を出なかった。
少なくとも、人間が普通に暮らし普通に一生を終える中では、幻色人種とはっきり分かる存在に遭遇することは無いからだ。
◆
目の前の少女は幻色人種であり、寝ているアルフの側に居たときはアルフの望むひとの姿をしていたのだが、今はこの黒ずくめの男の望む姿に変化している――そう考えると、ここでの不思議な出来事にも納得が行きそうだった。
その幻色人種とおぼしき少女の前でアルフが呆然と立ち尽くしていると、不意に視界が暗くなり、額に硬い物が押し当てられた。
「――!?」
銃口だった。少女が寄り添っているサングラスの男が洒脱な構えでアルフに拳銃を突きつけてきたのだ。鈍色のそれが視界を支配し、アルフは思わず硬直する。
「大正解~。景品として口封じの鉛玉を差し上げましょう」
まるで本当に景品を贈呈するかのような浮かれた声だった。
「っ、そんな、やめて!」
ミラージュの少女も驚いているようで、その男を見上げて抗議する。
「おいおい船に穴が開いたら自分で埋めてくれよ。あと演算系が逝ってしまったら僕らもおうちに帰れなくなるんだからね」
横から、眼鏡の男の鷹揚な声。人命よりも船の装置の方が重要らしい。
銃を向けられたアルフを置いて、ひどく物騒で呑気な会話が飛び交っていた。
「問題無い、こいつぁ一度しか頭蓋を抜ける威力は無いからな。二度目以降は内側で跳ね返っておつむの中がグッチャグチャだ」
男は、黒いサングラスの奥から真っ直ぐアルフを見ていた。こちらからその瞳の様子を窺うことはできないが、少なくとも好意的な色をしていないことは確かだった。
「ったく、何でこんな奴のために『化けた』んだよ」
「だって、うなされてたから……ごめんなさい。けど、撃たないで。悪いのは、この人じゃなくて、私なんだから」
少女が懇願するようにそう言うと、黒髪の男は小さく嘆息する。サングラスをしたままでも、その冷たい表情が僅かに緩んだのが見てとれた。
「まあ、本気じゃ無いさ。ちったぁ脅しておかねーとな」
最後に一度、眉間に銃口をぐりぐりと押し付けた後、サングラスの男はふいと銃を引っ込めた。
「こいつのことを口外したら“グッチャグチャ”になるからな」
「わ、分かった」
アルフはかすれた声でそう返事するのが精一杯だった。
解放されたというのに、まだ動くことができなかった。物事だけが目まぐるしく動きすぎて、体も心もちっともついていけていないのだ。
死んだと思ったら生きていて、どうにか妹に遭えたと思ったらそれは妹ではなくて幻の種族で、そのことに気付いたら銃を向けられてまた生命の危機で――
「!!」
経緯を思い返した瞬間、アルフは気付いた。
そうだ。『死んだと思ったら生きていた』のだ。
ようやく一番重要なことを思い出したアルフは、彼が銃を持っていることなどお構いなしに、目の前の男に掴みかかった。
「ヴィーナスムーンは、どうなったんだ! 俺の両親も一緒に居たはずだ!」
「……」
見上げるアルフの必死の問いかけに、しかし男は返事をしなかった。ただ無言で、横の眼鏡の男に目配せをする。アルフもつられて視線を移すと、先ほどからへらへらと笑いっぱなしだった眼鏡の男が、不意にその表情を消した。
嫌な予感が、増していく。最悪の結果が、思い浮かぶ。アルフは男から手を放し、ゆっくりと眼鏡の男に向き直る。
「君の場合はまず、今日の日付から告げないといけない」
眼鏡の男は、感情を込めない声で言った。
「あれから……何日経ってるんだ?」
「残念だけど、『日』じゃないんだ。これから君に辛いことを言うよ。覚悟してくれるかな」
その時点でアルフの心に重い衝撃が襲い来る。
彼らの様子からして何となく予想はついたが、それでも覚悟などできるはずがない。眠りに落ちる直前の母親の柔らかい抱擁も、父親の温もりも、まだありありと覚えている。手に残っている。それが、まさか――
「今日は連邦暦136年の2月6日。君が居たヴィーナスムーンが爆発してから、もう10年が過ぎている」
その瞬間ぐらりと視界が揺れ、アルフはよろめいた。
眼鏡の男は一息吸ってから、静かに口を開いた。
「そして、当時作業員および視察の社員が200人近く居たはずのヴィーナスムーンで、生存者は元々緊急発着場に居て事故後直ちに脱出できた20名のみ」
体調から来る眩暈ではない。自分が自分であるための地盤が、崩れた気がしたのだ。思わずふらついたところを、幻色人種の少女に助けられる。よほど酷い顔をしているのだろう、少女は随分心配そうな表情でアルフを見ている。
まるで別の世界の出来事を聞いているようだった。自分にとってはつい先ほどの出来事だというのに、それが10年前だったなど。
眼鏡の男は最後に一言、死に至る病を告げる医師のように静かに締めくくった。
「つまり、君が21人目の生存者だ。10年ぶりのね」
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