第2話
――滅びが、目と鼻の先まで迫っていた。
日常が終わる。全てが崩壊してしまう。無数の人命もろとも。築き上げた『有』が『無』に還っていく。
非常用の人工音声によるアナウンスが耳障りだった。どこで事故発生、どこが通れない、どこが避難経路。繰り返し聞かされため、もはや人間の声ではなくただのBGMのようだった。
その人工音声に加え、肺に響く低音と、びりびりと落ち着き無く震え続ける地面。最新鋭の技術を用いて宇宙空間に建造したものだというのに、まるで砂上の楼閣のごとく端から崩れていくのが分かるようだった。
だが、命を失う直前だというのに、父親と母親が隣にいるせいか、不思議と落ち着いていた。
死ぬとしたら同時なのだから、少なくとも両親を残して悲しませる羽目にはならない。そう思うと、死への恐怖というものがいささか薄れてしまったようだ。
ノズルから噴き出した冷たく甘い空気を吸うと、途端に体中にひやりとした何かが行き渡り、強い眠気が訪れる。
そして、ただ一人残してきた妹のことだけを想いながら、暗闇に落ちるように意識を手放した――
◆
目覚めは唐突だった。
「――!!」
覚醒の瞬間、アルフは叫ぶ直前のように大きく息を呑み込んでいた。
途端に真っ白な世界が視界に入り、まぶしさで目の奥が痛む。それを堪え、眼球を巡らせて辺りを見まわすが、なかなか焦点が合わない。
どこかに寝かされているようだ。だが頭の天辺から足の先まで、まだ半分眠っているかのように、感覚がはっきりとしない。
「あ……」
不意に、馴染み深い声がアルフの耳に届いた。やがて眩しい視界の左側におぼろげに人影が浮かんでくる。
その人影は、自分を覗きこんでいるようだった。
「!」
アルフは衝動的に目をこらした。何度も強くまばたきをしているうちに次第に焦点が定まり、人影はやがて明瞭になっていく。
黄金色の波打つ髪。深い海のような青い瞳。
そして、かつては自分と瓜二つだった、少女の容貌。
全てが見えるようになったとき、アルフははっきりと思い出した。目の前に居る人物が、自分にとっていかに大事な存在だったかということを。
「アイリーン!」
自然に、身体が動いていた。
アルフは違和感などものともせず、跳ねるように起きあがり、少女――妹のアイリーンを引き寄せて抱き締めていた。
その華奢な身体を強く抱えているうち、次第に人心地がつき、そして眠る前の記憶が少しずつ脳裏に蘇ってきた。
父のこと。母のこと。たったいま抱き締めている妹――アイリーンのこと。
だが、幸運な再会は長く続かなかった。
感無量のアルフだったが、その腕の中のアイリーンはしかし、何故か彼の抱擁をきらってもがきはじめたのだ。
「ご……ごめんなさい……っ」
「!?」
突然の謝罪とともに、アルフは腕を振り解かれ、突き飛ばされた。
寝起きのせいか力が入らず、アルフはそのまま呆気なく後ろに倒されてしまう。
アイリーンはもう一度ごめんなさいと言いながら立ち上がり、身を翻してアルフの側から離れていった。
「アイリーン!?」
アルフはどうにか起き上がって妹の背に呼びかけるが、彼女はそのまま鋼のドアを開け、黄金色の髪を揺らしながらどこかに行ってしまった。
「おいっ……」
そこは、救助船の一室だろうか。寝台だけが据えられている小さな部屋だった。調度品どころか壁紙や絨毯すらも敷かれてはおらず、鈍色の壁材が剥きだしになっている。見えるのは、天井の照明と自分が寝ている寝台と、主を失った椅子、そして妹が消えていった消えた扉のみ。
アルフは寝台から足を出し、立ち上がった。むろん、彼女を追うためだ。
改めて見ると、服は着替えさせられており、足下には靴も無い。裸足のまま床に足をつけると、直に触れているはずだというのに、まるで厚い靴下でも履いているかのような曖昧な感触しか感じなかった。
そして壁に手をつきながら、どうにか歩く。見たところ変わった様子は無いというのに、自分の体重が酷く重く感じられる。
部屋を出ると、やはり壁材が剥きだしのままの狭い通路になっていた。一方の先を見ると、どこか光る場所に通じているようだ。眩しさに目を細めながら、アルフはゆっくりと歩き出した。きっとその先に、妹がいる。強い予感がアルフを追い立てた。
身体が軋み、目が霞む。だが、アルフは一歩一歩、確実にその光へと近付いていく。
そして――
「おや、自分で来られたみたいだね」
「どこがミイラだ。立派な生身じゃねえか」
光の中には、二人の男が居た。
まばゆい照明に照らされたそこは、操縦室のようだった。モニタとコンソールに囲まれた無骨で狭い室内に、二つのシートが据えられている。
男の一人は向かって右側のシートに座りながら横に身を乗り出してアルフの方を見ていた。くずれたシャツを纏い冴えない容貌をした眼鏡の男だった。見たところ20代のようだったが、洒落っ気と清潔感が皆無で、若々しさという点においては残念なことになっている。
そして、アルフがもう一人、左側に立っているサングラスをした男に目を向けると――
「!!」
シートの脇で自分に向かって立っているその長身の男の後ろに、もう一つの人影があることにアルフは気付いた。
きっとそれが先程アルフの側から逃げてしまった妹だ。アルフは残る力を振り絞ってサングラスの男の横へ回り込み、そしてその背後の人物の顔をのぞき込む。自分から隠れるようにサングラスの男を盾にしていた人物は、アルフがぐいと身を乗り出すと観念したのか動きを止めた。
だが、その瞬間。
「――!?」
驚愕で、思わず硬直してしまう。まるで自分だけ時が止まったかのように、アルフはしばらくの間動けなかった。
理由は簡単だった。
そこにはアルフの予想した、妹のアイリーンは居なかったからだ。
彼から隠れるようにして立っていたその少女は、整ってはいるものの、しかし妹とは似ても似つかない容貌をしていた。凝視されていることが恥ずかしいのか、少女は困り顔で俯いてしまう。そのはずみで、黒く真っ直ぐな髪がするりと肩から零れた。
髪の色も目の色も、妹のものとはかけ離れている。
もしや、この少女を妹と見間違えたのだろうか。アルフは身動きできないままで、目覚めてからの記憶を必死に反芻する。
――目が覚めると、妹が側に居た。抱き締めると驚かれたらしく、逃げられた。そして、追いかけてきた先には、この黒髪の少女が居た。
未だ靄の掛かった意識の中で、何かがゆっくりと組み立てられていった。
少女の服装。申し訳なさそうな表情。そして、何より――片方の手を、側に立っている男と繋いでいること。
やがて、カチリと音がして最後のピースがはまった。
先ほどアルフが目を覚ましたとき、彼女は自分の手を握ってくれていたのだ。
俺は――。父は――。母は――。妹は――。みんなは――。
目覚めて以来ずっと、色んな言葉が我先にと飛び出そうとして喉でつかえていた。だが今、一つの単語がするりと、まるで別の経路を辿ったかのようにアルフの腹から抜け出してきた。
「
呟いたその言葉を否定する者は、誰も居なかった。
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