解釈違い



「アハハハハハッ!! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」


 突然、コヨミが凄まじい勢いで笑い始めた。ガラスが砕け散る時の音響にも似た、甲高い金切り声。

 まるで部屋そのものが切り裂けんばかりの、歪な笑い声が病室に木霊する。


 何がそんなに面白いのかすら分からない。

 だがコヨミは笑っている。血走った両目を引ん剝いて、引き攣った顔に口角を限界まで吊り上げて、狂気に歪んだ顔で笑っている。


「ははっ、はぁ……はぁ……」


 やがて笑い疲れたのか、次第に笑い声が掠れて消えていく。荒い呼吸を何度も繰り返し、糸が切れた人形のようにがくり、と顔が落ちた。

 そして、そのまま動かなくなる。錆び果てて機能しなくなった機械のように、微動だにしなくなる。


「…………」


 大丈夫か、と恐る恐る声を掛けようとしたその時だった。



「…………おかしいでしょ」


 ぐりん、とコヨミの顔が動いた。


 作り物のような、生気の無い表情がこちらを向く。

 まるで最初から命を持たない、造り物のような面持ちで俺を見つめてくる。


「それ、おかしくない?」


 俺には、その言葉の意味が理解できなかった。一瞬呆気に取られてしまう。

 思わず口を開こうとして――。



「おかしいよねぇっ!?」



 張り裂けるような、つんざくような怒号が鼓膜を貫いた。


「違うでしょ、答えがっ! そこは嬉しそうに顔を赤くしながら受け入れるんじゃないのっ!? そして恥ずかしそうにしながらアタシを抱き締めて、それで、穏やかに接吻するところでしょ!?」

「………………は?」


 意味が分からない。


 一体、コヨミは何を言っているんだ?


「……はぁ、もういいや」

 

 啞然とする俺の前で、コヨミは溜め息を吐いた。

 その姿には、先程の危うげで幽鬼のような雰囲気は感じられない。むしろその逆だ。

 胸を張り、背筋を伸ばして堂々としている。凛然とした活気に満ち溢れていた。


 コヨミはただ立っているだけだ。

 純白の衣装に身を包み、両の足で冷たい床の上に佇んでいるだけ。何ら特別な所作や行動はしていない。

 なのに、その姿から目が離せない。

 視線が磔になっているかのように。


 目の前で起こっている事態に理解が追い付かず、俺はただ突っ立っていることしか出来ない。

 そんな俺をじっと見つめていたコヨミは、やがてすぅ、と目を細めた。



 コヨミの纏う空気が変わった。



 俺は半ば反射的に理解した。



「決めた」



 刀剣のように鋭利で、凍てつくような声色。



「お前は今から私の奴隷だ」



 ………………。


「…………は?」


 何言ってるんだコイツ。


 言葉を失った俺をよそに、コヨミは淡々と言葉を続ける。


「お前の周囲には邪魔が多過ぎる。あの異星人に故も知らない上位存在……もううんざりじゃないか。我慢ならん。あの塵芥共からお前を遠ざけよう。お前にとっても悪くない話だと思うが?」

「は、え、あ……」

「勿論言っておくが、お前に拒否権はない」


 重苦しい響きの声が病室に響く。

 いつの間にか、唾を飲み込むことすら出来ないほどに喉がカラカラに乾いていた。


「こ、コヨミ……? はは、どうしたんだよ、その口調……? な、なんか漫画のキャラとかの真似か?」


 尊大で、威厳に満ちた口調。圧倒的な自信に裏打ちされた悠然とした声色は、華奢で可憐なコヨミにはまるで似合っていない。

 なんだか笑いがこみ上げてくる。きっとそれは目の前の現実から逃れたい一心から無意識に生み出した、防衛機制の一種なのだろう。


 頼むから冗談であってくれ。

 何かの悪い夢であってほしい。


 心が叫んでいる。


 頼むから、お前だけは俺の傍を離れないでくれ、と。


「それに、上位存在ってなんだよ? ふ、ファンタジーじゃないんだからさ……」


 震える声に、耐え難い苦痛の色が滲んでいるのが分かった。だが、どうにもならなかった。

 それを見たコヨミは眉を潜め、静かな声で言い放った。


「上位存在というのは……こういうことが出来る者たちが冠する称号だ」


 コヨミは部屋の奥に目を向けると、パチンと指を鳴らした。次の瞬間、視線の先に置かれていたパイプ椅子がぼうっ、と炎に包まれた。

 何の前触れも無かった。ライターやマッチを持った誰かが近付いた訳でもなかった。


 自然発火。


 そんな四字熟語が、俺の脳裏を掠めた。


「それは、私が明確な破壊意思を抱いた存在だけを焼き尽くす炎だ。例えそれが鉄塊や岩石のような命を持たぬ物質であろうと」


 呆然とする俺に対し、淡々と語るコヨミ。


「今の状態だと、炎はそのパイプ椅子を燃やすだけだ。床や周囲の家具には煤の一つすら残さない。仮に手で触れても、熱も感じないし身体も燃えない。だからその炎に包まれても、痛みも苦しみも感じない」


 まるで物語を読み聞かせるような、あるいは詩吟を詠ずるような無機質で冷たい声色。


「この国の神話にも、私の炎に似た物が登場する。確か、コノハナサクヤヒメという名の美しい女神が炎に包まれた家屋の中で出産を果たす……という物語だったか。女神の名前やそれに至るまでの経緯はまったくの別物だったが。……恐らく遥か太古に、私の力に関する逸話が民間伝承か神話として伝来したのだろう。その時には最早私の名は失われていたはずだ。だが、その魂を持つ存在だけを焼き捨てずに燃える炎……間違いなく、私の炎だ」


 鮮烈な紅に染まった炎が空気を焼く様を、コヨミは目を細めて眺めている。

 空色の瞳は、揺らめく冷たい炎で満たされている。


「この炎は私を構成するエネルギーを凝縮し火炎の性質を与えたもの。だから普通の炎とは異なり、私が燃やそうと思わない物体には絶対に着火せず、したがって延焼もしない」



 だが。



「私がその制限を外した時は別だ」


 ゾクリ、と。

 冷たい感触が背筋を舐め上げた。


「一度制御を手放した炎は最早二度と止まらない。有機物だろうが無機物だろうが、人間だろうが機械だろうが、この世に存在する物体を一切合切灰燼に帰すまで燃え続ける。大量の水を掛けようが酸素を消そうが、絶対に炎を消すことは出来ない」


 コヨミは一度息を吸うと、ゆっくりと視線をこちらに向けた。

 真剣な眼差し。一点の曇りも無い瞳。


 直感する。コヨミは何も噓を言っていない。

 彼女の言葉は、全てが真実だ。


「既に私はこの炎を都内各地、合計600箇所に放っている。交通機関や公的機関、廃墟、街路樹、公園……無差別だ。目に付いた建造物や木々に片っ端から火を点けた。今は熱も帯びず何も焼かない見せかけの炎だが――」


 そこで言葉を区切ると、少しだけ口角を上げてみせた。

 その薄い微笑みはまるで俺の心を奥底まで見透かすようで。


「私の意思次第で、あらゆる物を焼き尽くす地獄の業火へと変貌する」


 静かな口調で紡がれた言葉に、顔から血の気が引いた。


「まず最初の一日で東京が消える。灰すら残さない。そのつもりで燃やす。そこから三日程度で炎は日本列島を覆い隠し、そこに存在する街や人間を平等に焼き払うだろう。やがて日本海や大西洋の海を伝って世界中に拡散する。大地を燃やし、空を煙で隠し、海すら灰燼と化す業火に人々は恐れを抱くはずだ。恐怖し、混乱し、やがて畏怖に至った人間どもの感情は、私に力を与える信仰心へと姿を変える。炎の勢いはより一層強まることだろう」


 コヨミの話を聞きながら、俺は自分の身体ががたがたと震え始めたことに気付いた。奥歯はカチカチと音を鳴らし、心臓は張り裂けんばかりに高鳴っている。

 だというのに、コヨミから視線を逸らせない。まるで時の流れが止まってしまったかのように、身体が動かない。


「ど、どうして……」


 辛うじて紡いだ言の葉は、笑ってしまいそうになるほど情けなく震えていた。


「どうして……こんなことをするんだ……?」

「……ここまで言って分からないのか? 長々と私の力について話してやった理由が?」


 俺の必死の問いに、コヨミは呆れたように溜め息を漏らす。そして言い放った。


「これは取引だ」

「とり……ひ、き」

「お前が私の所有物になると答えれば、今すぐにでも炎を消してやろう。既に信仰心も集まっている。人口や情報拡散の速度と希望を考えるに、今の私は全盛期以上の力を得ているだろう。これならあの異星人や上位存在程度、簡単に灰にできる。だがもしお前が私を拒絶すれば……地球上に存在する、星の数ほどの生命が焼け死ぬことになる」

「……」

「早く答えろ。愚図は嫌いだ」

「――――」


 コヨミが放つ鋭い威圧感に暫時口を閉ざしていたが、やがて意を決して唇を開いた。




「お前、誰だ……?」




「は?」


 コヨミは目を丸くし、顔に困惑の色を滲ませて首を傾げた。


「……あの子を、コヨミをどこにやった……?」

「何を戯言を。コヨミはわた……」

「ッ、ふざけんなッ! お前はコヨミじゃねぇ! 俺の知るコヨミは、コヨミはっ、お前みてぇな血も涙も無い化け物じゃねえんだよ!!」


 気付けば、そんな怒声が口を衝いて飛び出していた。

 顔が自然と引き攣っている。膝がガクガクと震えている。正直、立っているだけで限界だ。


 だがそれでも、叫ばずにはいられなかった。

 俺が愛した、大切な親友であるあの子を――コヨミを救い出さなければ。

 

 そんな炎のように熱く、激烈な決意に背中を押されて俺はコヨミの姿をした化け物・・・・・・・・・・・に詰め寄って――。




「黙れ。この人間風情が」




 ばっさりと、あらゆる疑念や不満を切り捨てる言葉。

 淡々と、整然と、真っ向から拒絶するような冷徹な響き。



「私の慈悲で生かされている下等生物如きが、私に口答えするんじゃない」



 どこまでも冷たく、厳しい視線が俺の胸を貫く。


 その瞬間、俺は頭の片隅でぼんやりと考えた。



 あぁ――。



 俺の知るコヨミは、どこか遠くに消えてしまったのだと。


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