わっれっちゃう。
「こ、よみ……?」
「久し振り、颯太」
呆然とする俺に、コヨミは薄く微笑みながら気さくに手を振ってくる。
いつもと同じ顔。いつもと同じ態度。いつもと同じ雰囲気。
だが何かが違う。何かがおかしい。
異様な違和感に当てられて頭が働かない。二の句を紡げない。
何も出来ないまま、ただ呆然と突っ立っていると。
「ごめんね、最近迷惑掛けてばっかりで」
ひた、ひた、とコヨミが歩み寄ってくる。
一歩一歩、まるで冷たいリノリウムの床に足跡を刻み込むような、緩やかで確かな歩調。
その姿から、眼が離せない。
「でも、もう大丈夫だよ。私はもう成ったから」
「……え?」
奇妙な言葉で、はっと我に返る。悪い夢から醒めたような気分だった。
穏やかな微笑を浮かべながら近付いてくるコヨミの顔。
それを視認した瞬間、脳内に様々な疑問が溢れ出した。
今までどこで何をしていたんだ。どうして俺の居場所が分かったのか。あの後ちゃんと家に帰れたか。
でもやはり、一番訊きたいことは。
「……な、なぁ。その格好は、一体なんなんだ?」
「ああ、これ? これは昔着てた服だよ。つい懐かしくなっちゃって、引っ張り出してきたんだ」
「そ、そっか……えっと、あっ、似合ってるよ!」
「そう? アハハッ、嬉しいなぁ」
「そういう服ってどこに売ってあるんだ? らし○ばんとか、ドンキとか、やっぱりそういう店じゃないとそんな服は――」
「ねぇ、颯太」
ゾッとするほど冷たく、重い声色だった。思わず言葉を失ってしまう。
そんな態度に、コヨミは更に笑みを深める。ぎぎぎ、と軋む音さえ聞こえてきそうな歪な笑みだ。
「颯太ってさ、アタシのこと好き?」
一瞬、呼吸の仕方すら忘れた。それくらいの衝撃だった。
固まっている俺の顔を覗き込みながら、コヨミはうっとりと蕩けるような表情を浮かべて。
「アタシはね、颯太のことが好き。大好き。それこそ、世界で一番ね」
「…………」
「だからね、アタシはずっと颯太と一緒にいたいんだ。誰もいない場所でずっとずっと、二人きりで」
「……え、あ」
問い掛ける言葉で、ようやく俺はまともな思考を取り戻した。
告白されている。そう気付いたのは数秒経ってからだった。
「ね、どうかな?」
その声色は甘美で、脳の隙間にじわじわと沁み入るかのようだった。
……ぐらり。
視界が歪む。一瞬眩暈がして、気が遠くなりかけた。
いつかこういう瞬間が来るんじゃないかという予感はあった。
だが、まさか今日という日に、この瞬間にその時が来るとは夢にも思っていなかった。
予想外の事態に、俺の思考は完全に静止してしまう。
「…………っ」
だが、それも一瞬のことだった。
慌てて冷静な思考を取り戻した。そんな芸当が出来たのは――最初からその事態が訪れた時のための返事を用意していたからだ。
果たしてその言葉を、この今か今かと待ち望んでいる彼女に伝えられるだろうか。
いや、俺は勇気を振り搾ってでも伝えなければならないのだ。何を犠牲にしても、絶対に。どんな結果になろうとも。
俺は一度息を大きく吸い込むと、目の前の少女に向けて口を開いた。
「気持ちは嬉しいよ。俺だってコヨミのことは好きだ。本当に。凄く大事に思ってるんだ……」
「じゃあ――」
「でもっ! そ、それは多分、友達としてだ」
言い放った瞬間、コヨミの顔がさあっと青褪めたのが分かった。
その顔に、態度に胸が締め付けられ、涙が出そうになった。
酷な事だとは思う。年端も行かない少女に味わせる絶望ではないということも理解している。
それでも俺はきちんと、真っ向からコヨミに伝えなければならない。決断を変える気は毛頭無い。
どんなに彼女を傷付ける結末になっても、俺は自分の心に噓をつくことは出来ないのだ。
「本当に気持ちは嬉しいんだ。告白されるのなんて生まれて初めてだから。でも……ごめん。俺は……コヨミとは……付き合えない」
……奇妙な沈黙が流れた。
一瞬だったかもしれない。永遠だったかも分からない。
コヨミは口を閉ざしたまま。俺も彼女に掛ける言葉が見つからず、足元に視線を落としたまま押し黙っていた。
これで、本当に良かったのか。不純な動機だろうと、一応は彼女の想いを受け入れるべきではなかったのか。
そんな想いが去来する中、俺たちの間に重苦しい沈黙が降り積もる。
やがて。
「……なんで?」
ぽつり、と。
コヨミが口を開いた。
「なんで、私じゃ駄目なの……?」
心底解らない、という声だった。
「あ、アタシには颯太しかいないのに……颯太は、アタシ以外の女がいいんだ……あ、アタシには、アタシには颯太しかいない、い、いない、のに……っ」
今にも消え入りそうなくらい頼りない眼差し。震える声色。いつもの溌剌さなど欠片も感じない。
「ひ、ひどいっ、ひどいよぉ……そうたぁ……」
泣きそうになりながら俺の名前を呟くコヨミの姿を見ると胸が張り裂けそうになる。胸の奥がズキズキと痛んだ。
「……コヨミ……」
コヨミを振った立場で何を今更、とは思うが、彼女を宥めようと手を伸ばした。
その時だった。
「……っ、あだまが、いだいぃ……」
突然、コヨミが頭を抱えて苦しみ始めた。
悶えるような呻き声を漏らしながら壁にもたれかかり、そのまま膝から崩れ落ちる。
「コヨミ、大丈夫か!?」
「うぅ……ぐぅぁ……!」
「っ、救急車、じゃねえ! な、ナースコール、ナースコール……!!」
何かただならぬことが起きている。
慌ててベッドまで走り、頭床台にあったナースコールの子機に手を伸ばした。
身体の不調なら素人同然の俺よりも、熟練のプロの処置を任せるべきだ。そんな発想が咄嗟に身体を突き動かしたのだ。
「たすげてぇ……そうたぁ……のうが、こわれるぅ……!!」
「ああ、分かってる! ちょっと待ってろ、今から看護師さん達を――」
「き、
「消える? あー、大丈夫だ! 俺がちゃんと傍にいてやるからさ! えっと、確かナースコールはここのボタンを押せばよかったよな……!?」
妙なことを口走るコヨミの声を背中で聞きながら、必死に記憶を手繰り寄せてナースコールの使い方を思い出そうとして――。
「っ、あぅ、あぁ……わたしが、消えっ……」
ふと。
「…………ぁ」
コヨミの中で、何かが変わったのに気付いた。
…………最初はサイレンの音だと思った。
救急車か何かが病院に到着したのだろうと思った。
違った。
ガス爆発が起こったのかと思った。
だがそれも違った。
それは人間の喉から出ている音だった。
「――ァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
絶叫。断末魔。どころではない。
咆哮。
あらゆる思考を、意識を、理性を。
その全てを焼き尽くし、叩き潰すような音響が狭い病室を震撼させる。
びりびりと空気が震えていた。
そして――ぱたりと止む。
薄明の部屋に、静寂が落ちる。耳鳴りすら聞こえてくるほどの無音が部屋に満ちる。
……ゆっくりと、コヨミが立ち上がってくる。
床に膝を着いた姿勢から、何度か不安定に左右に揺れながら、静かに、まるで地平線の向こうから昇ってくる太陽のように。
桃色の髪の隙間から覗く眼が、俺の方を向いた。
温もりも光も無い、深淵のようにドス黒く澱んだ瞳と目が合った。
「アハハッ」
底無しの感情に、触れてしまった。
「アハハハハハッ!! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
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