精神寄生体の決意



「一体なぜだ?」


 田淵怜の自室で、私は思案していた。

 カーテンを締め切った部屋は薄暗く、ベッド脇の間接照明だけが室内を淡く照らしている。


 私は机に向き合い、広げたノートにシャーペンを走らせていた。


 逃げ帰るようにして部屋に戻ってきた私は、先程の『事象』についてずっと頭を悩ませていた。

 頭に浮かんだ仮説を書き留め、考察し、否定しては消していく。

 そんな作業に、かれこれ数時間は没頭していた。


 机の上の置き時計は午前4時くらいを指している。


「ふむ……」


 分体を寄生した人間が命令を履行できず、誤作動を起こし脳が焼き切れる。


 人間への寄生は何度か行ってきたが、あれは初めて遭遇する現象だった。

 宿主に対して無理難題を課しても、症状は精々頭痛か、一定時間思考が混濁するくらい。

 それが原因で、脳機能が破壊されることはまずない。そう考えていた。


 だが、最悪の事態が起こってしまった。


「……【起きろ】」


 命令を飛ばしても、反応はない。田代吾一との接続は切れたままだ。

 あれから視覚や聴覚、ともにフィードバックはない。


 多分、あの男は死んだのだろう。

 もう二度と起き上がらない肉塊となってしまった。


 死。


 それは終わり。生命活動が停止することを意味する。

 この世界に存在する以上、誰もこの運命からは逃れられない。命を有する者であれば、必ず辿り着く結末。


 だが。

 私はどうだろう。

 

 私に死は訪れるのだろうか?


 田淵怜の肉体が何かしらの要因によって生命活動を停止する。

 事故や病気か、はたまた殺害か。原因はこの際どうでもいい。

 例えこの肉体が木っ端微塵に吹き飛んでも、多分私には何の影響もないだろう。


 もしこの肉体が花瓶だとするなら、私は一輪挿しの花だ。

 花瓶を床に落としてバラバラに砕け散っても、花には何の損害もない。別の花瓶に移し替えればいい。


 今までずっとそうしてきた。

 自らの『生』を自覚し、愛を知りたいと願ったその瞬間から。


「……っ」


 ぴしり、とシャーペンの芯がへし折れた。


 そうだ。今はそんなことを考えている場合ではない。

 最優先事項は、あの事象の原因究明だ。それだけを考えていればいい。


「……宿主本人の意志から極端に乖離した命令を下すと、過度に脳に負荷が掛かる。その状態で無理矢理命令を押し通そうとすると、脳が焼き切れる……ということか」


 ペンの尻軸を唇に押し当てて唸る。


『実は、浜九里くんが了承してくれたら、この店を彼に譲り渡そうと考えているんです。きっと彼はいいバーテンダーになってくれるでしょうから』

『そろそろ彼にもカクテルを……いや、やっぱりその前にきちんとした技量を付けさせなきゃな。未熟な腕で作ったカクテルを客に出して、もし文句でも言われたら……途中で自信を失ってしまうに違いない。……それだけは駄目だ』

『お前の息子はきちんと働いてくれてるよ。……いい息子を持ったじゃないか、え?』

『……僕にもあの子みたいな息子がいたらなって思うよ』


 分体が消滅する前に読み取っていた記憶を辿るに、あの男は家族がいなかった。


 若い頃に結婚はしたが、子どもができる前に交通事故で死別してしまったらしい。その後は再婚もせず、現在まで至ったようだ。兄弟もおらず、両親も十数年前に他界している。文字通り天涯孤独の身だ。

 そんな寂しい状況だ。本人が自覚していたかどうかは知らないが、浜九里颯太を実の息子のように想っていたに違いない。半ば親心のような情念を抱いていたのだろう。


「それもまた愛、か」


 長年追い求めてきた愛という概念。

 それがまさか、このような形で私の前で姿を現し、邪魔してくるとは。

 やはり、愛は面白い。


「……とはいえ、まだ決め付けるには判断材料が少ないな。今後のためにも、もっと多くのサンプルが欲しいな……」


 どうしたものかと悩んでいると、不意にチャイムが鳴った。


「……ん?」


 どうやら来客が来たのだろう。私は立ち上がると、壁際に取り付けられたモニターを覗き込んだ。

 このマンションはオートロック形式。このモニターは一階のロビーへと繋がっている。


 そこに映っていたのは、三人の屈強な男女だった。男二人に女一人という陣形で、皆精悍な顔つきをしている。

 一目見て分かった。ただの人間じゃない。軍人のように、武闘や闘争を生業とする人間だ。


『こんばんは。夜分遅くに失礼いたします。私、警視庁捜査一課の進藤です。田淵怜さんのお宅で間違いないでしょうか?』


 女がそう言って、胸ポケットから取り出した警察手帳をカメラの前に掲げてきた。

 

(警察? ……まさか、田代吾一の件で疑われているのか)


 路上で彼に分体を植え付けた時の様子が、監視カメラか何かで目撃されていたのだろう。

 その映像から私の素性を特定し、自宅までこぎ着けたというのか。

 日本の警察は有能だとは聞いていたが、まさかここまでとは。


 恐らく、この女の後ろに控えている二人も警察の人間だろう。二人とも背が高く、がっしりとした体格をしているが、片方の男は坊主で警官とは思えない威圧感を放っている。


『あの、聞こえていますか?』

「……はい」

『ああ、よかった。実はお尋ねしたいことがあるんです。今、お時間の方はよろしいでしょうか?』

「はい」

『ありがとうございます。よろしければ、直接お顔を合わせて話したいのですが……』

「ええ、構いませんよ」


 そう言うと、私は開錠ボタンを押してオートロック扉を開けた。


 すると次の瞬間、三人の警官は一斉にマンション内へとなだれ込んできた。大股で、床を蹴り飛ばすような荒い歩調だ。


「……なんとしても捕まえてやる、みたいな歩き方だな」


 通話を切り、ぽつりと呟く。

 まさか私が田代吾一を殺めてしまった張本人だとは気付かれていないだろう。

 今の人類の技術力では、私の正体も、彼の脳に『何か』が入り込んだ証拠も掴めないからだ。


 どんなに私が怪しくても、警察は私を拘束できない。

 今まさにこの部屋を目指し、意気揚々と迫り来ている彼らの努力は報われないだろう。


 この世界には、罪を犯した上位存在を罰する法律など存在しないのだから。


「……あ、そうだ」


 ふとその時、私の頭にとある妙案が降り注いだ。迷わずそれを決断した。この状況を活かすには、それしか道はなかった。


 ピンポーン。


 耳障りな音のインターホンが1DKに鳴り響く。

 玄関まで行き、ドアスコープから来訪者の姿を確認する。先ほど見た三人だ。


 私はパーカーのフードを深く被ると、扉を開けた。


「こんばんは。田淵怜さんですね? お休みのところ失礼しま――ぅぉっぷ」


 その瞬間、私は分体を飛ばして女の体内に滑り込ませ、脳に植え付けた。


 そのまま女の後ろに立っている男たちにも同じ処置を施し――脳を奪う。


 これで終わり。


 この三人は、最早私の奴隷だ。


「……あ、あれ? 今、何かが耳に入ったような……?」

「ここまではいつもと同じか……」

「あの、一体何を言ってるんですか?」

「貴方がたが気にすることではないですよ。だって、貴方がたはとっくに私の手中に落ちてるんですから」

「は? ……失礼ですが、尿検査をしてもよろしいですか?」

「尿検査? まさか、私がクスリをやってるとでも?」

「念のためです。最近は都内でも薬物所持による検挙数が増加してい――」

「それより、【三人とも私に警察手帳を渡すべき】じゃないですか?」


 早速、試しに指令を飛ばしてみる。


「あ、あぁ、確かにそうですね。こちらをどうぞ」


 女は少し当惑した様子だったが、結局私に警察手帳を手渡してきた。

 後ろの二人も、彼女に催促されて同じように警察手帳を差し出してくる。


「この程度の指令ならきちんと聞いてくれるのか。じゃあ次は、【今、捜査の中で判明している情報を洗いざらい話さないと】」

「え、あ、あ、でも、具体的な捜査内容はまだ機密情報で……」

「そう。じゃあいいです。そっちの坊主の人に聞くので。さぁ、【全部話さないと】」


 今度は女の後ろに立っていた、坊主の男に指令を飛ばす。シンプルなスーツを着ているが、多分この男も警察の人間だろう。


「あっ、あー、実は昨日の午後6時ごろ、ゴールデンスランバーという店で男性の遺体が発見されたんだ。遺体は冷蔵庫の中に押し込められていて……」


 それから数分かけてじっくりと、事件に関する説明を受けた。


 第一発見者はアルバイトの青年、つまり浜九里颯太であること。

 死因は現在調査中だが、目立った外傷がなかったことから毒殺されたという見方が強いこと。

 犯人は不明だということ。

 事件に関して、何らかの事情を知っているとして私が捜索されていること。


 粗方の説明を聞き終えた後、私は思わず額に手を当てた。


「……やはり、田代吾一は死んだのか」


 目の前が真っ暗になった気分だった。

 覚悟していたとはいえ、いざ眼前に突き付けられるとどうしようもない現実。


 私が、浜九里颯太の知人を殺した。


 この事実は、私と彼との関係性の中で大きな地雷となるだろう。

 踏み抜いた瞬間、今まで大切にしてきた、ありとあらゆるものを木っ端微塵に粉砕し、修復不可能なほどぐちゃぐちゃにしてしまう未曾有の爆弾。

 今更になって、自分のしでかしたことへの後悔が湧き上がってくる。

 あの時、無理矢理指令に従わさせなければ、田代吾一が死ぬことはなかったかもしれないのに。


 ……だが、今は落ち込む時ではない。


 なぜ田代吾一は死んだのか。

 

 まずはそれを探究するべきだ。


「……ねえ、【田淵怜を見逃さないとね】?」

「み、見逃、す? あ、でも貴女は重要参考人で……」

「そ、そうだよ、な? いやいや、俺たちはアンタを署まで連行するためにここに……」

「あぁ、だよなだよな? だから見逃す訳には……」

「【それでも見逃さないと】」

「……あぁ、そうだった。見逃さないと。今日はもう帰ろっかな。二人ともそれでいい?」

「おうよ」

「分かりました」


 なるほど、明らかに職業倫理とは反する指令もきちんと履行できるのか。

 田代吾一が見せたような拒絶反応も見られない。言動もきちんとしたままだ。

 一体彼の身に何が起こったのだろうか?

 遺体と死因を確認できれば、それも判明するはずだ。


「えーっと、進藤とかいったか。【これから捜査に進展があったら、田淵怜の元まで逐一報告に来ないと】」


 私は先ほど奪い取った警察手帳を手渡しながら、女――進藤刑事の思考に偽りの意識を差し込む。


「あっ、でも、どうして重要参考人の少女に……?」

「【捜査状況を関係者に教えるのは当たり前じゃないか】」

「あぁ、そうだった。情報共有は捜査の基本だもの……」

「【これから三日に一度、午前6時になったら田淵怜の自宅まで来よう。誰にも怪しまれないよう、誰にも気付かれないように来よう。もし条件が整わなかったら、携帯電話で連絡しよう】」

「……あ、あ、あ、あ……あぁ、そうしよう。それがいい……」


 進藤刑事は口の端から涎を垂らしながら、ゆっくりと頷いた。

 連続して無茶な指令を飛ばし、実行させたが、脳へのダメージは比較的少ないように思える。

 やはり指令の回数ではなく、内容の複雑さによってダメージの多寡が決定するのだろう。


「……もっと実験しなければ」


 私は、私についてもっと深く知らなければならない。

 誰かを愛するためには、まず自分を愛することから始めなければならないのと同じように。

 私はあまりにも自身に対して無知すぎる。


「これが私の携帯電話の番号だ。【必ず誰にも見られないようにしなければ】」


 番号をノートに書き記すと、その部分を破り取って進藤刑事のスーツを胸ポケットに突っ込む。

 これで捜査状況を常に把握することができるようになった。どのような事態になっても、その情報は常に私へ筒抜けになる。


「さて、と……一応記憶を消しておくか。至近距離なら、直接本体を伸ばして脳に介入できるはずだ」


 私は三人の警官に対して、簡単な記憶の消去と改竄を行った。

 これで彼らは私がここで話した内容を忘れ、代わりに「田淵怜は不在だった」という偽の記憶を植え付けられたことになる。


 仮にも天下の警視庁だ。今朝からでも、このマンションの入り口で張り込みを始めるだろう。「不在だった」私が帰宅する瞬間を狙うために。


「……やっぱり、素直に任意同行に応じるべきだったか?」


 これから大変なことになるな。


 ふらふらとした足取りで去っていく警官たちの背中を眺めながら、私は小さく息を吐いた。



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