地球外生命体の決意
「あの、止まってください」
裏路地を歩いていると、突然行く手を遮られた。
顔を上げると、そこには制服を着込んだ警官が立っていた。
彼は私を見下ろしながら、張り詰めた顔で言葉を続けた。
「この道は封鎖されています。申し訳ありませんが、大通りの方から迂回してください」
そう言われて、初めて路地に『通行止め』と書かれた黄色いテープが張られているのに気付いた。
テープの前には何人もの警官が立っていて、押し寄せたマスコミや野次馬の対応をしている。
どうやら、目の前に立っている警官もその中の一人らしい。
「何があったの? 私、この先にあるバーに行きたいんだけどなー」
「バー……」
「そうだよー。ゴールデンスランバーっていう店なんだけど」
その瞬間、警官の表情が曇ったのを見逃さなかった。
この肉体を得てから、こういう人間の感情の機微には敏感になっているような気がする。
猛烈に嫌な予感がした。
「なに、どうしたの?」
「実は……」
警官は正直に言うか迷っている様子で視線を逸らした。
そのまま口を半開きにして何かを言い淀んでいたが、やがて意を決したように視線を戻すと、戦々恐々とした様子で告げた。
「……その店のロッカーで、マスターである男性の遺体が発見されました」
「…………へぇ」
警官の説明に私は頷いた。
一瞬ゴールデンスランバーで浜九里颯太が巻き込まれるような事件が発生したのかと思ったが、どうやら杞憂だったらしい。
マスター……は、確かあのバーの経営者という意味だったか。
店を訪れるのは、彼が店番を浜九里颯太に任せて外出している時だけにしているため、実際に店内で顔を合わせたことはない。
彼に関する話は何度か聞かされているが、興味はないため聞き流していた。
人間は慣れ親しんだ者が死ぬと嘆き、悲しむらしい。中には悲嘆に暮れるあまり、精神を病んでしまう者のいるという情報だ。
浜九里颯太は無事だろうか。
「浜九里くんはどこ?」
「は……?」
「ゴールデンスランバーで働いてるアルバイトの男の子だよ。彼のこと好きなんだ、私」
「は、はぁ。多分第一発見者のことですかね? さぁ、私のような末端の人間には何も……」
「私、今日は彼に会いに来たんだよね。故郷に連れていくよっていう話をしたくて」
「えーっと……」
「まぁいいや。浜九里くんは今どこにいるの?」
「ですので、私は何も聞かされていません。詳しい情報を知りたいのなら、今後の報道を見てください。多分、今夜にでもネットとかテレビとかでニュースがあると思うので」
「…………」
突っぱねるような態度に一瞬呆れたが、今この場で愚痴を言っても仕方ない。
感情を制御するのが、人間としての美徳だ。
人間社会に適応するためには、いちいち発作的な激情に左右されない術を持つのが必要なのだ。
「……分かった。じゃあ今日は帰ろうかな」
私は踵を返すと、周囲の人だかりの間を抜けて歩き出した。
裏路地を抜け、太い幹線道路沿いの道を進む。
夕暮れ時でちょうど帰宅ラッシュど真ん中らしく、幅広い三車線道路は自動車やらバイクやらでごった返していた。
こういう都会の喧騒を嫌う人は多いと聞くが、私にはそうは思えない。
クラクションの絶叫。自動車のエンジン音。誰かの笑い声。遠くで聞こえる救急車のサイレン。
そのどれもが、この街で数多の人間が生きている証拠だからだ。
この街には4000万人もの人間が生息しているらしい。
これは他の調査員が潜伏している世界中の都市の中でも、最大級の規模だ。
『東の国の眠らない都』……この街を、そんな言葉で表現したのはどこの誰だったか。
とはいえ、それは些末な問題だ。
今考えなければならないことは、浜九里颯太の行方だ。
(浜九里颯太は第一発見者。ということは警察機関で事情聴取を受けている可能性が高い。この辺で一番近いのは……綾瀬署? いや違う。あれはもう少し離れた地区の管轄だ。となると……)
ゴールデンスランバーのマスターが死んだ。
それはあのバーを経営する人間がいなくなったということ。
つまり、あの店は消滅する。頭を失ったクモが生命活動を停止するのと同じだ。
するとどうなるか。
浜九里颯太と出会う機会が無くなる。
もう二度と、あの甘美な芳香を味わえなくなる。
「……っ」
それだけは嫌だ。あってはならないことだ。
今更になって彼の住所を聞き出していなかったことを後悔する。
彼は優しい人間だ。私からの提案や要求であれば、どんなことでも受け入れてくれる。
お冷を飲み干した。何も言わなくても、黙って新しいお冷を用意してくれた。
悪酔いした。マスターには内緒で、かなり高価な酔い止め薬をくれた。
寝たふりをしてみた。私が起きないよう、こっそりと肩にブランケットを掛けてくれた。
「やはり彼だけ……彼だけは……」
この惑星に来て、数え切れないほどの生命体が出会った。
犬がいた。うるさかった。でも可愛かった。
猫がいた。撫でてみた。手を引っ掻かれた。
虫がいた。興味深い身体構造をしていた。不思議な顔をしていた。
鳥がいた。優雅に円を描いていた。空を飛びたくなった。
人間がいた。奇妙だった。おかしかった。だから憧れた。
もっと知りたいと思った。心の底から。
『あ、また来ていただけるんですか? 嬉しいです。ははっ、えぇ約束ですよ。またのご来店をお待ちしております』
人間は約束をする生き物だ。
『俺なんてまだまだですよ。友達も少ないですし、かといって凄く勉強できる訳でもありませんし……色々と中途半端な人間なんです。俺は』
人間は自分を嫌う生き物だ。
『え、俺がいいバーテンダーになれる……ですか? ははっ、いいですねぇ。じゃあ日本一のバーテンダー目指しちゃおっかなぁ!』
人間は冗談を言う生き物だ。
『あぁ、寝ちゃったのか……一応ブランケットでも掛けておこうかな……』
人間は愛を持つ生き物だ。
それが、私が実地調査で知った、人間の特徴。あるいは本質。
私はそれを、浜九里颯太との触れ合いの中で学んだ。
「浜九里……颯太」
やはり彼は貴重な存在だ。
私がこの惑星に降り立ち、出会ってきた生物の中で、彼は最も私を愛してくれる存在だから。
「絶対に、絶対に故郷へ連れていかなければ」
今一度、固く決意する。
彼だけは何があっても、故郷へと連れていく。
それは最早決定事項だ。誰にも文句は言わせないし、邪魔もさせない。
そうなると、やはりあのコヨミに対してどう動くかが問題になってくる。
精神的に未熟でも、神は神。あの凄まじい戦闘能力は無視できない。
彼女が浜九里颯太に対して特別な感情を抱いているのは間違いない。
私が彼を連れていく時、必ず妨害してくるだろう。
だが、まずは浜九里颯太の居場所を探らなければ。
私にはあの神のように『ニオイ』を探知する能力はない。
至近距離であれば感じ取れるが、何百メートルも離れている状態では無理だ。
私の感覚機能は、ほとんど人間と同等の能力しかないのだから。
「……はぁ、どうするべきか」
どうしたものか、と悩んでいると。
「っ、うるさっ」
耳を切り裂くような甲高いサイレンと共に、一台の救急車がすぐ傍を駆け抜けていった。
車道を埋め尽くす自動車の隙間を、それこそ風のようにするりと疾走していく。
点滅する赤いランプが目に突き刺さるかのようだった。
「……やっぱり、近くで聞くとやかましいな。あのサイレンは」
眉にしわを寄せながら呟く。声色に棘が混じったていた。
遠くから聞こえるサイレンの音色は風情があって好きだが、近くで聞くそれは最早騒音でしかない。
喧騒と騒音は別だ。ただただうるさいだけなのだから。
「……まったく」
私は薄暮の街を走る、一条の赤い閃光を横目で流し見ると、そのままあてもなく歩き出した。
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