スレッジ・ハンマー




「えー、つまり、貴方が出勤のために来た際には既に被害者は亡くなっていた、と」

「はい……」


 警察署の一角。無機質なコンクリートの床と壁、小さな窓が付いただけの狭苦しい部屋。

 ここは取調室。

 警察へ通報した後、俺は駆け付けた警官によって警察署へと連れられ、事情聴取を受けていた。


 一応任意同行という形だったが、ある意味俺に拒否権はなかった。

 あんな屈強な警官に囲まれた状況で同行を拒める人間がいるなら、そいつの顔を拝んでみたいところだ。面の皮が厚い、どころではないだろう。


 俺に取り調べをしている女性刑事はどこか冷徹な雰囲気で、彼女と対面していると、なんだか自分が悪いことをしたような気分になってくる。

 このままでは、子どもの頃にやらかしたいたずらなんかの罪状をぽろっと口走ってしまいそうだ。

 

「被害者を冷蔵庫に押し込めた犯人に心当たりは?」

「ありません」

「被害者に個人的な恨みを持っていた人物などは?」

「特には」

「被害者の周辺で、何かトラブルがあったという話は?」

「聞いたこともありません」

「そうですか」

「……あの、俺はいつになったら帰れますか?」

「なにかご予定でも?」

「いえ、そういう訳では……あー、実は友人と会う約束をしているんです。今日の深夜に」

「申し訳ありませんが、今日のところは諦めてください。事件現場周辺に設置された監視カメラの映像記録を確認しきるまでは、署内に留まってもらう必要があります」

「っ、まさか俺を疑ってるんですか!?」

「いえ、そういう訳ではありません。が、証言の裏取りが取れるまでは待機していただくことになります」

「それって、疑ってるのと同じじゃないですか……」


 思わず頭を抱えてしまう。

 確かに、第一発見者が疑われるのは仕方ないことだ。

 警察が真っ先に俺を手中に縫い止めてじっくりと調べているのも、ある意味セオリー通りなのだろう。刑事ドラマでもそうしているのを何度か見た。


 だが、身に覚えのない罪で何時間も拘束されていると無性に腹が立ってくる。


「それじゃあ、店内の監視カメラを見てくださいよ。それで、俺が通報する直前に店に来たっていうのが分かりますから!」


 思わず語調を荒げて、半ば叫ぶようにして言い放った。

 すると、刑事は眉間にしわを寄せて。


「実は……」

「はい?」


 一瞬、刑事は壁際のテーブルで調書を取っていた警官と目を合わせる。

 そして、警官が小さく頷いたのを認めると、どこか観念した様子で告げた。


「事件直前、店内に設置された合計二基の監視カメラ……その全てが、被害者の手によって停止されていたんです」

「てい、し……?」


 それは、予想だにしていなかったことだった。

 まるでエラーを吐き出したコンピューターのように、俺の頭脳は暫しの間完全に停止する。

 そして、告げられた事柄を咀嚼し、理解し、飲み込んだ後、ゆっくりと問いただした。


「どう、して?」

「分かりません。動機や経緯については現在捜査中ですが、監視カメラの電源が落とされる直前、店内の奥にあるパソコンを操作する被害者の姿が映っています」

「それは……本当にマスター本人だったんですか?」

「はい。間違いなく」

「それが……最後の姿、か」

「そういうことになります」

「……噓だろ」

 

 がくり、と頭が垂れ落ちる。

 限界まで膨れ上がった風船のように、脳が破裂しそうだった。


 マスターは自分から監視カメラを切るような人間ではない。絶対だ。断言できる。

 何故なら、マスターは機械にとことん疎いからだ。


 本人曰く『古い人間だから』だそうで、今更情報化社会の潮流に身を投じる気にもなれないのだという。

 その証拠に携帯電話も未だにガラケーで、ネットなんてろくに使えないのだという。

 SNSだなんて、登録画面で目が回ってしまいそうになるのだ。

 そう言って笑っていた顔が、今でも鮮明に思い出される。


 そんなマスターが監視カメラを設置したのも、常連客から提案されたからだ。

 もちろん、設置に関わる工事や手続き、ネット環境の整備なども全て業者に一任していた。

 監視カメラの映像を確認するのも一苦労だろう。

 ましてやカメラの電源を落とすだなんて、高度な操作は到底不可能なはずだ。


 それこそ、誰かに操作を任せなければとても――。


「進藤刑事」


 その時、取調室の分厚い扉が開いた。

 その隙間から、スーツを着た若い警官の顔が覗いている。

 進藤――そう呼ばれた女性刑事はすぐさま立ち上がると、警官の傍まで近寄った。


「どうしたの?」

「現場周辺の監視カメラの解析が完了しました」


 ほとんど囁き声のような会話だった。

 だが室内が異様に静かなこともあり、離れた位置にいる俺の耳でも会話の内容が聞き取れた。

 俺は俯いたまま、彼らの話の盗み聞きに徹する。


「それで、何か見つかった?」

「はい。遺体発見時刻から一時間ほど前、タバコを買うために外出したと思われる被害者の後を尾行していた女の姿を、コンビニの監視カメラが捉えていました」

「女?」

「はい。捜査本部はこの女を重要参考人として、行方を追うそうです」

「彼はどうするの?」

「監視カメラの映像から、遺体発見直前に店を訪れたという供述は間違いないかと」

「じゃあ、一回帰らせる?」

「はい」


 その会話が聞こえてきた瞬間、俺は思わず安堵のため息を吐いた。

 どうやら俺が犯人であるという可能性は消えたらしい。


 いや、完全に消えた訳ではない。それよりも、その女の行方を追うことに人員を割くつもりなのだろう。

 きっと事情聴取のために、暫くの間警察署に通い詰める羽目になるだろう。だが、家に帰れるのならそれでいい。


 留置場の檻の中に閉じ込められるよりかは、ずっとマシだ。


 しかし、これから数か月間はまともに日常生活を送れないだろう。


 昼夜問わず、警察から任意同行の依頼がひっきりなしに飛び込んでくるに違いない。生活バランスも滅茶苦茶になるだろう。

 講義に出る時間も潰れる。講義の進行に付いていけるかどうか、いや、そもそも出席回数が足りなくなるかもしれない。

 講義の遅れ程度なら、田淵に土下座でもして頼み込めば何とかなる。


 だが、出席回数は別だ。誰かからのアドバイスや協力でどうにかなる問題ではない。


 それに、一番問題になるのはバイトだ。

 基本的に勤務時間は午後6時から。警察側も馬鹿ではない。俺の大学生としての事情を汲んで、事情聴取の時間を昼ではなく夜間の時間帯にずらしてくれるだろう。


 だが、それが問題だ。


 バーテンダーは夜職。むしろ夜にこそゴールデンタイムがやってくる。

 そんな大事なのは稼ぎ時を、煩雑な事情聴取ごときで奪われてしまうのは癪だが、心の中で文句を言っても仕方ない。


 俺には俺の事情があるように、警察には警察の事情があるはずだ。


 マスターには申し訳ないが、シフトを減らしてもらわないと――。




「…………あ」




 そうだった。



 マスター、死んだんだった。



「そう、だ……マスターは……死んで……」


 俺は唐突に実感した。マスターが死んだという事実を。

 心の痛みよりも先に喪失感に襲われて、ただ漠然とした不安と孤独感に押し潰されそうになって──。


「あ……あっ……は、はっ、ぅぁっ、は……!」


呼吸が上手くできない。吸っても吸っても、酸素が足りない。まるで突然宇宙空間に放り出されたかのようだ。

胸を抑えて必死に落ち着こうとするが、それすらも上手くいかず、俺は浅い呼吸を繰り返すことしかできなかった。


息が苦しい。頭が痛い。視界が狭まっていくような感覚に襲われる。



 死んだ。殺された。あのマスターが。厳格で、優しいマスターが。

 得体の知れない何者かに。



「大丈夫ですか、浜九里さん!?」

「落ち着いてください!」

 

 警官たちが慌てて駆け寄ってくるのが分かる。

 だが、もう駄目だった。


 この現実は、直視するにはあまりにも辛すぎる。



 慌ただしく近付いてくる無数の足音はどこか遠く、俺は夢の世界へと滑り落ちていったのだった。






 

 会議室。


 捜査本部が設置されたこの部屋には、何十人もの刑事が詰めかけていた。狭い会議室には、物々しい雰囲気が充満している。

 それもそうだろう。今の時刻は午後11時。事件発生の一報と招集命令を受けて、家族の時間を邪魔された者も多い。しかも今から夜明けにかけて、マスコミへの対応や初動捜査に駆り出されることが確定しているのだ。不機嫌になるのも致し方ないだろう。

 屈強な男たちが円状に置かれた長机の前に一列になって座っている様は、かなり威圧的だった。


「それで、重要参考人というのは?」


 部屋の一番奥、重役が座るであろう席に座った白髪の男――係長が訊ねる。

 彼こそが、この奇妙な事件を解決するために設置された捜査本部の指揮役だった。


「はい。こちらです」


 係長の鶴の一声に、壁際に立っていた進藤刑事がホワイトボードの前に出てきた。

 進藤刑事がホワイトボードに写真を貼り出すと、その場にいる全員の視線が集まった。


「この女は被害者が事件現場を離れ、近所のコンビニへ向かうまでの数分間、被害者をストーキングしている姿が確認されています。被害者がコンビニ内に入ると追跡を諦め、駅がある方角へと歩いていきました」

「これは……かなり若い女だな」

「映像から、十代後半であると思われます」

「十代か……被害者は四十代後半だろう? そんな年代の男に、若い娘がストーキングなんてするか?」

「だから重要参考人なんです。この女が何か事情を知っていると見て、間違いないかと」

「ふむ、そうか」


 進藤刑事の説明に、係長はふんと鼻を鳴らして両手を顎の前で組んだ。


「ひとまずはこの女の行方を追う。その方針で行こう。捜査員は周辺の監視カメラを徹底的に探り、この女の動向を洗え」


 そう言って、係長はホワイトボードに貼られた写真を睨む。


「必ずこの女を見つけよう。……必ず、被害者の無念を晴らすぞ」


 そこには、この事件の重要参考人と目される人物。



 

 オーバーサイズのパーカーを着込んだ、黒髪の女の姿が映し出されていた。




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