バケモノの歌




「……出来れば首を斬り落とした時点で死んでほしかったが」

「まあね。それは一番君が分かってるんじゃないのー?」


 斬り落とされたはずの生首が、言葉を発している。


「私にとっての肉体は、ただの入れ物に過ぎない。私の本質は……というか、私の本体は魂そのものだからね。いや、これは魂って言うのかな? 地球に来て……あー、46日目だけど、イマイチその辺の話は分かってないんだよね。ほら、人間の死生観ってやつ?」


 死人が、こっちを見ている。


「まー、難しいことは分からないけどさ?」


 ナニガシの首が、ふわふわと宙に浮かんでいく。

 風船の如く空中まで浮上すると、その後ろで倒れていた胴体も立ち上がった。

 まるで糸で吊るされた操り人形のように、ぎこちない動きだった。


 そして、切り離されたはずの胴体と首が――ピタリと繋がった。


「……噓」


 目の前で起こった光景に思わず愕然とするコヨミ。


 頭を切り落としたにも関わらずナニガシが死ななかったこと、ではない。

 むしろあの程度の事態は想定済みだった。

 数千年前の激闘で、奴らの生存能力と生命力は嫌というほど思い知らされている。


 問題なのは、ナニガシの本体が一切姿を見せていないことだ。


 奴らの本体の姿は、普通の人間の眼では――いや、脳では視認できない。


 なぜなら、生きている次元が違うから。

 

 だが、コヨミは違う。コヨミは奴らと同じ次元に生きる生命体なのだから。

 決して認めたくはないが……同類という表現も、ある意味的を射ているはずだ。


 だからコヨミの網膜には奴らの正体が、輪郭が映り込む。

 コヨミの頭脳は、それが奴らであるということを認識できる。


 だが。


「……本体が、見えない?」


 口に出した途端、コヨミの全身の毛が逆立った。

 まるで目の前で起こっていた現象が、当たり前だと思っていた常識が根底から覆されたような混乱――。


 頭が真っ白になりそうだった。

 心が、悲鳴を上げている。


 口調も変え、決意と勇気で塗り固めたはずの心――だが今やそれも崩壊寸前だ。


「お前……どうして本体を出さない?」

「ん、本体って……あー、無くなった」

「……は?」


 意味が、分からなかった。


「いやー、実はね? 今、私って人間の肉体を纏って擬態してるでしょー? 最初は調査が終わったら脱ぎ捨てようと思ってたんだけどさ……」


 両手を抱えて、位置を調節しながら苦笑いを浮かべるナニガシ。

 いい感じのポジションが見つからないのか、うんうん唸りながら悪戦苦闘している。




「人間の肉体の居心地がよくなっちゃってね、本体と肉体を同化させちゃった!」




「――――っ」


 コヨミの身体が、完全に止まった。

 

 ピシリ。頭のどこかでそんな音が鳴ったような気がした。


「なんて言うんだろうね、このフィット感。それが結構気に入っちゃってさ。これからは人間の肉体で過ごしてみるのもいいかなーって思ったんだよね。細胞単位で変形させることもできるし、三次元領域で過ごすならこっちの方が都合がいいかなー、なんてね?」

「この……化け物が」

「あ、それ言っちゃう? ま、別にいいけど」


 もうコヨミは動けなかった。

 ガチガチと音を立てる奥歯を嚙み殺し、震えそうになる身体を必死に落ち着けて、バラバラになりそうな心を繋ぎ止めるので精一杯だった。


「それにさ、本体だけじゃ色々と困るんだよねー。普通の人間と意思疎通もできないしさ、それに……浜九里くんと話すことができないし?」

「っ!」


 じろりと向けられた挑戦的な視線。

 混乱で冷えていた頭が瞬時に沸騰し、コヨミは血相を変えて詰め寄ろうとした。


 しかし、一瞬早くナニガシの姿がふっと消えた。

 時間圧縮による瞬間移動だ。


「まぁ、浜九里くんにはこの姿とミステリアスなお姉さんっていうイメージで通ってるからさ、これ以上肉体を壊されると困るんだよね。だから、もうおいとまさせてもらうよ」


 背後にも、上にも、室外機の陰にも、どこにもいない。

 声だけだ。


 姿が見えないのに、声だけが周囲に響いている。

 

「じゃ、まったねー。機会があればまた会おうね」


 ふっ――と、先程まで確かに周りにあったはずの気配が霧散する。


 それと同時に、鼻がもげそうなほど強く匂い立っていた、上位存在の臭いも。


「…………っ」


 敗北。


 何よりも重い、その二文字が双肩にのしかかる。


 同時に――コヨミを支えていた緊張の糸がぷつん、と切れた。


「……あぁ……」


 コヨミは膝から崩れ折れるように、その場にへたり込んでしまう。

 身体が急激に冷えていくのを感じる。

 まるで裸で極寒の雪山に放り出されたように、全身の震えが止まらない。

 ヘビに睨まれたカエル――いや、それ以下の気分だった。


――殺せなかった。


 胸の奥から苦い感情がこみ上げてくる。それを抑えることができなかった。

 全て覚悟しているつもりだった。


 だが、駄目だった。

 あの臭いを――上位存在の臭いを嗅いだ瞬間、心の中にどうしようもない気持ちが湧き上がってしまったのだ。


 怖い。嫌だ。逃げ出したい。誰か助けて。


 そんな思いを抱いてしまった。


 気が遠くなるほど昔に負った心の傷は、数千年という時を経てもなお、未だにコヨミを苦し続けているのだ。


「う、うぅ……うぅぅぅぅ……」


 コヨミはその場で体育座りになると、自らの膝に顔を押し付けて――泣いた。




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